御遠忌お待ち受け大会 運営委員会

御遠忌お待ち受け大会が終わって二カ月がたちました。
その後いかがおすごしでしょうか。今回の大会をおこなうにあたって話し合われたことは、「ただ大きなイベントをやったという満足感だけで終わらせてはいけない」ということを強調してきました。そこで、これからこの盛り上がりをどのように生かしていくのかが問題となっています。
当面はお待ち受け大会の資料として冊子を作る作業やこれからのことをどのように進めていくのか協議をしました。

親鸞聖人の御命日

毎月28日は親鸞聖人の御命日法要が勤まっています。

御命日は毎月あります。お寺によっては27日の逮夜(前日の午後のこと)で勤まるところもあるようですが、全国の大谷派の寺院では必ず勤められる肝要の定例法座です。

萬行寺では毎月、住職が「正信偈」についてお話しています。どうぞ皆さん参詣ください。自分は門徒ではないという方でも結構です。どなたでもお参りください。

「正信偈」は正式には正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)といい、偈(げ)とは、うたのことです。
浄土真宗立教開宗の書『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」の末尾に所収された偈文で真宗の要義大綱をまとめた全120句・60行の定型詩。
インドの釈迦如来に始まり・中国・日本を通して受け継がれた高僧達の教えを讃える親鸞聖人著作の偈頌(げじゅ)。
数ある真宗の聖教のうちでも、最もポピュラーなものです。

正信偈の前文に、次のように書かれています。

しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく
『大聖の真言』とは、仏によって人間の本当の問題が取り上げられ、しかもそれが答えられているということです。
これは、真に自己を回復する用らきを持つことばが『真言』です。
そのことばを素直に受け取り、真の自己に目覚めていく道を顕らかにされた方々のことばが『大祖の解釈』。つまり七高僧の教えです。
その教えに、道を求められたのが親鸞聖人でした。
聖人の信仰告白は念仏して生きる本当の意味を我々に問うているのです。
その長い歴史の中で、疑惑の人には真実を、争いの人には和らぎを、憂いの人には慰めを、怠惰の人には厳しさを、というように、あらゆる形をとってまで人間の内奥をえぐり出すのです。
そうすることによって、愛欲や悲喜や苦楽多いの人生において、共に生きる”師”を持つことが、終には一人では乗り越えていけないような人生の障碍も超えていける道が、そこにあるということを我々に教えてくれるのです。


「正信偈・念仏・和讃」を六首ずつ繰り読みするお勤めの習慣は、本願寺第8代の蓮如上人によって、文明五年(1472)に三帖和讃に正信偈を加えて4帖として開版されました。
それまでは法然上人の時代から善導大師の「往生礼讃偈」の読誦を毎日の日課とし、日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中の一日に計六回の勤行が日常の礼拝でした。
蓮如上人はそれを「正信偈・念仏・和讃」を朝夕の勤行にするよう改定して、それを多くの門信徒へ普及することを広められています。
今日でも真宗門徒の朝夕の必須の勤行として、ひろく親しまれています。
真宗大谷派では、草四区目下・念仏・和讃(三濁・六首引)のお勤めが基本となっています。

     ※ 偈(げ)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。
      「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」という。

蓮如上人御命日/今月の遇願洞

毎月25日は蓮如上人の御命日で、和讃についての法話をおこなっています。役僧さんと若院で月交代で法話があがっています。和讃ときくと何やら難しいお話のように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
どうぞみなさんお気軽に御参詣ください。

今日の法話は、若院です。
和讃は
弥陀の大悲ふかければ
仏智不思議をあらわして
変成男子の願をたて
女人成仏ちかいたり

でした。




夕方6:00からは若手が中心の学習会、遇願洞(ぐがんどう)です。


お待ち受け大会の要であった愚願洞は、お待ち受け大会の実行委員会が発足し、大会が終わっても帰敬式のことを中心にずっと粘り強く真宗同朋会運動について学んでいます。

全く手のつけどころのない学習だと感じたこともありましたが、毎回いろんな人から意見が出てくるうちに少しずつではありますが、同朋会運動の問題点やなぜこの運動を展開することになったのかが自分たちが立っている状況から少しずつ見えてくるような気がしています。

