学習会(遇願洞)

今日は愚願洞。
若手を中心とした学習会、ただいま「本願文」を勉強しています。
仏説無量寿経の中で要中の要、四十八願をもう一度学んでみたいということで、始まったばかりです。
毎回発表者を決めて研究発表していただきます。
なかなか和気あいあいとして楽しい学習会です。

1組児童大会

毎年恒例の第一組児童大会が行われました。今回は長崎市の桶屋町にある光永寺さんで一日の行われました。
 ここは中島川沿いのお寺で市民会館の側にあります。
長崎大水害では目の前を流れる中島川が氾濫し大きな被害を受けたそうです。
ここはかつて天領のお寺さんで古い本堂は戦後、原爆で痛みが激しくGHQより解体命令が出てしまい解体せざるをえなくなったのだそうです。
その当時の本堂は17間あったそうで、ちょうど東本願寺の阿弥陀堂と同じくらいの大きさだったようです。長崎駅から桜町方面を見ると、現在市役所が建っている丘の上に本堂の棟が見えたというはなしを聞いたことがあります。長崎の古写真を見る限りではずいぶん立派な本堂が建っていたようです。今回、ご門首をお迎えして御親修の御遠忌が予定されています。庫裏も老朽化のために新築しました。
ここには福沢諭吉にまつわるものがあります。
門の前には「長崎県議会発祥の地」と書かれた石塔が立っています。ここの本堂で第1回から5回までの長崎県議会が開かれた由緒あるお寺です。


一組児童大会(光永寺)3

一組児童大会(光永寺)1

前日から準備した「流し素麺」も大好評!!大成功です。
竹を伐り出して半分に裂いて節を適当にとって吊るしただけですが、流れ具合も長さもちょうど良くみんな楽しく食べていました。
一組児童大会(光永寺)2

非核非戦法要 共に生きよ

8月9日は長崎で会いましょう。

<68年目の非核非戦法要厳修!>

 この法要は、たった一発の原子爆弾によっていのち奪われた人々の声なき声を聞きつつ、人間の心の闇を破ろうとする如来の大慈悲をいただく法要です。
長崎教区は原爆をご縁に長い間この法要を大切に勤めてきました。戦後の長崎教区は非核非戦とともにあったと言っても過言ではなかったといわれています。
私たち人間の心の在り方を“戦”と“核”という言葉で表現し、その心に「非」と問いつづける如来の深心を「非核非戦」としていただいてきました。
そこからたった一発の原爆によって焼かれ亡くなっていった方々が、人間という「いのちの相」は私たちに何を語りかけているのか。そのご縁を通して私たちは南無阿弥陀仏の教えをどのようにいただいていけばいいのか考えてきました。

 一般的には「非核非戦」と聞けば、戦争反対!核兵器反対!というイメージで受け取られそうなこの言葉。単にそこにとどまる言葉ではありません。
平和を求めて平和のために殺しあう。たがいに涙を流し、傷ついてもまた平和を求めて争いあう。これもまた人間ゆえの悲しみでもあります。
「戦争反対」と叫べば、その言葉によって新たな争いを生み出していくのも私たちの宿業です。「人間は互いに平和を叫びながら、銃を向けあい互いに傷つけあう存在」とある先生が言っておられました。

戦争を興すのは人間の「心」です。自身の欲望追求のために「核」を造ったのも人間の心です。自身の欲望のためにそんなものを造り出してしまう人間の心の闇(核)に「非(あらず)」といい、自身の欲望のために争いあう心に「非」と如来が叫んでいる。その大慈悲を指している言葉です。


 非核非戦の碑の中には原爆で亡くなった何万体ともいわれる引き取り手のない人たちのお骨が入っています。一発の原子爆弾によって焼かれた人々。その声なき声に耳を傾けると、「共に生きよ」との声が聞こえてくるのです。

 釈尊はこのようなことを言われています。
(要約)争いあい憎しみあう世界の中にあっても、われわれは争いあうことなく憎しみあうことなく安穏に生きよう。


非核非戦の碑 清掃奉仕

今日は毎年8月9日に長崎教務所にある長崎教会で行われている「非核非戦法要」の準備で境内の清掃作業です。


「非核非戦の碑」は、長崎教区の歩の中で最も大事にしてきた財産でもあり、教化活動でもあり、法要でもあります。<以下は長崎教区HPより引用>■1945年8月9日11時2分、長崎上空に飛来したB29「ボックスカー」より投下された一発の原子爆弾によって、長崎は一瞬にして「死の街」へと変貌しました。その時の死者は、約15万人とも言われています。■累々と横たわる亡骸は、その多くが荼毘に付されたものの、その後長らく野ざらしになったものもあり、また荼毘には付されたものも、お骨の状態で放置されていたものも多くあったと聞き及んでいます。そして、多くの亡骸を荼毘に付し、放置されていた場所のひとつが、現在の松山陸上競技場だったそうです。
■原爆投下の翌年、進駐軍が松山陸上競技場に飛行場を建設することとなりました。このままではお骨が重機に踏み潰されてしまう、と危惧された人々が立ち上がり、進駐軍に飛行場の着工をしばらく待たせ、その間にお骨を収集しました。その後も、お骨が見つかるたびに納められ続け、今では1万体とも、 2万体とも言われるお骨が、ここ長崎教会の「非核非戦の碑」に、収められています。■しかし、この収骨所は、決して原爆で亡くなった方々の「慰霊」のために建てられたのではありません。ヒトを殺さねばならなかった、戦争をせねばならなかった、そして原爆を造り落とさねばならなかった、すべての人間の「無明」が、私の「愚かさ」が明らかとなる「場」として、この収骨所はあるのです。■国籍も、出身地も、名前も、年齢も、性別も、まったく分からない人々が私たちに尋ねて下さるのは、「共に生きよ」ということです。それ故、他者にはたらきかける「反」をも内に抱き、自らのうちに問いかける「非」ということばをもって、碑文としました。是非一度、お立ち寄り下さい。



そのあとは毎年恒例のバーベキュー。匂いに誘われて仕事上がりの若者達が夜な夜な集まってきます。
賑やかな夜です。

日曜学校、島原へ

夏も本番、お寺の日曜学校には夏休みはありません。毎週日曜日になると子どもたちが集まってきます。以前に比べると子どもたちの数が若干ですが増えてきました。そこで「せっかくの夏休みなので、どこか遠くに行きたいな」ということで
以前もうかがった若坊守の郷、雲仙市南串山にある浄土真宗本願寺派のお寺楽常寺さまにおじゃましました。
去年はお盆の次の日に浄土真宗本願寺派のお寺光源寺さんを訪ねて「飴屋の幽霊」をみました。

今回の目的の一つに6月に誕生した三女、依子(よりこ)ちゃんに会いにいくためです。以前は3歳年上の双子のお姉ちゃんが誕生したときでした。
途中、お昼は唐比でバイキングをたらふく食べて出発です。

お寺では大変な歓待を受けてご門徒のみなさんも大喜び。
若院さんにご法話いただき、子どもたちも大喜び。依子ちゃんも可愛いと大はしゃぎ。
美味しいケーキとお茶までいただきました。
11月には親鸞聖人七五〇回大遠忌が勤まり、若院さんが新しく住職となられます。
忙しい中に時間を作ってくださって楽常寺のみなさま大変ありがとうございました。

記念撮影をパチり。
はい!そこ!よそ見をしない!



帰りは小浜の足湯につかってかえりました。
久しぶりの遠出、いい思いでになったことでしょう。また機会があれば日曜学校で色んなお寺を訪問して見たいと思います。巡回の日曜学校をしてみたいですね。


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