親子で帰敬式 前日準備

二年間、計画をしてきましたが、過ぎてみると早いもので、明日がいよいよ帰敬式の初日となります。
朝9時半集合。境内の掃除。食事のあとは担当に分かれて明日に備えます。
お昼は別院の門徒さんにカレーを作っていただきました。ありがとうございました。

いつものことですが、やはり準備ができてないこともあり、一部あわてたこともありましたが、なんとか準備もひと段落。無事に明日を迎えられそうです。


記念品を揃えます。




受式者の法名を確認したら今日はだいたい終わりです。



夕方から東本願寺から宣心院御連枝もお見えになり、そろって御挨拶。

6時からは帰敬式で演劇をしてもらう九州大谷短大の「シアタープロジェクト」の劇団員も無事到着。

いよいよ明日に備えます。



それにしても、明日は不安です。うまく行くのかどうかハラハラします。

福浄寺壮年会との交流

萬行寺の壮年会『白道会』は、去年から川棚にある福淨寺の壮年会『いしんかい』との交流をはじめました。去年は福淨寺さんからのお招きを受けたので、今年は萬行寺が福淨寺さんを招くことになりました。
福浄寺と萬行寺は、深い因縁があります。
萬行寺の1664年(寛文4)11月22日に萬行寺開基である 法名釈道夢法師:俗名御厨左馬之助は福浄寺開基の弟という記述がのこされています。さらに第三世住職の了閑(りょうかん)は福浄寺二世を相続し、引退後萬行寺の住職となっています。現在、了閑の遺骨は萬行寺の歴代住職の墓の中に埋葬されています。萬行寺の亀井家と福成寺の深草家とは同じ”平戸梶”という家紋であることからもわかるように、因縁の深いいきさつがあります。

了閑が萬行寺の三世に就任する頃まで萬行寺は現在地より200メートルほど離れた字小嶋というところに小さな草庵を建てて門徒教化を行っていました。その字小嶋にあった草庵を、現在地の亀水山(きすいざん)に移し現在の本堂・庫裡を新築したといわれています。(元々この場所は六屋敷(むつやしき)と呼ばれ、6件の武家か庄屋のような者の屋敷があったといわれています。)
今現在建っている本堂は1978(昭和53)に改築し、翌1979(昭和54)の4月に本堂落慶を行いました。それまで300年近く当時の本堂がそのまま使われていたとそうです。

まぁ、そのようなことは遠い昔の話であることは確かですが、しかしそれでだけでも福浄寺さんとはなにか特別な感じがするのは私だけではないと思います。


まずは何はともあれ正信偈でのお勤め。


白道会の会長岩崎さんの挨拶


まず最初は福浄寺の住職のお話です。


その後は萬行寺の住職のお話。

その後は二班に分かれての交流会。





どちらも盛り上がって盛んな意見交換が行われました。


そのあとは両門徒入り乱れての酒盛り。念仏談義に花が咲きました。「他人の芝生はよく見える」と言いますが、福浄寺の門徒さんは”さすがだな”という印象を持ちました。

寺報『徳風』編集会議

今日は夕方から寺報『徳風』の編集会議です。
お待ち受け大会大会をひかえ、ますます忙しいかぎりですが、まあそれもいいことではないでしょうか。
次回は12号になります。次回の発行日とおおよその掲載内容を決めて、編集方針を出していきました。
毎回、いろんなことが話題に上ります。これを載せようか、あれを載せようかと悩みますが記事の面積は決まりものなので、そこのところを整理しました。

次号は文字の多い記事になりそうです。

発行は9月1日の予定です。

内容が安定してきましたが、毎回何らかの修正事項が出てきます。それも生きている記事だから仕方のないことでしょう。

お待ち受け運営委員会





帰敬式本番まであとわずか、当日までの会議はこれで最後になります。
あとは前日の準備まで会うことがありません。

今日は決めなければいけないことが満載です。詳細なことが色々とのこってしまい、それらの問題を一つ一つ丁寧に協議しました。
結局、会議は10時半までかかり、くたくたのまま帰宅。おつかれさまでした。ショック


