初参式(お経いただき)



今日は亀井家に誕生した双子の初産式を行いました。一般的には『お宮参り』が有名ですが、自分は仏教徒だというのならば、まずお寺にお願いしてお経いただき、または初産式というのをお願いするのが望ましいでしょう。


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初産式(しょさんしき)とは、生まれた赤ちゃんが、はじめて仏さまに出遇う大切な仏事で「お経いただき」・「初参り」などと呼ばれています。

新しい「いのち」とのご縁を家族みんなで喜び、そして共に生きる意味を教えてくださる仏さまの声を聞きましょう。
親ならば、こどもには幸せになってほしい、やさしい子にそだってほしい、こころ豊かに育ってほしいと願うものです。
人生には様々な苦悩、そして喜びがあります。苦しいことに出逢っても、生まれてきたことの尊さ、生きることの本当の意味を教えてくださる仏さまに出逢っていれば、それがどんな人生であっても、こころ豊かに一生をおくることができるのです。
わたしたちはみな仏さまに、「この苦しみのおおい世界を超えていく者となってほしい」と願われているのです。
そして、その仏さまの願いのなかに人生がはじまる悦びを形として表しています。
初参式は、仏の子どもとして、その願いの中に親子共に育てあっていくことを確かめる仏事です。

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季節も秋らしく、落ち葉のカーペットの上で記念撮影。


永代経法要3日目 最終日

最終日のお経は『仏説阿弥陀経』
浄土の様子を書かれた書物です。

今月のなあに」より転載-------------------------------------
『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう)は、浄土教の根本経典の一つ。
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部の中では比較的短く4枚程の紙に収まるところから『四紙経』・『小経』とも呼ばれています。
真宗では一番ふれる機会の多いお経。

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什(さんぞうほうしくまらじゅう/314〜402年、中央アジアの西域、クチャ(亀茲国)の人。)の翻訳。
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経からなる浄土三部経の一。
漢訳には古来三訳あったとされているが、そのうち二訳が現存している。


内容は、釈迦が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で舎利弗(しゃりほつ)をはじめとする弟子に説法されたもので、まず阿弥陀如来の浄土の景色と阿弥陀如来の徳が説かれ、ついで、この浄土に生まれるために念仏を称えることがすすめられる。
最後に六方(東南西北下上)におられる仏がたが西方の阿弥陀如来の徳を称讃し、浄土に生まれるには唯ひたすら念仏するようにすすめ、その教えを信ずる者を摂め取って決して捨てないことを明らかにされています。

一切衆生のために、ただ念仏して弥陀にたすけられる道を説いた経典です。
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あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは「仏そのもの・仏の教え・仏の教えを尊ぶ者ことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人はなはだしくわるい者は少ない。正しく導くことができれば正道にしたがうものである。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってそのまがった心をただせることができようか。


秋の永代今日の最後お話は住職。帰依三宝の意義です。
帰依三宝とは、十七の条憲法にもあるように我々日本人にとって、とても大事になものです。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。』とあるように、帰依三宝の生活は自身をみつめる事の出来る大切なものです。
わたしたちは日頃自分のことは見えてはいません。年を取ると頑固になるともききますが、なかなか日々の生活の中で自分に対して「間違っている」と正してくれる人や出来事というのは出会えないものではないでしょうか。ましてや正しいことを言われると逆に怒り出す人もいます。17条の憲法に書かれている「帰依三宝」とは聖徳太子が国民が最も大切にしなければいけないといわれていることで、これに依らなければ、大切な自分の相を見つめることのできる鏡のようなはたらきをを持たないならば、どのような立派な国家的指導者であっても道を踏み外すことがあるのではないかと教えてくれます。




釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。
「たとえば転輪聖王が王の宮殿とは別に七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、いろいろな旗などがかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その宮殿の中に入れられて黄金の鎖でつながれるのであるが、食べものや飲みもの、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、すべて父の王と同じように何一つ不自由することがない。さてその場合、王子たちはそこにいたいと願うだろうか」
 弥勒菩薩がお答えする。
「いいえ、そのようなことはないでしょう。いろいろな手だてを考え、力のある人を頼ってそこから逃れ出たいと思うでしょう」



