2011.04.25 Monday
御遠忌団参でいこう!! 三日目 御縁忌参拝
三日目はいよいよ御遠忌参拝。この日のためにはるばるやってきました。
襟を正して、いざ真宗本廟へ。
第2期法要は4月19日(火)から4月28日(木)まで勤めらます。
修復後初めての真宗本廟。大きなスロープが正面にありました。
1座で約5500人程のご門徒方が参堂されました。
第2期法要は、第1期法要の「被災者支援のつどい」の願いが引き継がれ、法話や感話においても、震災を受けてのお話でした。
法要では、被災された方々に思いを馳せながら念仏を称え、厳かに勤まれました。
【式次第】
真宗宗歌
門首のことば
内局挨拶
感話
法話
勤行
伽陀 稽首天人
登高座
表白
伽陀 直入弥陀
下高座
正信偈 草四句目下(同朋唱和)
念仏讃 淘三
和讃 弥陀大悲の誓願を 次第六首
回向 願以此功徳
災害救援本部からの報告
決意表明
恩徳讃
【宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 決意表明】
あらためまして、本日、ご参集の皆さまと共に、東北地方太平洋沖地震災害「被災者支援」、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要にお遇いできましたことを、まことに有り難く受けとめるものであります。
私たちは、このたびの巨大地震激甚災害の只中でお迎えいたしました御遠忌法要において、現代という時代に、はからずも仏教にご縁をいただき、お念仏の教えに基づいて生きる浄土真宗の門徒であることを、あらためて、一人ひとりが問い直す、大事な使命を頂戴いたしました。
震災の痛ましい現実に、日々、支援の思いが込み上げながら、南無阿弥陀仏のはたらきに照らし出されるみずからは、自分の思い・分別の始末に困りはてている、煩悩具足・罪悪生死の凡夫であります。
この惨状に真宗はどのようにはたらく教えだろうかと自問すれば、それ以前にそもそも何か教えが身に付くような自分であるのかと、厳しく問い返されることであります。私たちは、被災者の方々のために何かをするというよりむしろ、何も徹底できない、はなはだ申し訳ない自分である、というところに立ち、であればこそ、決して沈み込まずに、せずにおれないこととして、精一杯の救援活動に取り組むべきでありましょう。
「慣れ」や、記憶の「薄れ」がもたらす危うさ、すなわち「日常性の埋没」・「事象の風化」を、自分の問題として引き受けながら、できるかぎり、救援金を出し合い、物資をお届けし、ボランティア活動などの支援を、具体的に持続していく、継続的な取り組みを行ってまいりたいと思います。今ここに、御遠忌基本理念として掲げてまいりました。
「宗祖としての親鸞聖人に遇う」という言葉を、あらためて受けとめますとき、その意義は、すでにして大無量寿経に「汝、起たちて更に衣服を整え 合掌恭敬して、無量寿仏を礼したてまつるべし」と、真実の教えをもって示されておりました。
被災された方々は、私たちに、人と生まれた悲しみをとおし、共に生きるものが人間である、という大切なことを思い出させてくださいました。
代理のきかない我が身・人生であり、やりなおすことはできません。しかし、共に見直すことはできます。見直すとは、自分の考えのみを正しいこととして、間がらを断ち、常に座り込もうとする怠惰で傲慢な在り方が、教えによって知らしめられ、そこから謙虚に起ち上がり続けることであります。
今こそ、一人ひとりが親鸞聖人に真向かい、これまで分かりきったことにしていた「出遇い」や「つながり」を受け取り直す必要があります。それは、帰依三宝の生活を回復すること、すなわち「如来よりたまわりたる信心」によって成り立つ「方向のある生活」と「真のつながり」を、共に培っていくことにほかなりません。
本日、ご法要にお遇いした私たちとして、「共に念仏申し、起ち上がり続ける」ことを、親鸞聖人の御真影の御前にて表明し、このたびの御遠忌法要における、宗門の決意とさせていただきたく存じます。
阿弥陀堂の屋根。これから修復に入るそうです。
御影堂の大屋根。迫力があります。