出席者 亀井攝、松林大、近藤祐教、武宮智、大久保倫紀、渋谷
    西藤、巴陵

    <決定事項>
    5月12日(水)
     14:00から公開堂下見
     15:00から教務所にて全体会。
    
※お願い・・・全体会にて各寺の講演会チケット販売状況の調査をします。出席される方は、自坊の最新のチケット販売状況を確認の上、出席ください。なお、5月20日(木)に各寺からチケットの残部と売上金を回収する予定になってます。

今月の遇願洞

帰敬式実践運動伝達講習会にておこなわれた柘植闡英師の『帰敬式について―帰依三宝の行儀―』という講義録を輪読しました。


A>帰敬式を受式していただくために、門徒さんにはいろいろな話をする。しかしおおよその人は死んでからいただくものと受け手めている人がおおい。でもよくよく考えてみると、死後の名前でもいいんじゃないだろうかとふと思うこともある。浄土教は「死後往生」という概念もあるから、生きる苦しみを超えて浄土に生まれるのだから、そういう意味で言えば死後に法名をいただくということもあってもいいんじゃないだろうか。

B>「死後往生」「現生正定聚」ということについては、これまでずいぶん話してしたのできたけれど、そのこのところの扱いは非常に難しいと思う。

A>ん。そこまではあえてふれないとしても、帰敬式を薦めるとき、「法名は死んでからもらうのでは意味がない」とまではいわないけれど、それに近い言い方をしているように思う。そう聞いて生前にご縁のなかった人を送る遺族の気持ちはどうだろうかと思う。もちろん基本は生きているうちにいただくものだけれど、これまで自分は「生きる意味」とか「生きる」ということを闇雲に強調してきた。しかし、よく考えてみると「死後の往生」ということが頭の片隅にないままに話していたように思う。おおよその人が法名は死後の名前と思っている人が多いのだから、なおさらそのことはある意味で重要なポイントかもしれない。そうでなければある意味現世利益を説く典型的な現代の新興宗教と変わらないような気がするのだけれど、このことはどうだろうか。

C>あえて現世利益を強調する必要はないけれども、利益という意味では、もっと堂々と現世利益を語っていいんじゃないかと思う。現世利益和讃ということもちゃんと親鸞聖人はかいているのだから。そこで帰敬式を受式するご縁になって出発点になるならそれでいいと思う。もっと堂々と語っていいと思う。

A>もちろん曽我先生が言われているように、「信心のないものは浄土には往生できない」ということを忘れて死後往生を取り沙汰するならば、その時にいう現世利益は現生正定聚や真宗の教えとは違ったものになるだろうと思う。でも、それ以前に、もっと単純な問題として法名が死後の名前と思い込んで疑う余地のない人に、生きているうちに法名をいただきましょうということをどうやって伝えていったらいいんだろうか。

C>だから、そこのところは現世利益和讃に書いてあるようなことをいえばいいんじゃないだろうか。しかもそれをおそれずに言わなきゃね。

B>柘植闡英師のテキストには、教行信証の化身土の巻は親鸞聖人の教えを詳しく知らない人や迷信といったものに夢中になっている人たちが真宗の教えに興味を持ってもらうための聖人の親切だと書いているけれど、そう思う。だから、だからいきなり頭ごなしに「それは間違っている」「それはだめだ」などと言ってはいない。

E>もう一つは、「おそれずにいうという」ということなら、逆に新興宗教と呼ばれる人たちは堂々としてる。良いとか悪いとかは度返しにして、自分の信じることを伝えようとしている気持ちはぼくらよりも強いかもしれない。そういう意味では真宗の坊主なら真実の教えと親鸞聖人が言われているのだから、もっと自信を持って語るべきだと思う。


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E>遇願洞で真宗同朋会運動を学習しようということだけれど、自分たちは本当に同朋会運動を学ぶつもりがあるのかと思う。実際、おそろしい運動だとおもう。だって、真宗のお坊さんって言っていることとやっていることがバラバラじゃないだろうか。偉そうに言ってるけれど、自分も含めてよくこれだけのことが言えるなと思うことを平気で語ってたりする。そういう悪いところも良いところも全て表に曝け出して、みんなで考えようって言うのだから、とてもおそろしいよね。










緊急告知!!!