そこで釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿の中に生れたのであって、何のとがめもなく、少しもいやな思いをしないのであるが、ただ五百年の間、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、仏がたを供養してさまざまな功徳を積むこともできない。このことがまさに苦なのであり、他の楽しみはすべてあるけれども、その宮殿にいたいとは思わないのである。
 しかしこれらのものが、その苦は仏の智慧を疑った罪によると知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願うなら、すぐさま思い通り無量寿仏のおそばへ行き、うやうやしく供養することができる。また、ひろく数限りない仏がたのもとへ行ってさまざまな功徳を積むこともできる。
 弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである。そうであるから、無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」


永代経法要2日目

二日目のお経は『仏説観無量寿経』。
■ 2009年1月 ■
「浄土三部経って、なあに?(3)」


仏説観無量寿経

『仏説観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)は、浄土教の根本経典の一つ。
別名『無量寿経観経/むりょうじゅきょうかんぎょう』ともいい、『観経/かんぎょう』と略称されています。

翻訳はいくつかあるとされていますが、サンスクリット原典は発見されておらず、宋の元嘉中、西域出身の僧、畺良耶舎(きょうりょうやしゃ/ 382年 - 443年)の翻訳しか現在は見つかっていません。

 第一部 ―王舎城の悲劇―

 自分の出生の秘密を、悪友ダイバダッタによって告げられたマガダ国の王子アジャセは、自分の境遇を歎きその悲しみを両親に向けます。そしてついにアジャセは父王を地下牢に幽閉して殺害し、そして母も殺そうとする事件が起こります。
そのとき釈尊は道場で多くの弟子たちに法華経を説いていましたが、その事件の知らせを聞き、急いで王宮へ二人の弟子を連れて行きます。
 その渦中にいる王妃イダイケは、釈尊に「なぜ自分だけが辛いことに会わなければならないのか、何の罪があってこんな悪い子を産んだのか」などと苦悩する心を打ち明けるのです。
そして釈尊はイダイケに「凡夫よ」と呼びかけ、声に出して念仏するよう勧めます。この物語では女性の救いと罪を犯したものがどのようにして釈尊の教えによって救われていったのかが説かれます。まさに現代にも通じる問題がこの物語によって描かれています。

 第二部 念仏の方法を説く

極楽世界の様子や阿弥陀仏、観音菩薩・勢至菩薩の二菩薩を観察し想うための13の方法が順々に説かれていきます。そして、浄土世界に往生する者を九つに分けます。
そして最後に釈尊は、その場にいた弟子の阿難にむかって「無量寿仏の名を、常に心にとどめ続けよ。」と説きます。するとその法を聞いたイダイケやそのまわりのものも皆喜んだと説かれて終わります。



前半は、人間の現実世界の苦悩を描き、後半では、どのようにすれば娑婆を離れ、真実世界(浄土)に往き生まれる者となれるのかが説かれます。
親鸞聖人は浄土三部経を『三身一体の経典』といわれました。観無量寿経は、『念仏は”行”である』ということを知らせるための経典であると善導大師が言われていることに由来しています。

なお、『王舎城の悲劇』は涅槃経にはアジャセの救いが説かれ、法華経にはダイバダッタの救いが説かれています。
親鸞聖人は、その主著、『教行信証』に涅槃経のアジャセの救いの部分を多く引用し、そのことも大事にされています。

               



講師は長崎教区第3組波佐見の西圓寺若院、武宮真紹師。
今回初めておいでいただいたのですが、各お寺の若院さんのお話を聞くことはあまりなかったので、みなさん新鮮で楽しんでいたようです。
仏法を聞く楽しみがあることはとてもいいと思います。これがお寺に来る楽しみになればいいですね。
仏・法・僧の三宝に帰依することの意義。そして仏法を聞いて生活するのではなく、生活の中に仏法を聞くことの大切さを感じました。

