子ども報恩講の準備

毎年恒例の佐世保別院報恩講の季節がやってきました。
報恩講のかわきりに子ども報恩講が有ります。きょうはその準備として萬行寺で巨大迷路の準備を行いました。
今年は長年の願いであった巨大迷路をつくろうということになり、早くから準備が進められています。各自自坊の法務がある中準備にかけつけてくれました。


作業自体は対したことはありませんが、あらかじめ早めに下準備をしておかないと、当日バタバタして大変なのでここで作業を行っています。
作業はパネルの作成と色を塗るだけの作業です。

親鸞聖人御命日法要





毎月28日は親鸞聖人の月命日が勤まっています。

親鸞聖人の祥月命日は11月28日。真宗大谷派の帰依所である『真宗本廟/しんしゅうほんびょう』(いわゆる本山)では参詣人おおく、賑々しく法要が勤まっています。
各寺院においては、真宗門徒の勤めとして必ず勤まる定例として行われています。あなたの町の真宗寺院でも形態は様々ですが必ず勤まっているはすですよ。お気軽にお参りください。

蓮如上人御命日



今日の法話は萬行寺役僧の林田師。

今回も法話は庫裏(くり)のお内仏で行いました。、本来は礼拝堂(らいはいどう)である本堂は儀式を執り行う場所で法話等を行う場所ではなかったようです。便宜上、法要などは参詣者の数が多いこともあって本堂で行うのが通例となっていますが、本来は庫裏の役割はお斉(とき)※や勉強会、会議などを行う場所として発展してきたものでした。
教会などでも礼拝堂(れいはいどう)と修道場は別の建物になっていますので、おおよその宗教寺院はそのような形式になっているようです。

 毎月25日の蓮如上人御命日は『和讃」に触れながらお話をしています。
林田師は毎回『浄土和讃』についてお話をされています。
なるべく難しくないように、それでいて世間話になってしまわないようにするのは大変へんです。あある程度準備をして、話を組み立ててお話をしますが、そのつど参詣される方が違うので、その様子を見ながら話をすると前もって準備した通りには行きません。
明日はこんな話をしてやろうという教化者根性が頭をもたげてしまう時には聞く方と話す方がすれ違ってしまいます。両方が一体になって法は法として成り立つのです。如来の方は機法一体ともいわれ、または自利と利他が円満するともいわれ、衆生と如来は切っても切れない存在であるともいわれています。如来を離れたる衆生もなければ、衆生を離れて如来が如来たるはずもないのです。そういう道理を考えるとはなすよ方と聞く方は一体にならないと行けないのだなと感じます。


お斉(おとき)・・・・・仏事の時に出される食事。精進を基本とする。「斉」は”つつしむ”という意味で、節度ある規則正しい生活を心がけるための仏道修行の一つ。

今月の学習会(遇願洞)

お待ち受け大会もおわり、今年も残すところわずかになりました。
遇願洞では、『真宗同朋会運動』について学ぼうということになっていますが、なかなか遅々として進まずにいます。真宗同朋会運動とは一体なんだろうかと度々考えます。

 そもそも問題の所在が明らかにならないなどということ自体が問題なのではないかと思います。
宗門を取り巻く問題にしても、各寺が抱える問題にしても、各個人が抱える問題にしても問題は依然として眼前にありながら、その問題の実態が明らかにならないと言ってること自体が問題なのではないでしょうか。つまり、この問題は教団や寺院、家庭といった集団そのものに問題があるのではなく個人の心の中に問題を問題としない有り方が内在しているのかもしれません。

 真宗同朋会運動は『自信教人信の誠を尽くす人(にん)の誕生』を願って運動は進められていますが、あるところでは「この運動はまだはじまっていない」といわれる方もいます。または「終了宣言をした方がいいのではないか」といわれる方も中にはいます。どれも積極的な意見としてですが、いずれにしても一体この運動が何なのか実態がつかめないということはあろうかと思います。
 問題を集団や制度などにすり替え自分の心の在り方に目を向けないでいてはいつまでたっても問題の所存は明らかになって行かないのではないでしょうか。
『自信教人信の誠を尽くす人(にん)の誕生』とは、問題を外に求めるのではなく、自信に根ざした、いわば「個の自覚」が大切なのではないかと感じています。

子ども報恩講にむけて

毎年恒例の子ども報恩講。
毎年のようにくたくたになりながらも準備をやっています。
今日はそのための全スタッフが集まっての会議。とはいっても全員集まるのは不可能。
何人かでスケジュールの打ち合わせや準備事項の確認を行いました。

真宗大谷派 長崎教区 婦人会50周年記念大会



いよいよ本番です。
この日のために長い間準備をしてきました。
何事も初めての経験で苦労も多かったようですが、それでもなんとかここまでこぎ着けました。
この度の経験が次の経験になることでしょう。


73人の大コーラス隊で仏教讃歌を歌います。
企画自体は婦人会らしいプログラムで、男性では思いつかない企画で同じ教区の中でも色々な発想や色々な企画があっていいのではないかと思います。
ある時は手堅くまじめに仏法を語らう会があってもいいでしょうし。門徒の方々が気楽に知り合いや友人などをさそって参加できる大会もあっていいでしょう。または広く宗教に関心のない人も含めて色々な人に広く公開される大会があってもいいと思います。
人が寄り集まれば文殊の知恵。人があつまる集団は広がりとしなやかさをもっていたほうがいいように思います。
長崎教区では5月にお待ち受け大会を開催したばかりでしたが、今回の大会も運営の方針やそれに関わるメンバーそれぞれの個性の違いがでていて同じ教区のでもコントラストが効いていて面白いと感じました。


舞台の看板を取り付けます。


一楽先生のお話がありました。
講題は『念仏を申す生活』。
念仏を申す生活は現代を生きる私たちにとって、どのように関わり、どのように繋がっているのか。現代の諸問題を通じてそれぞれがそれぞれのまま通じ合える世界を求めている。しかし、どこかでその関わりを拒絶しようとする心がある。それはなぜなのだろうかと問われました。

いよいよ

10月に突入しました。これからは報恩講シーズン。寒くなるにつれてだんだんと忙しさが加速度的に増して行きます。今月は婦人会の50周年の記念大会もあります。また、長崎教区の大切な教化事業である佐世保別院報恩講が来月に控え、その準備であちらこちらを行ったり来たりの日々が続きます。
体調なぞを壊すと色々と大変な時期になります。
みなさまも体には十分ご慈愛ください。

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