2011.03.22 Tuesday
2011.03.21 Monday
彼岸会 四日目
東北関東大震災義援金箱を設置しています。
この度のような未曾有の災害に対して私たちは何をすべきなのでしょうか。自分たちの生活を深いところからもう一度見つめ直す必要があるのかもしれません。あの被災地の映像を見ると、なんといえばいいのか適当な言葉が見つかりません。
ここにこうして普通の日常をおくっている事さえ、申し訳のない感じさえするのです。しかしその一方で念うことは、いま自分にとって大切なのは”誰かに何かをしてあげる”ということではなく、「自分はこの状況において、いま自分がなさなければならない事は何か」ということを考えることが大事なのではないかと感じています。それが直接災害に関係ない事だとしても、
親鸞聖人のご往生の後、聖人の妻であった恵信尼が末娘の覚信尼に宛てた手紙の中に、建保2年、当時42歳の聖人が布教の本拠地を越後から関東に移されるとき、東国上野国佐貫(現在の群馬県邑楽郡板倉町)に滞在された時のエピソードが出てきます。この時代、東国では地震が頻発し、大雨や洪水、飢饉(ききん)による被害が相次いでいました、聖人が「さぬき」に着かれた建保2(1214)年の夏にも東国の洪水の記述を見ることができます。このような住民の逼迫(ひっぱく)した状態をみて「何とかしてあげたい、救ってあげたい」と念じられ、「三部経千部読誦」を思いつかれたと書かれています。この手紙は当時の聖人の心境が那辺にあったかを物語るものといえましょう。当時は、経典を1,000回も読むということは民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。しかし、聖人は自分のとった行為や考えが「「自ら信じ、人に教えて信じさせることが本当の仏恩報謝だと信じているのに、名号を称えるほかに、何の不足で、どうしてお経を読もうとするのだろうかと、4〜5日ほどして思い返して読むのを止めて常陸(ひたち)(茨城)のほうへおいでになった」というエピソードが残されています。
このエピソードは各地で災害の起こるたびに「親鸞聖人はこのような時どうなされたか」ということでよく紹介されるエピソードです。
一度、私たちは困難に出会ったならば、その現実の前に立ち尽くす以外にありません。しかし、そのような人々を見ると、なにか自分にも出来る事があるのではないかと思うのも人間の感情として当然の事だろうと思います。
この度のような未曾有の災害に対して私たちは何をすべきなのでしょうか。自分たちの生活を深いところからもう一度見つめ直す必要があるのかもしれません。あの被災地の映像を見ると、なんといえばいいのか適当な言葉が見つかりません。
ここにこうして普通の日常をおくっている事さえ、申し訳のない感じさえするのです。しかしその一方で念うことは、いま自分にとって大切なのは”誰かに何かをしてあげる”ということではなく、「自分はこの状況において、いま自分がなさなければならない事は何か」ということを考えることが大事なのではないかと感じています。それが直接災害に関係ない事だとしても、
親鸞聖人のご往生の後、聖人の妻であった恵信尼が末娘の覚信尼に宛てた手紙の中に、建保2年、当時42歳の聖人が布教の本拠地を越後から関東に移されるとき、東国上野国佐貫(現在の群馬県邑楽郡板倉町)に滞在された時のエピソードが出てきます。この時代、東国では地震が頻発し、大雨や洪水、飢饉(ききん)による被害が相次いでいました、聖人が「さぬき」に着かれた建保2(1214)年の夏にも東国の洪水の記述を見ることができます。このような住民の逼迫(ひっぱく)した状態をみて「何とかしてあげたい、救ってあげたい」と念じられ、「三部経千部読誦」を思いつかれたと書かれています。この手紙は当時の聖人の心境が那辺にあったかを物語るものといえましょう。当時は、経典を1,000回も読むということは民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。しかし、聖人は自分のとった行為や考えが「「自ら信じ、人に教えて信じさせることが本当の仏恩報謝だと信じているのに、名号を称えるほかに、何の不足で、どうしてお経を読もうとするのだろうかと、4〜5日ほどして思い返して読むのを止めて常陸(ひたち)(茨城)のほうへおいでになった」というエピソードが残されています。
