今年の除夜の鐘

今日は大晦日というのに外は大雪です。
大雪と言えば北国の人に笑われるのでしょうが、九州の長崎においては、くるぶしまで積もれば公共交通機関のみならず全ての交通機関に影響が出ます。今日は大晦日ということもあり外を歩いている人は少なかったのですが、それでもはたらきに出たり用事がある人にとっては迷惑な来訪者だったのかもしれません。

大晦日に雪が降ったのはずいぶん久しぶりです。しかもこんなに雪が降るのは(雪国の人には怒られかも知れませんが)めったにありません。少々に雪ならば「除夜の鐘」も強行して行いますが、あまりひどい時には中止としようと思います。このような状態で夕方8時まで降り続いたならば中ちいたします。


無題

念仏をもうしてたすかるではない。
念仏をもうさるること、そのことがすでに救いなのである。

 念仏をもうしてたすかろうというのはどこか傲慢なわれわれの心の現れではないでしょうか。念仏をもうせば仏様が私をたすけてくださる。そう思うのも我執であります。

宗祖は『念仏まうさんと思ひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまふなり』 歎異抄第1章 真宗聖典p626
といわれています。

念仏をもうすということは、それは念仏をもうせばたすかるのではなく、念仏をもうさなければ助からないのであり、念仏もうす心の中に自然(じねん)にわれわれを救うはたらきがおこってくるのではないでしょうか。それを御文には『一念発起入正定之聚とも釈し、そのうえの念仏は如来わが往生を定めしたまいご恩報尽の念仏』であると述べられています。

門徒報恩講

今晩は毎年恒例の寺の下組の報恩講です。萬行寺には各地域に「講」とよばれる門徒の寄り合い組織があります。その中の一つ、寺の下の講は、萬行寺に一番近い所に住んでいる人たちの講(集まり)のことです。萬行寺には各地域に門徒の寄り合い組織がありますが、お寺に一番近い「寺の下組」です。毎年この時期になると子どもから大人まで大勢集まり、萬行寺の庫裏のお内仏で門徒報恩講を勤めます。日頃忙しくてお寺に来れない人もこの日は集まってきます。
今回は去年よりは少なめのようでしたが、それでも50人はいると思います。萬行寺の門徒報恩講の中で一番のにぎわいを見せる寺の下組の報恩講です。

寺の下報恩講

寺の下報恩講

この報恩講は毎年萬行寺の庫裡で行われていますが、これからの少子高齢化や、現代人の生活環境が変わってきて昔のようなコミュニティが崩壊しつつある今、このような集まりが大事にされ続いてきたことは大切なことではあります。しかし、一方ではこのような形態での仏法相続がいつまで出来るのだろうかといった漠然とした不安もあります。いつまでも昔を懐かしんでばかりはいられない感じはありますが、それでも伝統されたことを守って行くのも、私たちにまかされた仕事でもあるのでしょうし、集ま人がいなくなってしまうようであればきっぱり諦めて次の問題を解決しなければお寺は時代に置いて行かれるのかもしれません。何はともあれこうして集まってくる人々のそれぞれがこの集まりを大切にして行けば続くことなのだと思います。
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