長崎教区秋安居

 今日から3日間、東本願寺佐世保別院に泊りです。毎年恒例の長崎教区秋安居が開筵(かいえん)されます。



居とは、元々梵語の雨期を日本語に訳したもので、古くはお釈迦様の時代から伝統されてきた修行の形態だそうです。
ンドでは毎年雨期にあたる4月から7月の約100日間、草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動する時期に入るため、遊行(外での修行)や布施行や托鉢をすると無用な殺生をするのを防ぐ目的もあり、その時期だけそういった修行をやめて一定期間一カ所に集まって僧侶が集団で修行する期間のことを安居というのだそうです。
本にも仏教の伝来とともに中国から伝わってきました。^現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れるのだそうです。


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教行信証に学ぶ
『真実証文類に浄土真宗を学ぶ』池田勇諦師



日間、教区内からたくさんの僧分があつまります。初日は約50名近くの僧分が集まりました。長崎教区には全部で50ヵ寺の寺院があります。大谷派の教区の中では全国で二番目に小さい教区で、その中の半分近くの寺院に法務員さんがいます。その法務員さんも法務はいったん休んで一同会しての安吾ですから賑やかなものです。教区の伝統としては、

<萬行寺の住職談>
崎教区の安居は70年以上昔、西坂(現在の長崎駅前の26聖人殉教の地)に東本願寺長崎教務所があった時代に『夏期講習会』として始まりました。夏になると、教区内の住職(当時は住職のみだったそうです。)が柳行李を担いで、暁烏敏、金子大榮、曽我量深など浩々洞(こうこうどう)の諸師方のお話をききにきていたそうです。
 の伝統が受け継がれ、現在の筑後町に教務所が移転しても相変わらず浩々洞出身の先生方はおいでになられました。曽我量深先生は昭和45年までおいでになられ、翌年の昭和46年に御遷化なさいました。その頃、長崎教区で『秋安居/しゅあんご』という名前で呼ぶようになりました。
現在では、佐世保別院で毎年行われています。
 来は、”安居”というのは、本講の先生がおいでになってお話しするものですが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていますから、いわば純粋な安居ではありません。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず現在でも「夏期講習会」のスタイルをとっています。

 かも、曽我先生は安田先生にこういわれたたそうです。「安田君、あなたは、長崎に行ってみなさい。長崎の皆さんは、威儀正しく墨袈裟を掛けて正座をしているんだ。そこにあなたは行ってくださいといわれてきておるのだ。」そう安田先生からお聞きしました。非常に素朴な受け止め方をしている。我々が墨袈裟を掛けていることを曽我先生も、安田先生も非常に大切にしておられた。    

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