2010.08.30 Monday
今月の遇願洞
8月もいよいよ終わり。蝉の声の賑やかさもあと少しかと思うと、夏らしいことは何もしていない夏といえども、終わるとなると寂しさを感じますね。しかし、今回の夏は観測史上記録的な暑さだったようで、暑さだけで言えば忘れられない夏と言えるでしょう。
さて、今月の遇願洞も淡々と同朋会運動について学んでいます。
門主制についての学習も今回で二回目です。
資料を読みました。
本願寺の住職は「善知識」であった。それを「法主」ともいい、「能化」とも呼ばれてきた。
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ーウィキペディアより引用ー
能化(のうけ)・・・・・僧侶社会において長老、学頭などの指導者、先生、師範のような存在を呼ぶ。学問上の指導者としての側面が強い。
また、師として人を教え導く者。衆生を教化する仏・菩薩などをいう。
(語源)能く衆生を教化する存在という意味。
「教主」という意味。教主としての善知識。
法主(ほっす)・・・・・仏教においてその教義を護持してその教えの要となるべき人を指す。(以下略)元来は釈迦のことを指していた。正法の主である釈尊を尊んだ言い方。
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実悟記(じつごき) (※実悟は蓮如の10男で、蓮如以降2・3代以後の法主の間の行事・故事に関する172条が書かれている。)によれば、善知識とは本願寺の住職のことを言うと記されている。
法主権=後生御免(ごしょうごめん)といわれ、法主が善知識である以上、その方向性を逸脱することが許されなかった。
生害権=波紋の権利。
親鸞聖人の法灯を血脈ではなく血縁によって護ってきた宗門の法主が、様々な時代の流れによってそうせざるを得ないこともあったのだろうが、門跡(天皇と親戚に当たる寺院ののこと。)となった。そうなるとまた話が違って来る。そこにもう一つの問題が重なって来る。
血脈と血統は違う。そのことを理解しなくてはいけない。
宗門は血によって法が相続されるのではなく、法脈によって念仏相続が保たれていくということを言ってきたが、このような実態を考えると我々の寺院にしても本当に「法儀相続」になっているのだろうか。寺の長男が寺を継ぐものだと育てられてきたが、寺も門徒も家父長制の名残りから未だ抜けられていない。かろうじて血脈であっても繋がってきているのが現実だが、場合によっては「親子だからあとを継ぐのが常識」的になると同朋会運動が生まれてくるきっかけになった『開申事件/かいしんじけん』のように問題がおこらないとも言えないのではないだろうか。そういうことはいえるのかもしれない。
さて、今月の遇願洞も淡々と同朋会運動について学んでいます。
門主制についての学習も今回で二回目です。
資料を読みました。
本願寺の住職は「善知識」であった。それを「法主」ともいい、「能化」とも呼ばれてきた。
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ーウィキペディアより引用ー
能化(のうけ)・・・・・僧侶社会において長老、学頭などの指導者、先生、師範のような存在を呼ぶ。学問上の指導者としての側面が強い。
また、師として人を教え導く者。衆生を教化する仏・菩薩などをいう。
(語源)能く衆生を教化する存在という意味。
「教主」という意味。教主としての善知識。
法主(ほっす)・・・・・仏教においてその教義を護持してその教えの要となるべき人を指す。(以下略)元来は釈迦のことを指していた。正法の主である釈尊を尊んだ言い方。
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実悟記(じつごき) (※実悟は蓮如の10男で、蓮如以降2・3代以後の法主の間の行事・故事に関する172条が書かれている。)によれば、善知識とは本願寺の住職のことを言うと記されている。
法主権=後生御免(ごしょうごめん)といわれ、法主が善知識である以上、その方向性を逸脱することが許されなかった。
生害権=波紋の権利。
親鸞聖人の法灯を血脈ではなく血縁によって護ってきた宗門の法主が、様々な時代の流れによってそうせざるを得ないこともあったのだろうが、門跡(天皇と親戚に当たる寺院ののこと。)となった。そうなるとまた話が違って来る。そこにもう一つの問題が重なって来る。
血脈と血統は違う。そのことを理解しなくてはいけない。
宗門は血によって法が相続されるのではなく、法脈によって念仏相続が保たれていくということを言ってきたが、このような実態を考えると我々の寺院にしても本当に「法儀相続」になっているのだろうか。寺の長男が寺を継ぐものだと育てられてきたが、寺も門徒も家父長制の名残りから未だ抜けられていない。かろうじて血脈であっても繋がってきているのが現実だが、場合によっては「親子だからあとを継ぐのが常識」的になると同朋会運動が生まれてくるきっかけになった『開申事件/かいしんじけん』のように問題がおこらないとも言えないのではないだろうか。そういうことはいえるのかもしれない。