2013.09.29 Sunday
帰敬式二日目!!
まず受式にあたっての諸説明と心得をしたあと、受式後の聞法生活について書かれた受式者へ配られた記念品の小冊子を読みます。帰敬式を受けるということはどのようなことか、このような時代に帰敬式を受けるということはどのような意味があるのかということが書かれていました。
これから本堂に入りますが、ここで順番を間違えると法名を伝達するときに法名の渡し間違いがあるかもしれません。しっかり受式者番号と照らし合わせて整然と並んでの入堂です。
南無帰依仏/南無帰依法/南無帰依僧と称えながら一人一人剃刀を頭にあてていきます。今日は仏弟子としての誕生日です。現代は宗教離れが叫ばれています。また若い世代には自分の家の宗教が何宗の何派かも解らない人たちが多いのも事実ではないかとおもいます。また、核家族などにより手を合わせる機会の少ないのも現代の特徴です。そんな時代だからこそに真宗門徒としての自覚を一人一人が持ち、それ故に一人一人が自覚的な自律した宗教観を持って生きることが強く求められる、ある意味で理想的な宗教観を持ち得る井伊時代
でもあるとも云えます。そのようなことを考えてもれば。かつての時代の「私の家は真宗門徒です。」といっていた頃から一歩進んで「私が真宗門徒です」と自信を持っていえることが、自立を求められる時代を生きるうえで大事なことではないかと思います。
大谷派はこの五十年間真宗同朋会運動という信仰運動に古くなった宗門体質を克服するということを託してきました。その中の大事な柱に「個の自覚」という項目があります。これはまさに帰敬式を受けて一人一人が自立した念仏であることを願っていると受け止めていいのではないかと思っています。ですから帰敬式は同朋会運動の実践課題の一つではないかとも改めて思わされているところです。
なんとか一日目を終了。
初日は夜の式もあり計3回でしたが今日は朝と昼の部でおしまい。
いつ行っても緊張する式です。中には涙を流されるご門徒さんもいらっしゃいます。
一生に一度の大事な式ですので、執行する側も真剣です。
今回の帰敬式は「御遠忌お待ち受け」ということで大風呂敷を広げて受式者を募集しましたが、想像以上に反響があったことを有り難く思います。各地域の講頭さんや役員の方々が声かけをしてくださった賜物だと思います。重要なのは受式してしまって「はいおしまい」とならないように今後このご縁をどのようにいかしていくのかが課題となります。
今回の受式者の中には過去に帰敬式を受けたけれども法名を紛失してしまった方も随分いました。法名は時々出して確認をしてください。そして何よりも自分の名前ですからなるべく憶えてください。名前は称んで初めて名告りとなり、称ばれて初めて名乗られたものとして自覚することが出来るのです。南無阿弥陀仏も同じことがいえますが、子どもに「お母さん」と呼ばれて初めて自分が「お母さん」と自覚する。お母さんになろうという用きが起こってくるのです。そのように呼ぶ呼ばれるという関係に必要なものが名前なのですから法名も大事にしていただきたいものです
これから本堂に入りますが、ここで順番を間違えると法名を伝達するときに法名の渡し間違いがあるかもしれません。しっかり受式者番号と照らし合わせて整然と並んでの入堂です。
南無帰依仏/南無帰依法/南無帰依僧と称えながら一人一人剃刀を頭にあてていきます。今日は仏弟子としての誕生日です。現代は宗教離れが叫ばれています。また若い世代には自分の家の宗教が何宗の何派かも解らない人たちが多いのも事実ではないかとおもいます。また、核家族などにより手を合わせる機会の少ないのも現代の特徴です。そんな時代だからこそに真宗門徒としての自覚を一人一人が持ち、それ故に一人一人が自覚的な自律した宗教観を持って生きることが強く求められる、ある意味で理想的な宗教観を持ち得る井伊時代
でもあるとも云えます。そのようなことを考えてもれば。かつての時代の「私の家は真宗門徒です。」といっていた頃から一歩進んで「私が真宗門徒です」と自信を持っていえることが、自立を求められる時代を生きるうえで大事なことではないかと思います。
大谷派はこの五十年間真宗同朋会運動という信仰運動に古くなった宗門体質を克服するということを託してきました。その中の大事な柱に「個の自覚」という項目があります。これはまさに帰敬式を受けて一人一人が自立した念仏であることを願っていると受け止めていいのではないかと思っています。ですから帰敬式は同朋会運動の実践課題の一つではないかとも改めて思わされているところです。
なんとか一日目を終了。
初日は夜の式もあり計3回でしたが今日は朝と昼の部でおしまい。
いつ行っても緊張する式です。中には涙を流されるご門徒さんもいらっしゃいます。
一生に一度の大事な式ですので、執行する側も真剣です。
今回の帰敬式は「御遠忌お待ち受け」ということで大風呂敷を広げて受式者を募集しましたが、想像以上に反響があったことを有り難く思います。各地域の講頭さんや役員の方々が声かけをしてくださった賜物だと思います。重要なのは受式してしまって「はいおしまい」とならないように今後このご縁をどのようにいかしていくのかが課題となります。
今回の受式者の中には過去に帰敬式を受けたけれども法名を紛失してしまった方も随分いました。法名は時々出して確認をしてください。そして何よりも自分の名前ですからなるべく憶えてください。名前は称んで初めて名告りとなり、称ばれて初めて名乗られたものとして自覚することが出来るのです。南無阿弥陀仏も同じことがいえますが、子どもに「お母さん」と呼ばれて初めて自分が「お母さん」と自覚する。お母さんになろうという用きが起こってくるのです。そのように呼ぶ呼ばれるという関係に必要なものが名前なのですから法名も大事にしていただきたいものです