2010.02.25 Thursday
蓮如上人御命日/定例法座
毎月25日は蓮如上人・法然上人の御命日です。
萬行寺では毎月定例法座が朝の10時から勤まっています。
25日は和讃をわかりやすく読み解きながらの法話をおこなっています。
なるべく皆さんの分かりやすいように話をいたしております。
どうぞお参りください。
和讃とは、お勤めで読まれる七五調の和歌です。
一般的にお寺や各家庭のお内仏でお坊さんが読まれる漢文の文章のことを全て”お経”と呼ぶことが多いようですが、実は細かく分類があります。
和讃は、和歌形式になっていて、それに節がついていますので、歌になっています。
お経の場合は全て「仏説」という言葉が表題にきます。これはお釈迦様の説法であることを意味し、必ず誰かの翻訳文であることが明記されています。
ですから外国の国の言葉なのです。そういう意味ではそれを聞いて何を言っているのかわからないのは無理もない話だと思います。
読み方はすべて節がなく、ずらずらと棒読みをします。
和讃の場合は著者が親鸞聖人、それに安土桃山時代になって本願寺の18代目の蓮如上人の時代にその時代の流行歌の調子に合わせて作り替えられ、「正信念仏偈」とともに「三帖和讃」が開版され、門徒の朝夕の勤行に用いられるようになりました。そうして現在に至っています。真宗大谷派では伝統的にその時代のものをそのまま伝承されています。
このおつとめは日本の伝統的な形式のものを踏襲していますが、当時の芸能の影響も受けているともいわれています。
宗教には必ず、その宗教施設で行われる儀式に神や仏をなど讃える歌があります。これは世界中のどの宗教にも共通したもので、この「和讃」ももれなくその形式を踏襲しています。
いわば、真宗の賛美歌ともいえるでしょう。わたしたちは新しいものに関心を持つことが多いですが、このような古いものに新鮮さを覚えることも大事だと思います。
古来から日本人はこのようなものを聞いて来たのだということも大事な学習の一つだろうと思います。
この和讃は正確には「三帖和讃【さんじょうわさん】」といわれ、親鸞聖人の著作で、『浄土和讃』・『高僧和讃』・『正像末和讃』の三編に分かれていて、それぞれが浄土教の歴史や、それを伝えた高僧の物語や浄土の様子を歌ったものがあります。
これは親鸞聖人の主著である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という難しい書物をもう少しわかりやすくまとめたものです。ひらがなを用いて読みやすくされたものです。
親鸞聖人は、晩年まで加筆、再訂したといわれています。真跡本は、完全なものは発見されておらず。三重県の高田派の専修寺にある「国宝本」に一部が真跡と認められるだけです。
書写本は数多く残っていて書写する際に加筆・再訂され、和讃数や順序などが写本により異なっています。
『浄土和讃(じょうどわさん)』
宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。「三帖和讃」の一つ。118首の和讃からなる。
『高僧和讃(こうそうわさん)』
『浄土和讃』と同じく宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。『浄土高僧和讃』とも言う。三帖和讃の一つ。親鸞聖人が選定した「七高僧」を讃える119首の和讃からなる。
『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』
正嘉元年(1257年)頃の著作と言われる。三帖和讃の一つ。全部で116首の和讃からなる。
萬行寺では毎月定例法座が朝の10時から勤まっています。
25日は和讃をわかりやすく読み解きながらの法話をおこなっています。
なるべく皆さんの分かりやすいように話をいたしております。
どうぞお参りください。
和讃とは、お勤めで読まれる七五調の和歌です。
一般的にお寺や各家庭のお内仏でお坊さんが読まれる漢文の文章のことを全て”お経”と呼ぶことが多いようですが、実は細かく分類があります。
和讃は、和歌形式になっていて、それに節がついていますので、歌になっています。
お経の場合は全て「仏説」という言葉が表題にきます。これはお釈迦様の説法であることを意味し、必ず誰かの翻訳文であることが明記されています。
ですから外国の国の言葉なのです。そういう意味ではそれを聞いて何を言っているのかわからないのは無理もない話だと思います。
読み方はすべて節がなく、ずらずらと棒読みをします。
和讃の場合は著者が親鸞聖人、それに安土桃山時代になって本願寺の18代目の蓮如上人の時代にその時代の流行歌の調子に合わせて作り替えられ、「正信念仏偈」とともに「三帖和讃」が開版され、門徒の朝夕の勤行に用いられるようになりました。そうして現在に至っています。真宗大谷派では伝統的にその時代のものをそのまま伝承されています。
このおつとめは日本の伝統的な形式のものを踏襲していますが、当時の芸能の影響も受けているともいわれています。
宗教には必ず、その宗教施設で行われる儀式に神や仏をなど讃える歌があります。これは世界中のどの宗教にも共通したもので、この「和讃」ももれなくその形式を踏襲しています。
いわば、真宗の賛美歌ともいえるでしょう。わたしたちは新しいものに関心を持つことが多いですが、このような古いものに新鮮さを覚えることも大事だと思います。
古来から日本人はこのようなものを聞いて来たのだということも大事な学習の一つだろうと思います。
この和讃は正確には「三帖和讃【さんじょうわさん】」といわれ、親鸞聖人の著作で、『浄土和讃』・『高僧和讃』・『正像末和讃』の三編に分かれていて、それぞれが浄土教の歴史や、それを伝えた高僧の物語や浄土の様子を歌ったものがあります。
これは親鸞聖人の主著である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という難しい書物をもう少しわかりやすくまとめたものです。ひらがなを用いて読みやすくされたものです。
親鸞聖人は、晩年まで加筆、再訂したといわれています。真跡本は、完全なものは発見されておらず。三重県の高田派の専修寺にある「国宝本」に一部が真跡と認められるだけです。
書写本は数多く残っていて書写する際に加筆・再訂され、和讃数や順序などが写本により異なっています。
『浄土和讃(じょうどわさん)』
宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。「三帖和讃」の一つ。118首の和讃からなる。
『高僧和讃(こうそうわさん)』
『浄土和讃』と同じく宝治2年(1248年)頃の著作と言われる。『浄土高僧和讃』とも言う。三帖和讃の一つ。親鸞聖人が選定した「七高僧」を讃える119首の和讃からなる。
『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』
正嘉元年(1257年)頃の著作と言われる。三帖和讃の一つ。全部で116首の和讃からなる。