4月29日(木)・・・・・長崎新聞に広告掲載
※記念シンポジウムの広告が掲載されます。掲載場所はテレビ欄の下段です。ぜひご覧ください。


4月29日(木)・・・・・・・午後8時〜   NBC長崎放送
5月2日(日)・・・・・・午前1時43分  再放送

「ときめきバザール」PR告知放送

6月5日(土)午後6時〜   NBCラジオ
「記念シンポジウム」特別番組放送

御文会



今日は御文会(おふみかい)がありました。今年も去年に引き続き左底の講の会に参加しました。
御文会は、この時期になると各地域の講で毎年行われるもので、蓮如上人が書かれた御文ををみんなで読みます。この伝統は萬行寺のほとんどの講で行われて、地域によっては、時間で区切って終わりにするところもあります。
中には一日中がかりですべて読破する講もあります。



そのおかげでカタカナ本の古い文体の文章をすらすらと読めるようになります。
今では学校でも教えることのなくなった文章や、仏教の専門用語もたくさん出てきます。
しかし、それでもみんなで声を出して読むうちに、仏教独特の読み癖などや読み方もだんだんと解ってきます。
読めるようになれば、その味わいもなかなかなものです。
長く読み続けた人のなかには、現代語訳されたものよりも昔の文体の方がありがたいという人もいますし、その方が読みやすいと言われる人もいます。

中には明治時代から受け継がれている古い御文をもってくる人もいました。



人は暦を見て時を知りますが、華は体全体で時を感じます。
私たち人間より季節を知っています。花が咲いて私たちはその季節が来たことを知ります。
やっぱり暦だけでは季節を感じることはありませんけれども、花を見ると確実にその季節を感じますね。花に大事なことを教わります。

花は”仕方がない”といって、光を求めるいのちを自らあきらめたりはしない。


”いのち”ということ

以前、新聞で高校生が新聞に投稿したこんな記事を読んだことがありました。一部抜粋して掲載します。
「いただきます」の意味を考える
以前ニュースで「給食費を払っているのだから、うちの子は『いただきます』という必要はない」という母親の意見を聞いたことがある。しかし、「いただきます」は誰に向かって言うものだろうか。その母親は調理員に感謝する必要はないと考えたのかもしれない。しかし「わたしのいのちを支えるために犠牲になってくれた命」に対する感謝の気持ちは浮かんでこなかったのだろうか。(以下省略)

というものです。この高校生は自分の思いを一生懸命に綴ったのでしょうが、はたして食卓に並んだ食べ物は「自分のいのちを支えるために犠牲になったいのち」なのでしょうか。
お釈迦様は、草々が芽吹く春、約2500年前の4月8日にこの世界にお生まれになられました。伝説によると、生まれてすぐ四方に七歩ずつ歩き
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    天上天下唯我独尊・・・天にも天の下にもただ我れ独り尊し
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と宣言されたとあります。そして全世界中がこの誕生を喜んで、大地は震え、太陽や月は光を失い、あらゆる樹木の花が開き、香り高い雨がそそぎ、清らかな声、天の音楽がきこえ、美しい華が雨のように降ってきた。このようにお釈迦様の誕生を表現されています。この伝説はお釈迦様をほめる美辞麗句でもなければ、権威づけるための脚色でもありません。そこから私たちが学ばなければならないのは、人が生まれるということはそれほどに尊い出来事であるということを物語っているのです。
『仏説無量寿経』にも同じような一文があります。
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     吾当於世、為無上尊・・・・我まさにこの世において無上尊となるべし
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いのちは独りして尊い、どのような人にも代わってあげられることのできない命をこの世でただ一回だけ生きる。そうであるが故に、誰もが必ずこのかけがえのない命を空費するまいという願いを持っていきているのでしょう。そう考えると、この高校生が投稿している文章は、「独りして尊い」いのちの在り方を人間中心に考えたのではないかと思います。はたして食卓に並んだ肉や野菜は私のために犠牲になったのでしょうか。



