2010.05.23 Sunday
宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会in長崎 その4
本日は雨の中たくさんのご来場ありがとうございました。
今大会は、若手僧分が中心となり全く白紙の状態から企画・運営の全てを行ってまいりました。
これまで2年間、親鸞聖人の喜ぶこととは一体なんだろうと憶念しながら、様々な協議を重ねてまいりました。
良くも悪くもこれが私たちの全てであります。
さて皆様は「お寺」という場所をどのようにお考えでありましょうか。かつてある人は「ただの風景」と表現された方もありました。あるいは「敷居が高い」・「不幸があってから行くところ」・「難しい教義を説くところ」。あるいはお寺に行くにはまだ早いと思っている。など様々な意見があることはよくききます。わたしども実行委員は、そのようなお寺や宗教への固定的イメージを払拭したいという思いからこのような大会を行うこととなりましした。
一方、私たちの心の投影であります現実世界は、殺伐・混沌としています。子が親を殺し、親が子を殺し、妻が夫を殺し、さらには何の関係のない人を「むしゃくしゃしたから」といって無差別に殺すという事件が毎日ように過剰なほど報道され、危機意識が煽られるようにもなりました。このような社会状況の中で、心の渇きを訴えている人は年々増えてきています。しかし、それを受け止めてくれる仲間や師が見つからず苦しんでいる方も大勢いるのが現状です。このように「心の拠りどころ」を見失いつつある人々に、親鸞聖人の教えを伝えたいとの思いか沸き起こってきました。
そのようなことを思いつく根底には、私どもの宗門、真宗大谷派は人々の苦しみに寄り添いつづける教団でありたい、人々に愛される教団でありたい。そして人類に捧げる教団でありたいという旗印のもと、約50年間教団の在り方を苦悶し模索してきたという歴史的因縁があります。
今大会のサブテーマであります『〜傷つけ合う世界の中で〜』という言葉には答えがありません。その問いにどう答えるかは皆様方それぞれです。しかし、人間のこころの奥底にあるものは、傷つけあってしか生きていけない世界への悲しみと深い反省があります。傷つけ合って来た歴史とともに傷つけ合うことを悲しんで来た歴史も共にあります。そのことに思いを馳せることが出来るのから人間であると言えるのです。今大会を通して感じたことは、このようなことを語り合える仲間を持つことは大事だということす。
今回この大会で私どもが学んだことは、親鸞聖人の教えは一宗教団体や一思想界に留めておくような教えではく、国境や宗教を超えて様々な人々の苦悩する人々の中に常に親鸞聖人はおられるのです。
この場を借りて、この大会にご尽力していただいた方々、御門徒の皆様、全スタッフの皆様がたに厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
今回の大会には様々な人にお知らせをしました。東京・京都・大分・熊本・久留米からもこの雨の中車を走らせてきてくださいました。
また、ある人は浦上のカトリックセンターで「こんな講演会がありますよ」と薦められて来た人もいました。または、大学の友達に誘われて来たという人も見かけました。
本の販売はメトロ書店にお願いしました。よく売れていたようです。一体どの本がよく売れたのでしょうか?
アンケートもずいぶんと集まりました。ありがとうございました。終わり次第集計して統計や傾向を見てみたいものです。
このシンポジウムの様子は、6月5日(日)の午後6:00からNBCラジオにて一時間番組として放送されます。ぜひあわせてお聞きください。