集まってくるメンバーも固定的になって来ていますが、それでも集まってくる人それぞれが何か「このままでいいのか」という漠然とした不満や不安を抱えています。
一体それがなんなのかが解らないところがまたもどかしいのですが、それでも毎月教務所に集まって何か話すたびにそれぞれが現在の状態をどう捉えているのか解ってくるような気がします。

また、何が問題なのかが解らないということが「危機意識」であるにもかかわらず、そのことに関して意識が低いということも呆然とした不安の中に立たされ得ている原因ではないかと感じます。

真宗同朋会運動は宗門全体が時代の変化、それから宗門自体の失態や失政などから必然的に危機意識が高まって来たと言えるようですが、時代が変わって私たちの時代は危機意識が見えないという”漠然としている”という危機の中にいるようです。

帰敬式修了者の集い

6月に入ってだんだん蒸暑くなってきました。
みなさんはいかがおすごしでしょうか。

さて、5月に行われた長崎教区の『お待ち受け大会』が終わって、とりあえずは一段落です。
5月1日と2日の二日にかけて『親子で帰敬式』と題して御遠忌お待ち受けを佐世保別院で行ったことは記憶に新しいことですが、5月の大会では帰敬式を受式しただけでそのまま解散になりました。
そのあと、法名の意味を知りたいという人がおられましたので、その方たちに対しても、またお寺からもなにかしらのアフターケアをしなければいけないと思い、お寺に集まる機会がないだろうかと考えていました。

そこで今回は『帰敬式受式者の集い』を行うことにしました。

5月の受式者は23名でしたので、それだけでは人数に多少不安がありました。
そこで3年前に萬行寺で帰敬式を行った時に集まった140名の受式者にも案内を出しました。

総勢約50名弱の人が集まりました。

今回はなるべく解りやすい話をしようと心がけ、内容は数珠の掛け方やお寺に参詣する時の心がけ。仏教徒となることの意味をお話しされました。
参加者は3歳の子供から80歳までと幅広く、それだけの人にすべてを理解してもらうこともおそらく無理でしょう。私どものほうにしても、皆さんのことを一部始終知っているわけでもありませんので、なおさら話は難しいとおもいます。
そこで今日は、毎週萬行寺で子どもたちが集まって行われている「日曜学校」でお話ししているつもりでお話いたしましょう。

日曜学校では、次のような3つの「ちかいのことば」をお勤めのあと、かならずみんなで唱和しています。

わたくしたちは
ほとけのこどもになります

わたくしたちは
ただしいおしえをききます

わたくしたちは
みんななかよくいたします


なんだかわかるようでわからない言葉ですね。

この3つの誓いのことばは、お釈迦様の時代から使われてきた言葉で、本当はもっと難しい言葉で書かれていますが、子供でも言えるように翻訳するとこのような言葉になります。
これは難しい言葉でいえば、『三帰依(さんきえ)』といいます。
これを書かれている本の中で有名なのは聖徳太子がつくったとされる『一七条の憲法』ではないでしょうか。その中の第二条にでてきます。第二条に出てくるということは日本の国民として重要な法律でもあることを意味します。あるいは基本中の基本といっていいでしょう。
聖徳太子はこの『帰依三宝』の生活をすることが、現代流の言い方でいうと日本国民の義務であるといっていいかもしれません。
そのようなことが飛鳥時代に決められ、永い間そのことが守られてきたんですね。それが日本人の心の原点になっているものです。

それから わたくしたちは
ほとけのこどもになります


ということですが、これもわかるようでいてなかなか難しいですね。わかりやすく言えば、真宗ではお釈迦様は父、阿弥陀様は母という表現をすることがあります。これはどちらも大切な方であるという表現です。父を因とし、母を縁としてわたしたちはこの世界に一人生まれてくるのです。あるいはお釈迦様は私たちが住む世界の先生、そして阿弥陀様はお浄土の仏様といっていいのじゃないかと思います。これは「釈迦弥陀二尊」といってとても大事な教えです。
ですから、私たちは南無阿弥陀仏と称える仏のこどもなのです。

