法要には心得というものがあるそうで、それによると初・中・結。つまりどんなに少なくとも”この三座だけはお参りしとくべき”ということが礼儀・心得としてあるのだそうです。
それに加えて肝要の逮夜(萬行寺の逮夜は19:30から勤めています)は22日の初逮夜(しょたいや)・25日の中逮夜(ちゅうたいや)・27日の大逮夜(おおたいや)といわれ、この三座もお参りする心得が必要だと言われています。つまりできるだけお参りするようにできているのです。
法要は萬行寺ならば一年間に春秋の永代経・春秋の彼岸と作上がり、それから報恩講。一年間に6回、二ヶ月に一回法要が勤まっています。
この法要の中には重んずべき法要とその中でも比べて重要ではない法要とがあります。もちろんどれも重要でありますが、一応区別というものがあります。重要な法要ほど大切に丁寧に勤められ、必ずお参りするように心がけがあります。
その中でも報恩講は最も肝要であるといわれ大切にされてきました。たとえばお彼岸は全国の真宗寺院でも必ずお勤めするとも限りらないのですが、報恩講だけは日本全国の真宗寺院で必ず勤められています。
それだけに自分たちの血縁者の法事。ある意味では葬儀よりも重要視されています。
それだけにお勤めや準備も手数が多く、しかも丁寧に重々しく勤められます。したがってお勤めの時間や期間や準備も他の法要に比べて長く手がこんでいます。
この時期が近づいてくる度にこれまでの一年間を思い出したりして、落ち着かなくなります。
ちょっとやそっとでは動かない重い腰を上げさせられるのも報恩講のお陰ではないかと思います。そういった意味では大変なだけに大事な謂れがあるのだと改めて考えさせられます。
本堂や各家庭におけるお内仏の荘厳もフル装備。それなりの重さを持って大切に大事に勤められるのが報恩講なのです。
式次第
<晨朝> 7:00~
文類正信偈 草四句目下
念仏讃 濁三
和讃 『本師龍樹菩薩は』
廻向 世尊我一心
御文 「三箇条」
式次第
<中日中>10:00~12:00
文類正信偈 文類正信偈 行四句目下
念仏讃 濁五三
和讃 『生死の苦海ほとりなし』
廻向 願以此功徳
『改悔文』
この日の日中のご法話は役僧の此松さん。この度、中日という大役を仰せつかった此松さん。この萬行寺に役僧として来られて13年ほどになります。この度、自坊に拠点を移されることになりました。この報恩講が皆様の前で御法話をするのは最後となります。
考えてみましたら、人は初めから何かわかっているわけではありません。
そのなかで人にお世話になり、お世話しながらたくさんの方のお育てを賜っていく。そのご縁のあることをありがたくも教えていただきました。すべては如来のお手回しの賜物だと感じます。
<聞法ノートより(一部のみ)>
世間の願い・・・・叶う
仏の願い・・・・・称う
世間の願いは自分の要求に叶うことが願いとされる。だから「私の願いを叶えてくれ」と私の要求を仏に要求する。だけれど、仏(浄土)の願いはそれとは違う。仏の願いは称(かな)うと書きます。親鸞聖人の受け止めは仏の願いが私の願いとなる。私の願いが仏の願いになる。このことを称(かな)うというのでしょう。
此松さんが御法話を終わられた後「これが最後のお話でした」と締めくくりました。その途端に参詣席からは「え、本当ですか?」という驚きの声が上がりました。
その声を聞いた瞬間にふと思い出したのが「聴聞の心得」という言葉です。
一、この度のこのご縁は 初事と思うべし
一、この度のこのご縁は 我一人の為と思うべし
一、この度のこのご縁は 今生最後と思うべし
人生は一期一会です。その賜ったご縁を常に上の言葉のように常にいただくことができたらどんなに良いかとおもいます。
聴聞に訪れた方々はまた今度があると思って聞いていたのかもしれませんね。
しかし、考えてみると一期一会の中でどの瞬間も初事であり、今生最後であり、たった一度のたった一人の人生を生きさせていただいています。にもかかわらず、この勝縁を初事といただくことのできない自分に私たちはやっぱり愕然とします。
まことにありがたい一時でありました。
夜座(19時半から)は親鸞聖人のご生涯の物語が書かれた御伝鈔(ごでんしょう)といわれる巻物が拝読されます。 御伝抄とは、親鸞聖人の曾孫にあたる本願寺第三代の覚如上人(かくにょしょうにん)が、親鸞聖人の遺徳を讃仰(さんごう)するため、聖人の33回忌にあたる建仁2(1294)年にその生涯の行蹟を各地を尋ねて聞き集めたものです。
そのエピソードを数段にまとめて記述された詞書(ことばがき)と、その段の詞書に相応する形で書かれた絵巻物として成立しました。
しかし、写伝される過程でその図絵と詞書とが別々にわかれて流布するようになり、この図絵の方を「御絵伝(ごえでん)」といい、詞書のみを抄出したものを『御伝鈔(ごでんしょう)』と呼ぶようになりました。
この『御伝抄』は上下巻の二巻に分かれており、この二つを真宗本廟では続けて読まれていますが、これを行うとかなり所要時間のため、萬行寺では長年上下を二年に分けて拝読してきました。
今年は下巻を拝読。拝読者・絵解きともに住職が行いました。
本堂の照りを消し、ロウソクの明かりのなか、親鸞聖人の生涯が書かれた御伝鈔が運ばれ、荘厳な雰囲気で拝読されました。
毎年、御伝鈔の練り出し(御伝鈔を運んでくる役)は若手の御門徒さんにお手伝いいただいてます。
今年はこのお二人。
連絡をすると気持ちよく引き受けてくださいましたありがとうございます。毎年定番の装束の裃(かみしも)です。
この裃とは肩衣(かたぎぬ)の原型でもあるそうです。裃を折り畳んで作ったのが肩衣で、さらにそれを略したものが多くのご門徒がかけている略肩衣と言われるものです。まさか裃が原型だなんて思えないような形です。
ちなみに「畳輪袈裟(たたみわげさ)」と言われるお坊さんの輪っか状の袈裟がありますが、これは五条袈裟を畳んだものだと言われています。
いつも思うんですが裃って、時代劇ならもってこいの装束ですよね。お二人とも風格があってなかなかお似合いです。毎年のことながらいいなと思います。できれば来年もお願いできないだろうかと思っています。どうぞよろしくお願いします。
御伝鈔拝読のあとは御絵伝の絵解きと解説です。
今年は住職が行いました。写真に写っている拡大されたタペストリー状の御絵伝は西海市にあるお寺、帰命寺さんから特別にお借りしたもの。一つ一つのシーンを解説するにはとても良いものです。
この日は終了時間がいつもより長い9:30まででした。