永代経法要初日

初日のお経は『仏説無量寿経』。

今月のなあに」より転載-------------------------------------
■ 2008年12月 ■
「浄土三部経って、なあに?(2)」
仏説無量寿経
浄土教の根本聖典の一つで、『観無量寿経』、『阿弥陀経』とともに「浄土三部経」と呼ばれる。

呼称は『大無量寿経/だいむりょうじゅきょう』、上下二巻からなることから『双巻経/そうかんぎょう』ともいわれています。
または略して『大経/だいきょう』とも呼びます。
 原題はサンスクリットで『Sukhaavatii-vyuuha/スカーバティービューハ』といい、それを翻訳すると「極楽の風景」という意味になります。
 現在ではサンスクリットの原典、チベット語訳、および五種の漢訳が現存しています。

支婁梼讖(しるかせん)
呉の支謙(しけん)
魏の 康僧鎧(こうそうがい)
唐の菩提流支(ぼだいるし)
宋の 法賢(ほっけん)

の翻訳があります。
内容
上巻は、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)というところで、弟子や菩薩たちに釈尊が説法しているところから始まります。
法蔵という一人の修行者(菩薩)が仏に成る物語が説かれます。
その法蔵は、無数にある仏国土(浄土)の中から安養の浄土を選びとります。そして本願(四十八願)が説かれます。
次に後半は弟子が釈尊に対して質問し、それに答える場面がいくつか出て来ます。私たちが思っている疑問を弟子たちはストレートに釈尊に聞いています。

下巻には、衆生がなぜ真実を求めるのかが説かれ、浄土への往生を願うよう勧められます。そして、一切の法が滅しても、この経だけは後の世にまで留めおいて人々を救いつづけると説いて終ります。
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講師は長崎教区第2組、三重の正林寺若院の松林大さん。今回の永代経法要は3人の講師ともに「帰依三宝」というテーマでお話がありました。「帰依三宝」といってまず最初に思い浮かぶのは聖徳太子ですが、十七条の憲法には次のようにあります。
二に曰く
篤く三宝を敬え。三宝は仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。すなわち四生(よつのうまれ)の終わり帰(よりどころ)、万の国の極めの宗(むね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法(みのり)を貴びずあらん。人、はなはだ悪しきものは鮮(すくな)し。よく救うればこれに従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずは、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。  十七条の憲法 真宗聖典p963

<現代語訳>
第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、佛と、その真理の教えと、それに従う人々(僧)である。それはすべての生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人がこの真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば(真理に)従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって我執にとらわれたよこしまな曲がった心や行いを正すことができようか。

なぜ私たちはこの帰依三宝に依らなければならないのかを佛・法・僧の3つの意味を一つずつ解説を交えながら丁寧にお話しくださいました。




あすから永代経法要です。

明日の準備も終えてゆっくりしています。
そもそも永代経法要とはどういう法要なのでしょうか。
真宗の寺院にはたくさんの法要がありますが、由来は様々です。この永代経法要は真宗独自のもので、この法要では浄土三部経が読まれます。
真宗教団は「報恩講教団である」と度々いわれ、親鸞聖人の教えを聞信する門徒の集まりから発展した教団です。しかし、一方では親鸞聖人がまるでお釈迦さまを飛び越え、まるで教祖のように扱われているという批判があることもたまに聞きます。
どの法要も報恩講同様に親鸞聖人を中心とした念仏の教えを伝えることを願って行われていることは間違いがないのですが、お釈迦さまという方がどのように考え、どのように私たちに法を説いたのかをわかりやすい言葉でいなかの人々にやさしく語られたのが親鸞聖人なのです。そしてそのお釈迦さまの言葉を直に聞けるのはこの永代経法要です。


『今月のなあに』より転載--------------------------------------------------------------------
■ 2009年8月 ■
「永代経法要って、なあに?」

