神明

一切の神明と申すは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくくおもふあひだ、神明の方便に、仮に神とあらはれて、衆生に縁をむすびて、そのちからをもつてたよりとして、つひに仏法にすすめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止観
しかん
)といへるはこのこころなり。

されば今の世の衆生、仏法を信じ念仏をも申さん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆゑに、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこころはこもれるゆゑなり。

28日は

毎月28日は親鸞聖人の御命日です。
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真宗のことば58

生きる喜び、生き甲斐は、私のこころの沙汰ではなく、存在そのものが持っていたことなのです。

             池田勇諦『同朋』

子ども会巡回/柳渓寺

待望の夏休みが始まり、

今日は野母崎方面のお寺で子ども会巡回が行われました。
お寺の名前は柳渓寺(りゅうけいじ)といいます。


今回のゲーム担当は西光寺のご住職。
昔からこのような子どもが集まる時には得意なゲームを一つ披露することがありました。
既成のゲームをアレンジして飽きないようにしていました。さすがベテランは違います。子どもたちの楽しそうな様子が伝わってきます。



次は、新聞紙の文字探しです。



あまり時間はありませんでしたが、海にも遊びにいきました。少し曇り気味で残念でしたが、それでも子どもたちは遊びの天才。すぐに遊び出していました。帰りは車の中で疲れてぐっすり眠っていました。


作上がり法要

作上がり法要は二日間です。

今年の作上がりは、参詣者が少なかったように感じました。

もう終わりましたが、大体このころになると、時津の港から太鼓や鐘の音が聞こえてきます。ペーロンの囃子です。
ペーロンとは、約14mの船に約30人が乗り込み、太鼓と鐘の調子に合わせて競漕する、いわゆるボートレースです。
最近は太鼓は載せないそうですが、鐘の賑やかな音は陸まできこえてきます。
調べてみると、歴史は古く1655年(明暦元年)唐船で長崎に来航した中国人の手で始められたとありました。
ペーロンは元来、端午の節句に行なわれるのがしきたりだったといわれています。しかし、今は夏の風物詩のひとつとして各地で広く行なわれるようになりました。また最近では中国と国際試合を行なうまでになっています。



昔は銅鑼や太鼓・笛などの鳴り物を乗せてのろしを上げ、現在のような速さを競い合うものではなく、船で湾内を漕いで作物の実りや海の大漁を神に感謝し、奉納祭りだったともいわれていますが、確かな事はわからないそうです。

いずれにしてもこの時期は、作物がひとしきりあがる「作上がり」の時期にあたるために何らかの形で神仏に祈りを捧げていたということはあったのではないかと想像できます。



昨今では、農業従事者や漁業の仕事に従事する人も減ってきていることから、このようなことは時代とともに様変わりしてきたのだろうと思います。いずれにしても、時代の淘汰とはそのようなものなのかもしれません。

いや、お寺もその例外ではないのです。

作上がり法要

「正信偈のいわれ」をお話しいただきました。
境内にはきれいな蓮の華が咲いています。














「作上がり」ということばから、昔の人たちの生活の豊かさを感じます。

 昔の人は農閑期になると、「農作業も一段落。静かに本を読むような時間も出来たから、そろそろお寺に行こうじゃないか。」といってお寺に仏法を聞きに集まっていたそうです。
それはお寺に行くぐらいしか他に楽しみがなかったからだという人もいます。それもそうかもしれません。現代のように車もなければ、どこか楽しいイベントでもやっていないかなとパソコンやテレビなどで情報を手軽に仕入れられる時代ですからいわれるのももっともかもしれません。しかし、そこには「農作業も一段落。静かに本を読むような時間も出来たから、そろそろお寺に行こうじゃないか。」という昔の人のたしなみにはもっと違う大切なことをいっているのではないかと思います。
ゆっくり静かに物事を考える・・・・そのような時間はとても大切だなと最近ことに思います。
 今はたとえ生活が貧しくとも、心が豊かでのびのびした生活はまれになってきているようにも感じます。「殺伐としている」という代名詞があたるような現代は、ただ慌ただしく一日中仕事に終われ、家へ帰ると疲れはてて寝てしまう。そのような毎日の中にあっても、人の心は常に本当の意味で解放されるような有り方を求めているのではないでしょうか。

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