このエピソードは各地で災害の起こるたびに「親鸞聖人はこのような時どうなされたか」ということでよく紹介されるエピソードです。
一度、私たちは困難に出会ったならば、その現実の前に立ち尽くす以外にありません。しかし、そのような人々を見ると、なにか自分にも出来る事があるのではないかと思うのも人間の感情として当然の事だろうと思います。
2011.03.20 Sunday
彼岸会 三日目
さすがに彼岸。日中は参詣は多いです。多いといっても満堂ではありません。参詣者は昔から足しげく通ってくる同行が多く、その同行も年々高齢化し、一人減り二人減り、後が続かなくなってきているのです。
それは私どもの努力がり足りないせいです。
環境や時代のせいにしてはいけません。しかし、あえていわせてもらえば、その背景の一つには、「核家族」と「少子高齢化社会」にあります。それに伴い、若者世代の生活に精神的にも経済的にも余裕がなくなってきたのが原因ではないかと考えられます。それでも一番大事な事は、お寺に時間を割いてでも仏法を聞きに来る魅力や価値を見いだせない我々の努力不足、そして環境作りが問題なのではないでしょうか。実に反省させられます。
参詣者が減っていく。そのような状況を憂慮し、真摯に反省できていません。そして、お寺に居を構える者が危機感をもてないのはなぜでしょうか。他人事のようにいっていますが、その実は「まだ何とかなる」、「門徒はお寺に参って当たり前」。そのような過去の感覚に胡座をかいて、現代の状況を観ずる事が出来なくなって危機感を鈍らせているのではないでしょうか。都会では「門徒がお寺を選ぶ」ということも聞いています。しかし、お寺を運営は客商売でやっているのでありません。ですから門徒はお客ではないのです。しかし、そうは言っても、現代は悲しいかな患者が医者を選ぶ時代ともいわれています。寺院は門徒の数が多いから潰れないのではありません。信心の行者が居なくなれば宗教が枯渇し、立派な伽藍と袈裟を着ただけの葬式坊主を残して廃墟となるのです。
閉塞的ともいわれるお寺を、どのように地域とコミットし、このような実際社会の中で様々な悩みや苦しみを抱える人のただ中で、存在意義と価値を見いだしていけるか。このことは全ての事を一から見直さなければいけない時期に来ているのではないかとも考えています。
逮夜は三澤氏のお話。お話というよりも真宗門徒の作法について講議といったところでしょうか
今日の夜の参詣は相変わらず少ない参詣でした。みなさん夜の座にもぜひご参詣ください!
一生懸命行います。おねがいします!!
それは私どもの努力がり足りないせいです。
環境や時代のせいにしてはいけません。しかし、あえていわせてもらえば、その背景の一つには、「核家族」と「少子高齢化社会」にあります。それに伴い、若者世代の生活に精神的にも経済的にも余裕がなくなってきたのが原因ではないかと考えられます。それでも一番大事な事は、お寺に時間を割いてでも仏法を聞きに来る魅力や価値を見いだせない我々の努力不足、そして環境作りが問題なのではないでしょうか。実に反省させられます。
参詣者が減っていく。そのような状況を憂慮し、真摯に反省できていません。そして、お寺に居を構える者が危機感をもてないのはなぜでしょうか。他人事のようにいっていますが、その実は「まだ何とかなる」、「門徒はお寺に参って当たり前」。そのような過去の感覚に胡座をかいて、現代の状況を観ずる事が出来なくなって危機感を鈍らせているのではないでしょうか。都会では「門徒がお寺を選ぶ」ということも聞いています。しかし、お寺を運営は客商売でやっているのでありません。ですから門徒はお客ではないのです。しかし、そうは言っても、現代は悲しいかな患者が医者を選ぶ時代ともいわれています。寺院は門徒の数が多いから潰れないのではありません。信心の行者が居なくなれば宗教が枯渇し、立派な伽藍と袈裟を着ただけの葬式坊主を残して廃墟となるのです。
閉塞的ともいわれるお寺を、どのように地域とコミットし、このような実際社会の中で様々な悩みや苦しみを抱える人のただ中で、存在意義と価値を見いだしていけるか。このことは全ての事を一から見直さなければいけない時期に来ているのではないかとも考えています。
逮夜は三澤氏のお話。お話というよりも真宗門徒の作法について講議といったところでしょうか
今日の夜の参詣は相変わらず少ない参詣でした。みなさん夜の座にもぜひご参詣ください!
