年末 除夜の鐘のおしらせ

今年もいよいよ終わり。明日は大晦日ですね。

今年やり残したことはお済みでしょうか?

 さて、今年も除夜の鐘は11:30ごろより撞き始めます。

●まずは本堂に上がり阿弥陀如来に合掌礼拝してお参り下さい。

●お参りが済まれた方から順に整理券を本堂内で配布します。

 

●お持ちの方はお数珠(じゅず)と賽銭(さいせん)を持参ください。(お持ちでなくとも鐘を撞くことはできます)

 

整理券は先着順です。

毎年来場者多数のため混雑が予想されます。グループでおいでの方は1グループにつき整理券を一枚配布します。

整理券をお持ちの方から順に一列に並び、順に撞いて下さい。よろしくお願いします。

ーーーーーーーーーー

 ところで「除夜の鐘がうるさい」との苦情で、都会のお寺が自粛を余儀なくされているとのSNSの書き込みを見つけました。これは今に始まったことではありませんが、それもご時世なのでしょうね。ちと寂しい気がします。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る〜」のフレーズもいまは昔といったところでしょうか。

 自粛したお寺は深夜ではなく夕方の6時ごろに時間を変更したらかえって反響があって来場者が増えたという話です。

 それも一案かなと思う今日この頃です。みなさんのご意見はいかがでしょうか?

 


 

「お寺でじいーん」の撮影

「いっちゃん」こと、市原隆靖さんが来寺。YouTubeにて市原さんが企画・出演・編集する番組『お寺でじぃーん』の撮影が行われました。

はじめての「お題トーク」に少々戸惑いましたが、楽しく過ごせました。

市原さんのいい按配の質問とやりとりが心地よいトークでした。放送されるのが楽しみです。

 まだチェックしていない方はこの機会にぜひチェックしてみてください。

この番組は宗派を超えて様々なお坊さんのお話を聞く番組で、どのお坊さんも仏教の素晴らしさを伝えたいという思いでお話しされていますよ。毎週第二・第四日曜日に更新予定だそうです。あなたの近くのお坊さんのところにもいっちゃんが行くかもしれません。

 

萬行寺日曜学校 絵本の読み聞かせ

日曜は日曜学校(子ども会)9名の子どもたちが来てくれました。

現在、萬行寺がある時津町は長崎の中でも人口推移がおおよそ横這いの地域。

 いわゆる長崎市のベッドタウン化した地域です。そのためお寺の近所にある小学校は1学年3から4クラス程度の近年ではマンモス校です。現在長崎は過疎とも言われ、周辺の地域では過疎が深刻な問題となっていますが、そんな中でもここ時津町は児童が多い地域です。だからといって日曜学校が安泰とはけっして言えません。

 そんな中に9人の子ども(うち3人はお寺の子)がお寺に足を運んでくれるのはありがたい限りです。

 とにかく親の理解なくしては子どもがお寺の境内に足を踏み入れることさえ難しいのですから。

かつてのように黙っていてもお寺に人が集まるということはこの時代ありえませんね。

ということで、今日は夏にもお願いした絵本クラブの皆さまに「絵本読み聞かせ」をお願いしました。

 絵本には子どもの感性を育てる力があります。現代のように聞けば、すぐ答えを導き出すことのできるものに囲まれた時代にあって、絵本は限りなくアナログ。

そのアナログ感が大事だと思います。

 それは「想像する余地」という豊かさです。

そこに絵本の魅力の一つではないかと思います。

 読み聞かせの後は折り紙でいろんなものを作って遊びました。ちょっとした工夫で様々なものに変わる折り紙は面白いものです。

 

 お寺は子どもが子どもそのもので居られる「ほっとする空間」であって欲しいと願います。

素直な反応がうれしい読み聞かせでした。

 特別なことはしないくともお寺に集まってくる子どもたちの居場所になることが大事だと思います。

 時には誰も来ない日曜もありますが、それでもいつ来てもいい場所です。

萬行寺真宗婦人会一日研修

11月26日に壮年会の研修がありましたが、今日は真宗婦人会の一日研修です。

真宗婦人会は壮年会よりも歴史も古く、会員数も多い分、研修も大所帯です。今年は昨年より少ない参加数ですが、それでも総勢で53名。バスは2台を貸し切っての1日旅行です。来年はお寺で聞法会などの研修を行う予定となっています。

この一日研修旅行は2年に一回行っており。かつては泊まりがけで行ったこともありました。

 

 さて今回お邪魔しましたお寺は長崎教区第3組、川棚にある福淨寺さまにお世話になりました。

 

実は福淨寺さんと萬行寺は開基が兄弟で、家紋も同じ『平戸梶』。平戸の城主と同じだと聞いています。福淨寺開基のお墓は萬行寺に現在あります。

<萬行寺の歴史について>

萬行寺のHPでは第三の世の了閑(りょうかん)が福淨寺の開基と伝わっています。その了閑は福淨寺を建立後、時津に移り住みます。

 当時、萬行寺は現在地より少し離れたところに実兄である道夢が小さな庵を建て布教にあたっていました。弟の道夢は引退後、順知に庵を譲ります。その後、兄である了閑が三代目を継職したとしています。

実は当時、庵だった道場を現在地の「六屋敷」に移設し、西本願寺(当時はお西でした)より本尊を下付され『亀水山萬行寺』としたのは了閑の業績で、本当は実質上の開基にあたります。しかしながら、その前の道場の時代より現在地に移設するまでにおおよそ40年ほどかかっていることを考えるとその歴史も重要だと考えて開基を道夢と萬行寺ではされています。

以前には萬行寺と福淨寺の壮年会が互いに行き交って交流会を持ったこともありました。福淨寺さまには明治より続く壮年会があり、婦人会も盛んだと聞いています。また福淨寺の仏青(仏教青年会)や日曜学校(子ども会)も全国でも早い頃に結成され、現在も続いていると聞いています。

今回は萬行寺真宗婦人会の研修でお邪魔しました。

 

全員で集合写真をパシャリ!

 

福淨寺さまを出ると波佐見町へ移動して昼食です。その後は「浜陶」さんにて波佐見焼を見学。お土産をそれぞれ買って帰路につきました。

 

 

 

1