次に、わたくしたちは
ただしいおしえをききます
ですが。

「ただしいおしえ」とは、仏教のことです。
世の中にはいろいろな誘惑が多いものです。これを買えば幸せになるとか、これをすると病気が治るとかいうこともあります。もしくは仏様の教えより一見魅力的にみえる教えもあります。自分の欲望にまみれた心を、欲望にまみれたまま満足してくれる教えのほうが私たちには一見魅力的にみえるのです。
しかし、私たちは仏教徒と名のったかぎりは、その道を一筋に歩んでいかなければなりません。一体ただしい教えとは何だろうかととうことでしょう。

ちょっと難しくなりました。さて、次はわたくしたちはみんななかよくいたします
ですが、これは言われていることは理解できますが、これが一番難しいのではないでしょうか。これは原文に依りますと、仲間を持つことだといわれています。私たちの生きている現代社会は、生きにくい時代ということをよく言われます。それは本当の友達がいないからではないでしょうか。本当の友達とは、見方を変えれば「親子」であるともいえます。その人の本当の気持ちや、その人の抱えている問題を自分のことのように考えてくれる人がいないということが、実は一番人間にとって悲しいことなのです。





このような調子でお話がありました。


萬行寺日曜学校

今日は日曜日。
子どもたちは元気に正信偈をお勤めしました。


萬行寺の日曜学校は毎週日曜日の朝9時から行っています。
かつては萬行寺の門徒以外の子どもたちもたくさん集まって来て賑やかな時代もありました。
たった一人だけのこともありました。それでもずっと続けています。

最近では、各月の土曜日には長崎教区の各お寺から子どもたちが集まり、市内のお寺を中心に各月交代でいろんなお寺を巡回しながら子供会も開いています。
お子様のおられる方はどうぞ気軽にご参加ください。

宗門各位に告ぐ/宮谷 法含

 いまの宗門は、五年後に宗祖聖人の七百回御遠忌を迎えようとしている。しかも、御遠忌を迎えて、われらは一体何を為すべきかの一途が明らかではない。宗門全体が足なみをそろえて進むべき態勢が整うているとはおもわれない。このままでは御遠忌が却って聖人の御恩徳を汚しはせぬかとの声も聞き胸をも打たれる次第である。この憂(うれ)うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によって、その形態を保っているにすぎない現状である。寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められてきているではないか。厳しく思想が対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているではないか。寺院経済は逼迫(ひっぱく)し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果してこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。まだ、何とかなるという安易をむさぼる惰性に腰をかけているのではないか。
 大谷派に一万の寺院、百万の門信徒があるといいながら、しかも真の仏法者を見つけ出すことに困難を覚える宗門になってきているのである。極言(きょくげん)するならば、われわれ宗門人は、七百年間、宗祖聖人の遺徳の上に安逸(あんいつ)をむさぼって来たのである。いまや御遠忌を迎えんとしてわれら宗門人は、全身を挙げて深い懺悔をもたねばならない。単に御遠忌のにぎにぎしさを夢みることによって、この現状を糊塗(こと)するようなことがあるならば、宗門は疑いもなく、歴史から冷ややかに嘲笑(ちょうしょう)を浴びるであろう。
 宗門は今や厳粛な懺悔に基づく自己批判から再出発すべき関頭(かんとう)にきている。懺悔の基礎となるものは仏道を求めてやまぬ菩提心である。混迷に沈む宗門現下の実情を打破し、生々溌溂(せいせいはつらつ)たる真宗教団の形成を可能にするものは、この懺悔と求道の実践よりほかにない。                          昭和三十一年四月三日

長崎教区秋安居 今日で終了です。



長かったこの3日間も過ぎてしまえばあっという間です。

今回は聴講をなるべくしっかり聞こうとお酒も控えました。
それでも3日間座りっぱなしは体にこたえましたが、まじめに学習したと思います。

この安居は長崎教区の毎年の恒例行事になっています。
来年も池田先生にきたいただくことになっています。

長崎教区秋安居 中日

6:30 起床
    掃除
7:00 勤行
    法話
8:00 朝食
9:00 講義1

二日目の朝の講義は、


午後からは大衆供養。門徒さんもたくさん集まります。



総勢約60名の僧分による阿弥陀経の大合唱です。


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講義ノート(忘備録)

