井戸の補強・改修工事

<井戸の歴史にまつわること>



 萬行寺は、1647年(正保4)に現在地から200メートルほど離れた小嶋というところに萬行寺の開基と言われている御厨左馬之助/みくりやさまのすけ(法名 道夢)が小さな草庵を結んだのがはじまりだといわれています。
現在でもその時のご本尊は庫裏のご本尊として現役で活躍しています。
 そして1666年(寛文6年)に第三世 了閑が川棚 福浄寺引退後に弟のいる時津に転住し、現在地である六屋敷(むつやしき)に本堂・庫裡を新築しました。
それから17年後の1683年(天和3年)に了閑が亡なった年の5月7日に寺号を西本願寺よりいただき、亀水山(きすいざん)萬行寺となったといわれています。

 ここに萬行寺が出来る以前はさきほども書いたように、六屋敷と呼ばれ、なんらかの屋敷が建っていたと言われています。その以前からこの井戸はあります。深さは9メートル。正確な年代などはっきりしたことは分かっていません。推測するに400年以上はこの井戸は涸れたことがないだろうと考えています。萬行寺の山号は「亀水山」ですが、その由来は亀のような岬だった六つ屋敷に井戸があったからだとも言われています。
ある意味で萬行寺を象徴する井戸ともいえます。
1982年(昭和57年)7月に発生した長崎大水害の時には萬行寺は避難所にもなりました。そして、長い期間の断水のために水を求めてきた人で長蛇の列が出来るほどの大活躍をしました。
そういうことから、この井戸は以前から時代とともに利用する機会も減っているし、崩落すると危険であることからなくしてはどうかと言う意見もありましたが、災害や水が足りない、庭の水まきなどに利用出来るということから、保存していくだけの価値があるということで、補強と改修工事をすることとしました。

まずは石をはがし、作業がしやすいようにユンボである程度の深さまで掘っていきます。
ここからはユンボがとどかないので、手作業で掘っていきます。時間のかかる作業です。途中からは壁が崩落して袋状に膨らんでいて広くなっています。そこのところまで手作業で土が落ちて中の水源を塞がないように丁寧に掘り下げていきます。




ある程度掘り終わったら土管を入れていきます。なにせ9メートルあるのであすから土管を3本入れないと上まではとどきません。土管にはタラップがついていていざという時の掃除や点検やポンプの修理がしやすいようになっています。これまでは危険すぎて中に入ることができませんでしたので、これでしばらくは安心です。


土管を埋め込んだら周りに砂利などを入れて固定します。これが出来あがるとこれから200年ほどは井戸が干上がらないかぎり大丈夫とのこと。こまめに使って枯らさないようにしなければいけません。

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