第5回 推進員の集い

第5回目の推進員協議会を開催しました。

これからのお寺のあり方や法座のあり方などを皆でお茶を飲みながら語らうつどいです。

推進員の皆さん、是非参加ください。

 

寺報「徳風」第18号 聞法道場

お経の意(こころ)『仏説』
 経題の頭は必ず『仏説』と冠される。これは如来の直説であることを意味している。しかし、お経はすべて釈尊の死後、その教えに出遇った弟子たちによって四百年ほどかかって編纂されたもので、釈尊が直接筆をとって書き記したものはない。▼私はこの事実を知った時、なんだか裏切られたような気持ちで、信じていた心が揺らいだ。それと同時に仏教とは何であるか、自分にとって仏教とはどのような教えであるのかというあらたな確かめが必要となった。▼仏説を仏説と謂わしめているものは何であるか。お経は釈尊が直接説いたものでないと知れば、その教えはたちまち何の価値のない物となってしまうのか。いや、そうではない。▼そこに書かれた言葉が現実世界で苦しむ幾千の人々の心を揺り動かし、あらゆる人を救い続け、そして何よりもここにいる私を救う教えであるという本願の歴史が即ち仏説であるというこ
とを証明しているのである。▼親鸞聖人は言われる。「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。」(歎異抄第二章)悠久の時を超えて、その教えをその身にいただいて生きた念仏者の人々の息づかいが確かに聞こえる。
 

長崎教区 秋安居開筵

日から3日間秋安居(しゅあんご)が行われます。
長崎教区の安居は70年以上昔、西坂(現在の長崎駅前にある26聖人殉教の地)に長崎教務所があった時代、『夏期講習会』として始まったそうです。

下の写真は年代は不明ですが曽我先生がおいでになられた時の安居の写真です。

曽我先生来崎安居

夏になると、教区内の住職や若院。あるいは法務員が柳行李を担ぎ、暁烏敏、金子大榮、曽我量深などの浩々洞(こうこうどう)の諸師方の講義を聴聞にきていたと聞いています。この伝統が受け継がれ、現在の筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方が出講されていたそうです。曽我量深先生が昭和45年までおいでになられ、昭和46年に御遷化。その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』という名前で呼ぶようになったと言われています。

 

 最近まで長崎教務所で毎年行われていましたが、今では住職だけではなく、各お寺の役僧さんも多く集まるようになり、現在ではおおよそ50人以上の聴講者で本堂がいっぱいになるようになりました。そこで7年ほど前からだと思いますが、会所を佐世保別院に変更して行われています。今回は佐世保別院が会館建設のため、久しぶりに長崎教務所での開筵となりました。

来ならば、安居というのは、本山の本講の先生がおいでいただいて講義されるのですが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていますから、いわば純粋な安居ではないそうです。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。
安田先生ご夫妻来崎安居右の写真は安田先生ご夫妻が安居で来崎した頃の写真です。ちらほらと見覚えのあるかつての住職の顔が見えます。(向かって前列の左から3番目の下を向いているのが萬行寺の先々代の住職亀井信之。)

つて安田先生は曽我量深先生にこういわれたのだそうです。「「安田君、あなたは、長崎に行ってみなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。そこにあなたは行ってください」といわれてきたのだ」という話を聞きました。

 

 

今回は先年に引き続き『「正信偈」に聞く』というテーマで。今回は「大乗の仏道としての浄土教」講題で行われます。ご講師は今年で4年目になる藤場俊基先生です。

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