鵺、難思議往生道に立つ

必至滅土の願
難思議往生の願

真宗聖典p470
この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思議往生ともうす。これをこころえて他力には義なきを義とすとしるべし。


滅土に至ることを往生という
正定聚に住することを往生という
           →仏になれる身に定まるを「正定聚」というなり。『一念多念文意』

真宗聖典p235 
 「即得往生」というは、「即」は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」はうべきことを得たりという。真実信心をうれば、すなわち無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。


救済=すくい→往生
自証=さとり→成仏

成仏・・・・因位=道程
  ・・・・到達面

不体失往生ーー念仏往生の機(正定聚)
体失往生ーーー第19願の往生の機

『2006年 安居講録』p103
五趣八難の迷いの道を超えるということが、即得往生である。そして住不退転ということは、必ず(中略)現生に十種の益を獲ることであると解釈せられたといっていい(中略)「即得往生、住不退転」ということを「横五趣八難の道」「必獲現生十種の益」とあらわされたのであります。


現在の往生の歩みが「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」真宗聖典p250となる。

仏教は「死後観」ではなく「死観」。私にとって「死」とはなにかと問うもの。「死観」がわかるから”生きる”ということが解る。
死んだらどうなるかをいわず。
死に様の善し悪しをいわず。
死に際の来迎をいわず。

(散)

長崎教区 秋安居開筵/あんごかいえん



今日から3日間佐世保別院に泊まり込んでの修行です。この修行は安居と呼ばれ、墨袈裟をかけて長崎教区内のほとんどの僧分が集まります。

講義は去年に引き続き池田勇諦師です。講題は「証文類に浄土真宗を学ぶ その2」となっていて、池田先生は3年間ご講師をお願いしています。今年は2年目になり、来年も引き続き来ていただくことになっています。




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<ウィキペディアより転載>
安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。及び、その期間の事を指す。
また、法臘は夏安居に参加するごとにひとつ増えるとされた。

<仏教界での用例>
安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。

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 70年以上昔、西坂に長崎教務所があった時代です。夏になりますと、教区内の皆さんが集まって、暁烏先生、金子先生、曽我先生等、浩々洞(こうこうどう)の主力メンバーの方々においでいただいて、夏期講習会というのがあっていたようです。

長崎には、向学心のある先輩方が沢山おられ、寺も恵まれていた点もあったからでしょうか、浩々洞に学ばれた方がおられたようです。その様な方の力もあり、先ほどの先生方がおいでになっておられたようです。この伝統が受け継がれまして、今の筑後町の教務所に移りましてからも続けられ、柳行李を担いで、当時の方々は筑後町のあの石段を登って、その夏期講習会に来ておられました。その後、相変わらず浩々洞出身の先生方はおいでになって、私の記憶にありますのは、曽我先生が昭和45年までおいでになりまして、昭和46年に御遷化なさいました。その頃から、秋安居という名前で呼ぶようになりました。

 実は、安居というのは、本講の先生がおいでになってお話しするのが本当であるが、長崎の場合は、そういう先生方をお呼びせず、聴講したいと思う先生方においでいただいていたから、純粋な安居ではありません。本講の先生方を呼ぼうという声もありましたが、初心を忘れず、夏期講習会のスタイルをとっています。

六月になりました。

お待ち受け大会も終わり一段落しました。あとは御遠忌に向けて準備を進めていかなければいけません。


さて、ホームページの更新がずいぶん滞っています。実はこれまでせっせと貯めてきた6年分の資料や約20年分の写真や文章が入っていたハードディスクが寿命を迎え、全く繋がらなくなりました。冷や汗
そのために全く作業が出来ず。それに加え、これまでお待ち受け大会の忙しさでずいぶんとさぼっていました。この状態を普通の状態に戻すのは大変です。
そのため新しく写真を取り直したり集め直しています。

しばらくお待ちください。
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