各教区がそれぞれの展示を行っています。長崎からは「非核非戦」の展示です。
襟を正して、いざ真宗本廟へ。
第2期法要は4月19日(火)から4月28日(木)まで勤めらます。
修復後初めての真宗本廟。大きなスロープが正面にありました。
1座で約5500人程のご門徒方が参堂されました。
第2期法要は、第1期法要の「被災者支援のつどい」の願いが引き継がれ、法話や感話においても、震災を受けてのお話でした。
法要では、被災された方々に思いを馳せながら念仏を称え、厳かに勤まれました。
【式次第】
真宗宗歌
門首のことば
内局挨拶
感話
法話
勤行
伽陀 稽首天人
登高座
表白
伽陀 直入弥陀
下高座
正信偈 草四句目下(同朋唱和)
念仏讃 淘三
和讃 弥陀大悲の誓願を 次第六首
回向 願以此功徳
災害救援本部からの報告
決意表明
恩徳讃
【宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 決意表明】
あらためまして、本日、ご参集の皆さまと共に、東北地方太平洋沖地震災害「被災者支援」、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要にお遇いできましたことを、まことに有り難く受けとめるものであります。
私たちは、このたびの巨大地震激甚災害の只中でお迎えいたしました御遠忌法要において、現代という時代に、はからずも仏教にご縁をいただき、お念仏の教えに基づいて生きる浄土真宗の門徒であることを、あらためて、一人ひとりが問い直す、大事な使命を頂戴いたしました。
震災の痛ましい現実に、日々、支援の思いが込み上げながら、南無阿弥陀仏のはたらきに照らし出されるみずからは、自分の思い・分別の始末に困りはてている、煩悩具足・罪悪生死の凡夫であります。
この惨状に真宗はどのようにはたらく教えだろうかと自問すれば、それ以前にそもそも何か教えが身に付くような自分であるのかと、厳しく問い返されることであります。私たちは、被災者の方々のために何かをするというよりむしろ、何も徹底できない、はなはだ申し訳ない自分である、というところに立ち、であればこそ、決して沈み込まずに、せずにおれないこととして、精一杯の救援活動に取り組むべきでありましょう。
「慣れ」や、記憶の「薄れ」がもたらす危うさ、すなわち「日常性の埋没」・「事象の風化」を、自分の問題として引き受けながら、できるかぎり、救援金を出し合い、物資をお届けし、ボランティア活動などの支援を、具体的に持続していく、継続的な取り組みを行ってまいりたいと思います。今ここに、御遠忌基本理念として掲げてまいりました。
「宗祖としての親鸞聖人に遇う」という言葉を、あらためて受けとめますとき、その意義は、すでにして大無量寿経に「汝、起たちて更に衣服を整え 合掌恭敬して、無量寿仏を礼したてまつるべし」と、真実の教えをもって示されておりました。
被災された方々は、私たちに、人と生まれた悲しみをとおし、共に生きるものが人間である、という大切なことを思い出させてくださいました。
代理のきかない我が身・人生であり、やりなおすことはできません。しかし、共に見直すことはできます。見直すとは、自分の考えのみを正しいこととして、間がらを断ち、常に座り込もうとする怠惰で傲慢な在り方が、教えによって知らしめられ、そこから謙虚に起ち上がり続けることであります。
今こそ、一人ひとりが親鸞聖人に真向かい、これまで分かりきったことにしていた「出遇い」や「つながり」を受け取り直す必要があります。それは、帰依三宝の生活を回復すること、すなわち「如来よりたまわりたる信心」によって成り立つ「方向のある生活」と「真のつながり」を、共に培っていくことにほかなりません。
本日、ご法要にお遇いした私たちとして、「共に念仏申し、起ち上がり続ける」ことを、親鸞聖人の御真影の御前にて表明し、このたびの御遠忌法要における、宗門の決意とさせていただきたく存じます。
阿弥陀堂の屋根。これから修復に入るそうです。
御影堂の大屋根。迫力があります。
各教区がそれぞれの展示を行っています。長崎からは「非核非戦」の展示です。