萬行寺壮年白道会一日研修

毎年11月に行っている1日研修ですが、今年は大村茅瀬の西教寺さまを16名で訪問しました。ここ西教寺はキリシタン大名でも有名な大村純忠の終焉地のすぐ隣にあるお寺です。
現在、田中ご住職は長崎教区の副議長も務められ、教区においても重責を担っておられます。

 

40分ほどお話をいただきました。

西教寺における在家報恩講の近況や取り組んでいる教化活動などに触れ、宗教生活の基本である手を合わせる日常生活が希有になっている現代社会の現状をあげられました。

そこから今日の多様化した時代にあためて念仏申すことがいよいよ求められる時代なのだと語られました。

ただ、若者に念仏申すことの意義を伝えることの困難さもあります。

なかなか忙しくてお寺に通う心の余裕の持てない現代人にどのようにしたら仏法が伝わっていくのでしょうか。自分たち(お寺に集う壮年)の姿を翻ってみてみるとどうでしょうか。初めは何で「足かせ」だったお寺通いが、次第に自分の居場所になってきませんでしたか?

 

 

みんなで記念撮影。

 

立派な庭を見せていただきながらお茶をご馳走になりました。

西教寺さまを出たあとは諫早に移動して夕食とお酒。いっぱいいただきながら談笑して帰路につきました。

 

この研修会は毎年恒例となっていますが、随分といろんなお寺にお邪魔させていただきながら、それぞれのお寺の様子もわかってみなさん楽しいひとときのようです。

前回に比べて人数は多くなりました。たくさん集まるからいいとは言えませんが、参加者が多いと気持ちも違いますね。

今回もいい研修でした。

秋の永代経法要

初日   23日 日中・・・仏説無量寿経

2日目 24日 日中・・・仏説観無量寿経

3日目 25日 日中・・・仏説阿弥陀経

 

日中10:00〜12:00

逮夜19:30〜21:00


※毎月25日の法然上人・蓮如上人のご命日に行われている「おとなの寺子屋講座」は今法要のためお休みいたしました。来月は「報恩講」について皆さんと学んでいきたいと思います。

 

今回のご講師は服部忍氏(西海市西海町大多和 浄音寺住職)です。
釈尊誕生の伝説として有名な言葉『天上天下唯我独尊』を取り上げてお話しされきました。

この言葉は花まつりでもよく取りあげられる有名な言葉と説話です。

現代を生きる私達が忘れている「尊い」ということを端的に言い表しています。この言葉は様々な教典にいろんな形で表現されています。仏教にとって大事なテーマの一つです。

初日に読誦読された「仏説無量寿経」では我、この世において無常尊となるべしと表現されています。

言葉の使われ方が違う分、多少のニュアンスは違ってきますがどれも同じことを言わんとしています。

 

<法話メモ>

人間の一生を貫いているものがお経。子どもが生まれたらお寺へいって、お経いただき(初参式)をします。そして家族が命終えていくときにもそこにはお経がある。私たちの人生の節目ふしめには必ずお経がある。お経とはその悲喜交々の人生の中で真の依り処を与えてくれる。

『経』という字の成り立ちを見てもそのようになっています。

 

ものを取りに部屋に入って
何を取りに来たのか忘れて
戻ることがある
戻る途中で
ハタと思い出すことがあるが
その時はすばらしい
身体が先に
この世に出てしまったのである
その用事が何であったか
いつの日か
思い当たる時のある人は幸福である
思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へ戻る

杉山平一という方の詩だそうです。人間だれもが、この世に意識して生まれてきた人はありません。いつの間にか気づいた時に、この世に投げ出されたように人間として生まれていたのです。

何の予備知識もないまま生まれ、果たしてここに来た用事はなんであるのか。そして何のために人間に生まれてきたのか。

それが分からないまま、一生を終えてしまうのがわたくしたちではないでしょうか。

忘れたことを思い出すように、気づいた人は、すばらしいことです。

しかし、私たちの多くはそれに気づかず、何かもやもやとした人生をおくっていくのです。

<ノート覚書>

仏陀の精神が血肉になる。

 