 ◯真宗独特の法要
萬行寺では、春期と秋期の二期に行われます。法要では浄土三部経が読誦され、真宗の年間の法要の中では報恩講に次ぐ重要な法座です。彼岸会は東北や北陸の真宗寺院では勤めないところもあるそうですが、永代経法要は全国的どのお寺でも勤められているそうです。

     ◯浄土三部経が読まれる
法要には真宗の正依の教典である『浄土三部経』=仏説 無量寿経(上・下)/仏説 観無量寿経/仏説 阿弥陀経の三つのお経が拝読されます。

 ◯人生を見つめる道場
お寺は道場です。『道場』とは道を求め努力精進する場です。その道場には教典があります。教典はお釈迦さまのお言葉を集めた本です。お釈迦さまの教えに真の人間になる道を学ぶのです。そうすることによって、人生におこる様々な苦悩をまるごと自らの人生と引き受け、立ち上がることが出来る者となるのです。

 ◯未来の衆生に法を説く
 お釈迦さまは、自らのいのちの終わるその時まで弟子たちに法を説き続け、その生涯を燃やし尽くされました。ですから、お経にはお釈迦さまの生前のメッセージが弟子たちの手によって記されています。その中には、「どうか阿弥陀仏の説く念仏の教えを聞いて生きるものになってほしい。真実に出遇ってほしい。この経を未来の人々に伝えてほしい」とお釈迦さまは語られているのです。

 ◯仏法を未来へ伝える法要
 そのご恩徳により、念仏の教えに生きた無量無数の先祖の志を受け継いで、私たちは教典を読誦し、真実の教え、念仏の教えに出遇うのです。
 私たちが先祖から託された大切な教典。これから生まれてくる子孫も幸福であってほしい。そう願った人々の遺志を受け継ぎ相続する。これが『永代にわたって経を読む』法要。つまり永代経法要です。

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照圓寺報恩講

照圓寺山門2
照圓寺
今日は清水町にある照圓寺の報恩講(大逮夜)にお参りしました。
ここのお寺は長崎大学の向かいの丘の上に見えます。電車通りからはOKホームセンターの上に本堂の大屋根が見えています。山号は無音山。ここはかつて浦上村といわれていたそうです。萬行寺からは約5〜6キロ。お隣のお寺で親戚でもあります。
照圓寺山門
立派な山門が出来ました。
照圓寺門柱
<照圓寺の門柱>
爆心地から北へ1400mにある照圓寺は原子爆弾の投下によって本堂と庫裡が全壊し、この門の石柱だけが残りました。負傷者救援のための第1号救援列車は長与方面から爆心地にむけて乗り入れてきましたが、この照圓寺の下あたりで停車したまま先に進めませんでした。
列車は停車すると何回も汽笛を鳴らし、それを合図に、どこからともなく傷ついた被爆者が這うようにあちこちから集まってきました。しかし、やっとたどり着いてもそこで力尽きて死んでしまった人も多かったといわれています。
照圓寺本堂前

子ども会巡回 浄正寺


今回は立神にある浄正寺にお邪魔しました。浄正寺は長崎市の東立神町にあります。ここには三菱造船所があり大きな船をつくるためのクレーンや機械などがにょきにょき立っています。
浄正寺は一昨年住職が代わりました。ここにはまだ日曜学校はありませんが、これからなんとかしてやってほしいものです。
今日ははじめてお寺に地元の子どもたちがやってきました。おばあちゃんやおじいちゃんにお寺に行くようにいわれて来たそうです。100円玉を賽銭箱に入れるのもはじめて、お寺の仏さまを見るのも初めてのようでした。
その様子を見ていると、そうだこのためにこの子ども会巡回を始めたんだったと思わされました。大事なことだと思います。
お勤めをすませ、法話も聞きました。ゲームも大盛り上がり、残念ながら今回は萬行寺の子どもたちは参加しませんでしたがこれまでで一番楽しい巡回ではなかったかと感じました。子どもたちも生き生きしてお寺って楽しいところだと感じてくれたことでしょう。
子どもたちは元気にかえって行きました。今回は参加人数が少なかったこともあり、かえってそれがいい効果を生んだのかもしれません。
今回来てくれた子どもたちがまた次のお寺であえることを楽しみにしています。あとはこれまで回ってきた各寺がどのようにこのご縁を生かしていけるのかではないでしょうか。