過去の資料から 書きかけの文章

  御遠忌お待ち受け大会の企画にあたって

    学習会について

 この度、遇願洞において学習されて来た『御消息集』が6月の公開講座(講師:益田惠真師)をもって一区切り終了しました。
 そこで新しい学習テーマをたてて再出発するにあたり、お待ち受け大会の内容の掘り下げのため、真宗同朋会運動を遇願洞で学習いたします。

<なぜ同朋会運動運動なのか>
 若手が中心となりお待ち受け大会の企画・運営をすすめるにあたり、我々は教区人として一体何をすべきかと考えました。
そこで、長崎教区がこれまでどのような事業を行って来たのか、どのような願いでこの教区を運営し、教化を行ってきたのか全く分かりませんでした。
そのことを差し置いて新しい運動を展開しても意味がないのではないかというと考えました。

原子爆弾という人類史上稀にみる大惨事を体験した長崎は、心の底から人間の無明への深い懺悔の念を抱きつつ、その焦土の中から法蔵の願心をみいだされました。その声を先達は『非核非戦』という言葉として受け止められ、長崎教区の同朋会運動運動の原動力としてきました。この先達の努力なくしては



今日では忘却の彼方にあるように見えてなりません。
それでは、いったい『非核非戦』とは何であるのか、そのことをもう一度総括しようということになってきました。

いうまでもなく非核非戦は真宗同朋会運動の中で興ってきた長崎教区の宿業的問題ですが、それと同じくして真宗同朋会運動とはどういう運動であるのかも知らないままではいけないと言うことを「教区としてどのように真宗同朋会運動を推進してきたのかを確認しなければ、どのような企画を立てても打ち上げ花火に終わるのではないか」との危惧のもとに進められてきました。
「教区としてどのように真宗同朋会運動を推進してきたのかを確認しなければ、どのような企画を立てても打ち上げ花火に終わるのではないか」との危惧のもとに進められてきました。宗祖の御遠忌をお迎えするにあたり、今一度『真宗同朋会運動とは何か』ということを確かめてみたい。
 
これは『自信教人信の誠を尽くす』人の誕生という願いに帰します。
いうまでもなく、真宗同朋会運動は、このことを明らかにしようと推進されてきた運動であったからです。
宗祖の御遠忌をお迎えするにあたり、『真宗同朋会運動とは何か』ということを確かめてみたい。
これは基本方針にある育成員学習ということにも付随しますが、今回の企画では、真宗の公開(講演会)ということを視野に入れ、教区学習会である『遇願洞』において真宗同朋会運動を学習します。これを御遠忌お待ち受け大会の中心と位置付け、社会問題という視点から同朋会運動を展開し学習します。

学習会は、はからずも真宗同朋会運動の実践課題である次の三点と呼応するものであった。

1 古い宗門体質の克服
2 現代社会との接点をもつ
3 真宗門徒としての自覚と実践

この実践課題は宗憲にもあるように、『自信教人信の誠を尽くす』人の誕生という願いに帰する。いうまでもなく、真宗同朋会運動は、このことを明らかにしようと推進されてきた運動であった。

〈お待ち受け大会における遇願洞の位置づけ〉

長期計画:同朋会運動パンフレットの作成(2012年)
       →三年間の総括として出版。
 中期計画:公開講座(年一度)
 短期計画:毎月一回の学習例会(カリキュラムを策定して三ヶ月1クールにて実施。最初の1クールは同朋会運動の歴史を学ぶ。各期に一回ずつ講師を呼ぶ)