帰敬式募集締め切り!!

長い間募集をしていました帰敬式の応募を本日締め切りました。募集にご協力いただいた方々。ありがとうございました。

お寺で結婚式

今日は少し雨が降りましたがなんとかもって暑くならないだけいいのではないでしょうか。ということで、結婚式を行うにはこの時期にしては絶好の気候です。新婦の衣装はいずれにしても式をするには少し熱いかもしれません。
いやぁ、いい結婚式でした。結婚式というと「教会か神社で挙げるもの」というイメージが強いのではないかと思います。最近では式は行わず、パーティー形式のものが多くなってきているそうです。いわゆる人前結婚式というやつですね。神仏の前で結婚を誓うということは大事なことではないでしょうか。
お寺での結婚式もいいものですよ!
どうぞ申し込みをお待ちしていますよ。

 

帰敬式の集い

 今回でようやく5回目になる帰敬式の集いですが、年々参加者が減ってきています。最初の年は幸先がよく60名を越えていましたが、去年ともなると10名ほどになりました。今年はさらに少なくなって5名。こちらの努力不足が露呈された形になりました。
これだけ参加者が減ってしまったということは、参加者の要望にこちら側が十分応えられなかったこと。または「また来たい」と思っていただける工夫と努力が足りなかったということをだろうとおもいます。
一方で、帰敬式を受られた方の意識の中にも「仏弟子」となるということの大切な意味が深まっていないのだとも思われます。また、そこのところが大きな課題です。

しかし、よく考えるとこれぐらいの人数の方が一人一人法名の意味をしっかりお話し出来るのでいいものです。、一宗の繁盛 と申すは、人の多く集まり、威の大なる事にてはなく候』と蓮如上人がいわれるように、人がそこにたくさん集まっていればそれでいいのかということもあろうかと思います。
住職が一人一人丁寧に法名の意味を語っていました。
次回は賑々しい会になることだろうと思います。

長崎教区秋安居(ながさききょうく しゅあんご)三日目

信偈に学ぶ
本願念仏の歴史 ー法蔵菩薩願心の成就ー
    藤場俊基師

 最終日の今日は寺族物故者の追徴法要が行われました。
今年は三名の方が亡くなられました。ああそういえば、あの人も亡くなられたんだったなと
それぞれ寺院の興隆に力を尽くされた方々です。

さて、長い間「往生」と「成仏」という問題をどのように捉えていけばいいのかという大論争がありました。これを曽我量深先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」という端的な言葉で明確に示されておられます。

長崎教区秋安居(ながさききょうく しゅあんご)二日目

今日も長い一日です。ずっと座りっぱなしというのもけっこうキツいものです。
先生もずっと講義をされるのですから本当に大変だなと思います。
思えば曽我量深先生が長崎に安居に来られたのは最晩年の頃だと聞いています。80歳すぎての講義は体力・気力ともに大変なことだったのだろうと思います。
曽我先生に「長崎に行きなさい。長崎の人は墨袈裟をかけて座っておられるのでぜひ行った方がいい」といわれて安田理深先生が長崎にお見えになられたのだそうです。これまで、そうそうたる先生方が安居の講師を勤めていらっしゃいます。

二日目は大衆供養が行われ、教区内のご門徒さんが参詣されての法要です。
「仏説阿弥陀経」が総勢50名近くの僧分により読誦されます。この一年で賑やかなお勤めです。




長崎教区秋安居開筵(ながさききょうく しゅあんごかいえん)

年恒例の秋安居。
 大体のお寺は6月は比較的葬儀や行事ごとの少ない月で、比較的出やすい月です。といっても忙しいお寺はたくさんありますが。
今日から3日間、佐世保別院に一同が会して泊まり込みで学習会と教区総会が開かれます。
お医者さんだったら◯◯学会というように、どの業界でも一同に集まって学習や見識を深める研修会などがあるだろうと思います。お坊さんの業界ではこの安居がそれに当たるのではないかと思います。
安居は釈尊在世の時代からの伝統的なものなのだそうです。
本来、宗門が定めた本講の講師をお招きして勤められるものが大谷派の正式な安居ですが、長崎教区は独特の成り立ちによって始まったもので、宗門の規定する本講の安居とは違ったやり方でお毎年行ってきました。講師の腑地場先生がいわれるには、規模も参加者の多さも今はこんな安居はないのだそうです。かつては前列に座っているのは熱心な若手か教学に関心の高い方々が座っています。長崎の場合、前列に座っているのは教区の重鎮や老僧方が座っておいでになる。大体今は老僧や教区のベテラン方は参加されないか、あるいは端っこの方に座っておられる。老僧方はほとんど参加なさらない。と言われていました。

ずは初日。


「正信偈」についての講義が
藤場先生は今年で二年目。一期が3年の約束ですから、来年までおいでになります。




御拝口に手摺をつけました。

御遠忌に向けて、少しづつですが準備をしています。
今回はご門徒さんの要望により、御拝口(本堂入り口)に手摺をつけました。
階段の上り下りがキツといわれる方が多くなりました。この前は階段を下りようとして滑って骨折された方がいらっしゃいましたので、遅い対応ではありますが、これはいけないということで急いで手摺をつけました。まあ、何かがおこってから取り付けるというのはお粗末ですが、これからはさらに早い対応が求められるだろうなとおもいます。
それにこれからは高齢化社会。さらにその次の時代は超高齢化社会がやってくることになっています。どうなることやらとおもいますが、それに対応するにはまだまだ様々なことがお寺には要求されることだと思います。遅れをとってはならないと思います。

帰敬式についての説明会 その7

長崎市の大橋メモリードホールをお借りして、長崎市内の方を中心に説明会を行いました。
やはり宗教団体ということが足かせになってこちらが思うようには行きませんでしたが、それでもこころよく施設を提供してくださった方に感謝いたし、お礼申しあげます。

これまで14カ所で説明会を行いましたが、これで一応、全て終了です。
やり尽くしたとはまったく言えませんが、これまで行ったことのない新たな試みとしては非常に収穫のある説明会だったと思います。
このように”説明”をしてその意義を理解していただくということは大事なのだなと深く感じました。

今回は18人の参加がありました。
萬行寺のご門徒は滑石と横尾地区の一部に古くからのご門徒がありますが、多くの長崎市内に住まいの方は、新規の門徒になられた方。または時津町から転居して市内移られた方が多くいらっしゃいます。ですからその多くが昔で言う「分家」の方がたです。それぞれの地域において様々反応が違いますが長崎市内も独特の反応でした。

今回のとても大事だと思ったことは、帰敬式は何かと言えば、「自分の家は真宗門徒と言っていた者が、自分は真宗門徒です」とはっきり言える者に成ろうと言うことだったと感じました。そこに宗教的自覚を持った「個」が一人(いちにん)として、単独者として誕生することが願われているのです。現代の社会は、集団のという枠から飛び出した個が一人歩きしています。この現実社会をこの身に受けて前に進んで行くためには、とても大切な要素だと感じます。

説明が終了後、時間のゆるすかぎりお茶をのみながらミニ座談会を行いました。
「私は主人を失くしてお寺にご縁をいただきました。これまでどこがいいかなと、色んなお寺を拝見させてもらいましたが、いつまで自分がもふらふらしていてはどこにいても何をしていても一緒だと思い、どこかにしっかりと身を据えて教えを聞いていきたいと言う気持ちが強くなりました。それで県外に就職した息子と相談して萬行寺さんにお世話になろうと決めました。そのときに帰敬式というのが今度あると聞いて式を受けることにしました。」という方がいらっしゃいました。
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