別院報恩講大逮夜

別院報恩講も残すところ後一日。今日は長崎教区第2組の団体参拝の日です。

佐世保別院の報恩講は長崎教区の重要な行事の一つです。長崎教区は教務所を長崎市内にもち、そこでは毎月、毎年非核非戦法要を行っています。佐世保には別院を持ち、毎年の報恩講には長崎各地から多くの団体参拝が来て賑わいます。また、初日は子ども報恩講が行われ、たくさんの子どもたちでにぎわいます。


 佐世保別院は商店街の中心にある島ノ瀬公園から国道を渡った向かいにあります。今は周りをビルに囲まれてしまい通りからは本堂は見えなくなっています。
場所は行きやすいところにあるのですが、初めてくる方は迷う方が多いようです。通りからは階段が見えるだけですし、正面近くに歩道橋があり、見えにくくなっています。
はじめてご参詣される方はご注意ください。




別院報恩講

出仕に当たって座配の確認。和讃の確認、注意事項などの確認を行います。式司配は長崎教区第2組光照寺の住職さん。
2010年 別院報恩講

一列に並んで出仕を待ちます。出仕の順番は年功序列となっています。
2010年 別院報恩講


楽しい日曜学校


おおよそ毎週子どもたちはやってきます。
毎週やってきては正信偈と御文を読むだけの日曜学校です。
特別何か楽しい遊びを毎週やるわけでもありません。
しかし、子どもたちはそれが楽しいらしいのです。
正信偈を読むことが嫌だと思ったこともないといっていました。
学校に行くより楽しい。ともいっていました。
不思議なものです。普通は子どもを喜ばせるようなことをするにはあれやこれやと楽しいことを見つけて楽しませてやろうと大人は考えますが、萬行寺の日曜学校では正信偈と御文を読んで仏さまのお話を聞くだけなのです。それが子どもたちの楽しみになっているということはすごいことだと思います。

佐世保別院報恩講(子ども報恩講)

佐世保別院の報恩講は、長崎教区の年間行事の中でも最も重要な法要です。
長崎教区の年間行事では、佐世保別院報恩講・夏安居・非核非戦の3本柱が重要な活動としてあります。これを中心として長崎教区は教化活動を展開させています。



今日から始まる別院の報恩講では、子どもを中心とした報恩講からはじまります。本来の法要は大人や子どもの区別なく参詣するものなのでしょうが、どうしても法要となると大人のものと思われがちなのですが子どもの集いもちゃんと用意されています。かつてはおばあちゃんやおじいちゃんに手を引かれてお寺に行った時代もありましたが、今は核家族化の時代。時代に相応した教化活動が求められています。しかし、児童教化はなかなか難しいと感じます。子どもを遊ばせる手だてはありますが真宗の教えをどのように伝えるかといえば頭を抱えます。お寺は子どもたちにも開放されたパブリックな場所ですが、多くはそこで止まってしまいます。しかし、それでも「お寺に行くと楽しいことがある」といってやってくる子どもたちがいるのも事実でしょう。
あまり欲張りすぎるのも良くないのかもしれません。『お寺は遊び場』というフレーズに違和感を持っていますが、それでもそこからしかはじまらないのだと考えると、それも仕方がないと感じます。
そこにこの報恩講の願いがハッキリしなければいけないのではないかと思います。





今回の参加人数は大人と子どもをあわせると500名をこえています。毎年のことですが、満堂の子どもたちで本堂が埋め尽くされます。





紙芝居も盛況。
親鸞聖人の物語は今回が初めてです。





宝つり。




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