桃栗三年、柿八年。人は一生を尽くして何になる。

 

仏法にお育てをいただく。

独尊=その人に付加価値をつけない。

   基準を満たす必要がない。

永代供養と『永代経』 間違われやすい仏教語1

<『永代経』は『永代供養』ではありません>

 以前、お参り先で「永代経法要をお寺で行いますので、どうぞ皆さんお参りください」と案内状を一人ひとりに手渡したところ、「あ、萬行寺さんでも永代供養をやっているんですね」という返答をいただいたことがありました。

その方は「永代経法要」を「永代供養法要」といったように受け取めているようでした。

そこでわたしが「この案内状にもありますように、今回の法要は「永代経」といって、いわゆる永代供養のための法要ではないんですよ」といった趣旨のお話しますと、その方はよく分からないような顔をされました。

 また法要にお参りに来られた御門徒さんが「お寺へ永代経を納めたら先祖供養はしなくてもいいんでしょう?」と尋ねられたこともありましたし、あるいは「納骨堂がほしいのですが永代供養ありますか」などの問い合わせも時々あります。

そのような混同があることはわたしも承知しています。

永代供養についての問い合わせ内容は百人百様で、一つとして同じということはないほど様々です。

しかし根本的に永代供養と永代経は内容がまったく異なるものなのです

 

<仏様の教えを伝えていくための法要>

 仏教は「未来の人たちへの教え」と言われます。仏教の歴史に刻まれた祖師方は、未来の私たちが仏様の教えに出会って人生を成就してほしいと願っているのです。

つまり浄土真宗の独特の仏事である『永代経』とは、仏さまの教えが未来の先祖にまで末永く読み継がれていくために行う法要のことを言います。あるいは仏さまの教えを大切にいただくための法要と言ってもいいかもしれません。
 つまり、永代経をしたとしても死者の追善供養を寺院が代わりにしてくれるというわけではありません。
 浄土真宗では追善供養は行わないとよく言われることです。真宗における仏事の基本は、亡くなっていかれた方々やご先祖をご縁にして(その方をきっかけに)お経をいただく生者ための仏事です。そういったことから先に亡くなっていかれた方々をご縁とする機会が多いことから、混同されやすい真宗独特の仏教語です。

長崎教区第1組 別院報恩講団体参拝 in東本願寺佐世保別院

朝からマイクロバスに乗って佐世保別院に出発です。

別院は佐世保市の中心(島瀬町)にあり、アクセスもよく便利です。現在は周囲をビルに囲まれてしまって本堂が見えにくくなっていますが、明治に建立された当時は眺めが良かっただろうと思います。

この度の門徒会館の改修工事でマイクロバス程度ならば軽々と境内まで乗り入れることができるようになりました。これも嬉しいことです。

本堂は満員御礼。満堂の参詣者でうまっていました。お勤めも報恩講とあって緊張感が伝わってきます。

 

この日からご法話は青木玲氏(九州大谷短期大学准教授)です。

長崎教区 こども御遠忌in佐世保別院

 お寺の新年度は6月締めの7月はじまります。

いよいよ来年度から九州教区長崎組(きゅうしゅうきょうく ながさきそ)として新たなスタートをきることになります。そのことを受け、長崎教区のこれまでの歩みと九州教区長崎組としての再スタートを願い、集大成として「こども御遠忌」を行うことが現教区内にて決定し、11月3日に東本願寺佐世保別院を会場に長崎教区のこども御遠忌をお勤めしました。総勢で70名近くのご門徒方が参詣されました。

 「しんらんさまの御遠忌」親鸞さまってどんな人? と題し、コンセプトとして「子孫と参る御遠忌法要」としました。

「御遠忌」とは、50年に一回の勝縁といわれ、今回は宗祖親鸞聖人の750回目の御仏事をご縁とした集です。主に小学校のこどもを引率してくださる祖父母や親子でもお参りしていただくよう企画しました。

総勢で100名を超える参詣者で賑わいました。

 

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