一生懸命行います。おねがいします!!
2011.03.19 Saturday
彼岸会 二日目
今日の日中で此松先生のお話は終わりです。
先生はこれから約4時間ほどかけて帰って自坊の彼岸法要の準備をされるそうです。
おつかれさまでした。此松先生のお話は、終止笑いがたえない楽しいご法話でした。ご法話が終わった後も、先生は人気の役僧さんだったようで、お座敷からも賑やかな声が聞こえていました。
本堂の入り口付近に「東北・関東義援金箱」を設置いたしました。私どももこの度の未曾有の災害に少しでもお役に立てないかと考えています。日本の北半分は我が宗門、真宗大谷派の寺院が多い地域です。おもえば阪神淡路・中越・能登などおこった過去の地震。そして今回の地震・津波も、これまで宗門を支えてきたいわば「真宗王国」といわれた屋台骨のような地域の門徒や寺院がたくさんの被害を受けています。
その事を考えると、日本の経済も心配なのももちろんですが、宗門の事も気になります。様々な事で大変な局面が生ずるのではないかと感じています。
逮夜は住職の御法話です。
先生はこれから約4時間ほどかけて帰って自坊の彼岸法要の準備をされるそうです。
おつかれさまでした。此松先生のお話は、終止笑いがたえない楽しいご法話でした。ご法話が終わった後も、先生は人気の役僧さんだったようで、お座敷からも賑やかな声が聞こえていました。
本堂の入り口付近に「東北・関東義援金箱」を設置いたしました。私どももこの度の未曾有の災害に少しでもお役に立てないかと考えています。日本の北半分は我が宗門、真宗大谷派の寺院が多い地域です。おもえば阪神淡路・中越・能登などおこった過去の地震。そして今回の地震・津波も、これまで宗門を支えてきたいわば「真宗王国」といわれた屋台骨のような地域の門徒や寺院がたくさんの被害を受けています。
その事を考えると、日本の経済も心配なのももちろんですが、宗門の事も気になります。様々な事で大変な局面が生ずるのではないかと感じています。
逮夜は住職の御法話です。
2011.03.18 Friday
春季彼岸会/初日
今日から春の彼岸法要がはじまります。
毎年書いているようですが、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、確かにこの時期は暖かくなってきます。
学校では「昼と夜の時間が同じになる時期を”彼岸”という」と教えるという話を聞きました。それが本当なら、先生方も宗教的な見方に偏らないようにしなければいけない教育の現場ではそのような言い方しか出来ないのだろうなと思うと、大変だなと感じます。しかし・・・・・「彼岸」という意味を「浄土」のことである。とは先生方も教えにくいのでしょうか。
葬儀にいくとたまに儀式の間に弔辞が読まれることがありますが、仏式の葬儀なのに「天国に行って私たちをみまもっていてください」とか「安らかにお眠りください」といった言葉が無疑問的にいわれることがあります。
しかしいままでに「お浄土に還られました。」といった言葉をつかって挨拶などをされた方はほとんどないように思います。
そのようなことを法事で話すと、聞いている人は「そういわれればそれはおかしいですね」といった反応が返ってきます。全く”浄土”という言葉は死後となってしまったのではなかと感じます。
親鸞聖人は
”真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。”
といわれています。ここに限って見てみると、人間は”死んだらすぐ浄土に生まれる”という言い方はしていません。だからといって人は死んだら浄土に生まれると行ってもいません。一先ず、ここでは”現生の往生”か”死後の往生か”という見解はさておいたとしても、かつての習俗的な受け止めの”浄土”ということさえも現代のにおいては消滅し、それに代わって”天国・あの世”という曖昧な死後観が定着しつつあるような気がします。
ましてや自分の家族の葬儀は仏式でしたという記憶のある人でも平気で”天国”という言葉を使っていることに違和感を感じないところも違和感を感じずにいられません。
