2018.12.23 Sunday
2018.12.19 Wednesday
今年最後の御命日
2018.12.19 Wednesday
「非核非戦」に憶う
「仏説無量寿経」には、法蔵菩薩は世自在王仏が説かれる国土人天の善悪と麁妙を聞き、覩見して五劫思惟して無上の願を建立されたと説かれている。
非核非戦の碑文には「共に生きよ」とも刻まれている。『「非核非戦」これは法蔵菩薩の叫びである』と仰った先達がある。まさに法蔵菩薩はあの原子爆弾の縁に出遇ったいのちの声を聞き覩見し、心願に応じて願を興された。まさに人間の深き闇を覩見し、諍い合わねば生きられぬ人間の心に「核に非ず、戦に非ず。共に生きよ」と叫んでいると言えるのではないだろうか。おもえば釈尊は
怨みをいだいている人びとのなかにあっても、われわれは安穏に生きよう。
怨みをもっている人びとのあいだにあっても、われらは怨みなく安楽に過ごそう。「ダンマパダ」
と言われている。
「現に共に生きているのだから、そのまま生きていきなさい」とは竹中智秀先生の言葉。まさに法蔵菩薩が獅子吼しているようである。
2018.12.19 Wednesday
年末年始のお知らせ
2018.12.16 Sunday
中学生が来寺
日曜日の午後から長与に住む5人の中学生が萬行寺にやってきました。
社会勉強の一環として、お寺を身近に感じてもらいたいということで、5人が通っている塾の先生の発案によって実現しました。
とても仲良しの5人組です。
まず正信偈をお勤めし、お話をしました。
短いお話でしたが、真剣に聞いてくださいました。
お話の後に自己紹介をして、あらかじめ用意してきた質問をしてもらいました。とても素直な質問でした。
その中に「ルールは何のためにあるのですか?」
という質問には、一瞬どう答えればいいのか考えてしまいした。
「お寺ってどんなところだと思っていましたか?」と逆にこっちからも質問させてもらいました。
「心を見つめるところ」
「修行をするところ」
「堅苦しいところ」
などとなんとも素直な答えが返ってきました。
また、そのなかで一番印象に残った応答は「学校で教えてくれない事を学べるところ」という答えです。そこにお寺の存在意義があるように思います。
以前に日曜学校の子どもたちに同じ質問をしたときにも同じことを言っていたのを思い出しました。学校では学べないことがここにはあるということも子ども達にとってはひとつの驚きと新鮮さがあるのでしょう。
5人のおおかたのイメージとして、お寺は「精神修行をするところ」という印象のようでした。
その中の「堅苦しい」という印象は精神修行というイメージから来ているのではないかと思います。修行をするところという印象はとても大切にしなければならないことではないでしょうか。これまでお寺が人々のあいだで永らく大事にされてきた要因の一つだと思います。これもお寺でなくてはできないことの一つですね。
欲を言えばこころに学ぶ楽しさを感じてもらえればいいなとも思いました。
あるいはお葬式をするところってイメージはない?という質問にはみんなが「うん」と答えました。
「手を合わせることって一日にどれだけある?」という質問もしてみました。一人を除いて「6回以上」という質問が返ってきました。
一日に3回食事をいただくとして、一回に「いただきます」と「ごちそうさま」の2度手を合わせから6回です。それ以上手を合わせるという子はいませんでした。また、5人とも。おばあちゃんやおじいちゃんの家に仏壇があると答えてくれました。ですから、普段の生活の中で仏さまに合掌することはなくとも、両親の実家などに帰った時はお仏壇に合掌することはあるようです。
初めは緊張した様子でしたが徐々に緊張もほぐれ、夕飯はモリモリ食べおかわりをして元気に帰って行きました。
こちらもとても勉強になり、とても楽しいひと時でした。またおいでください待っております。
2018.12.11 Tuesday
教行信証拝読の会
2018.12.06 Thursday