もちろん、天国というのは仏教では6道という迷いの一つですから、キリスト教でいう「天国」とは意味合いが違います。そこのところはしっかりと押さえなければいけません。そこのところもごちゃ混ぜになっているように思います。このことの背景には、現代人の一つの”病巣”ともいえる死生観の欠如が見てとれるのではないでしょうか。
彼岸という季節が日本人にはちゃんと用意され、自分の人生やいのちについて考える機会が用意されているのが、この一週間ではないでしょうか。私たちは「生きる準備ばかりしている」とか、「我々はただ死んでいないだけ」と表現された先生方がいらっしゃいましたが、ほんとうにその通りだと感じ、反省させられます。
逮夜からは、大分の宇佐からおいでくださった此松先生のご法話です。此松先生は前坊守の甥でもあります。また20年ほど前に萬行寺の役僧をされていました。懐かしい顔を見に来たと多くのご門徒さんが参詣されました。
毎年書いているようですが、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、確かにこの時期は暖かくなってきます。
学校では「昼と夜の時間が同じになる時期を”彼岸”という」と教えるという話を聞きました。それが本当なら、先生方も宗教的な見方に偏らないようにしなければいけない教育の現場ではそのような言い方しか出来ないのだろうなと思うと、大変だなと感じます。しかし・・・・・「彼岸」という意味を「浄土」のことである。とは先生方も教えにくいのでしょうか。
葬儀にいくとたまに儀式の間に弔辞が読まれることがありますが、仏式の葬儀なのに「天国に行って私たちをみまもっていてください」とか「安らかにお眠りください」といった言葉が無疑問的にいわれることがあります。
しかしいままでに「お浄土に還られました。」といった言葉をつかって挨拶などをされた方はほとんどないように思います。
そのようなことを法事で話すと、聞いている人は「そういわれればそれはおかしいですね」といった反応が返ってきます。全く”浄土”という言葉は死後となってしまったのではなかと感じます。
親鸞聖人は
”真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。”
といわれています。ここに限って見てみると、人間は”死んだらすぐ浄土に生まれる”という言い方はしていません。だからといって人は死んだら浄土に生まれると行ってもいません。一先ず、ここでは”現生の往生”か”死後の往生か”という見解はさておいたとしても、かつての習俗的な受け止めの”浄土”ということさえも現代のにおいては消滅し、それに代わって”天国・あの世”という曖昧な死後観が定着しつつあるような気がします。
ましてや自分の家族の葬儀は仏式でしたという記憶のある人でも平気で”天国”という言葉を使っていることに違和感を感じないところも違和感を感じずにいられません。
もちろん、天国というのは仏教では6道という迷いの一つですから、キリスト教でいう「天国」とは意味合いが違います。そこのところはしっかりと押さえなければいけません。そこのところもごちゃ混ぜになっているように思います。このことの背景には、現代人の一つの”病巣”ともいえる死生観の欠如が見てとれるのではないでしょうか。
彼岸という季節が日本人にはちゃんと用意され、自分の人生やいのちについて考える機会が用意されているのが、この一週間ではないでしょうか。私たちは「生きる準備ばかりしている」とか、「我々はただ死んでいないだけ」と表現された先生方がいらっしゃいましたが、ほんとうにその通りだと感じ、反省させられます。
逮夜からは、大分の宇佐からおいでくださった此松先生のご法話です。此松先生は前坊守の甥でもあります。また20年ほど前に萬行寺の役僧をされていました。懐かしい顔を見に来たと多くのご門徒さんが参詣されました。
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