ゆく年来る年

とうとう今年も終わりです。

来年もよろしくおねがいいたします。

大晦日31日は除夜の鐘です。



毎年この時には200人をこす人で賑わいます。
本当は108つくそうですが、人が多いので実際はなんかいついたのか解らなくなります。


除夜の鐘は、真宗の教えにはあまり馴染まない行事ですが、それもご縁つなぎと思って毎年やっています。
何度か若い人から言われた事がありますが、お寺は除夜の鐘を即きにくるところだと思っていたというのです。
なるほど、今は神社とお寺の区別がつかない人も大勢いますから、お寺といってもいったい何をするところか知らない人がいるのも納得がいきます。
なかには一年に一回除夜の鐘をつく時にしか行っては行けないところだと思っている人もいたりするようです。

そう考えてみると、寺というものが社会にどのように貢献し、役に立ち、人々の心に何を与えるところなかが解らないというのが現状でしょうか。
かつて、オウム真理教の若い信者が、「日本には伝統のある仏教教団があり、たくさんのお寺があるのにどうしてオウムに入信したのか?」と問われた時、「私にとってお寺は単なる風景でしかなかった…」と答えたといいます。これはつまり、お寺は教えを学ぶ場所でも救いを求める場所でもなく、昔からあるただの風景のひとつでしかない。
それはつまりその人にとってみれば、意味のないものであるといっていいということでしょう。
これは大問題だと思います。
そういった事を考えると、先ほど言ったオウムの若い信者とただ除夜の鐘を即きにくるだけの人たちとはそう大差はないともいえるのかもしれません。



来年は長崎教区の『お待ち受け大会』があります。
宗教と縁のなかった人々になんとか繋がっていこうと企画をしました。
来年はさらに具体的におまちうけ大会の運営を勧めていかなければなりません。勝負の年です。


本尊もライトアップしました。

旅の途中

尾道にて

住んでいる人からすると、大変なのだろう。これだけの古い家に住むのも手がいる。
中にはボロボロになって家もある。
全国的に過疎化が進んでこのような町を維持していくのも大変なのだろうと思う。
古い家を改造して若い人たちがギャラリーなどを開いている街角もある。
しかし絵になる町だね。

古い家のデザインが目にとまる。現代のデザインとは考え方そのものが違う。なんと云えばいいのだろうか。
この古さが意外に斬新で、自然で少しもうるさく無い。主張せず調和のとれた総合デザイン。面白い。

尾道の中心部にはお寺が多い。
この界隈はいわゆる寺町で、参道を突っ切って線路と商店街と国道が平行して走っている。






            西山別館


旅の途中

たまには日記らしいことでも書いてみよう


          林芙美子の像


          丘の上から市内を眺める。


広島の次は尾道。
ここは戦災を逃れているため、昔の町並みがそのままの残っています。

      (尾道駅前の風景)


しかも尾道は地形が長崎によく似ていて、海からすく山になっていて山に張り付くように町並みが広がっています。
もし、長崎に原子爆弾が落ちなければきっとこのような町並みを見ることが出来たに違いありません。
日本が戦争で焼け野原にならなければ、このような風景は日本中どこでも観れたのでしょう。

このような町並みの続く日本の原風景はどこか気持ちを落ち着かせます。

そのことをよくよく考えてみると、本当に戦争とは罪なものです。このような風景を一瞬にして焼き尽くすのですから。
かつてあった風景も生活もそして人のいのちや暮らし全てを焼き尽くし、そこに住む人々の生き方や価値観まで変えてしまうのですから。

 その反面、このようなこともあります。かつて「耽美派」といわれた作家、坂口安吾はあの焦土と化した町を歩きながら、荒涼とした焼け跡からわき起こってくる新しい時代の萌芽を感じ胸が躍ったと自分のエッセイに書き付けています。
しかし、これだけの風景を見ると、何か失っては行けないものを失ってしまったような気きがしました。
尾道に来て、このようなことばかりを考えていました。

浄土寺。ここで小津安次郎の「東京物語」のワンシーンが撮影されたそうです。



      夕日もキレイ拍手

大掃除

今日は毎年恒例の大掃除です。
毎年浦郷の門徒がやってきて境内中を綺麗にします。


伝統的に報恩講はそれぞれの地域に役割があります。
浦郷はお華束(おけそく/=もちかざり)と大掃除の担当です。
萬行寺に一番近い浜田はその機動力を活かして、三千近くある餅を丸める係です。
一番遠い日並郷はお斎に出す野菜を届けてくれます。
各地域で回り持ちのはお磨き(=仏具を磨く)です。

一年のうちに溜まった汚れを綺麗に落として、新年を迎えます。

広島



広島というとき
「ああ、広島」とやさしく帰ってくるだろうか。




かねてからの懸案だった、世界遺産、宮島へ。
原爆ドームの側から船で行くこと約50分。


カモメが飛んできて、パンを投げると空中でナイスキャッチ。すごい腕前です。



有名な風景ですね。











山の下組報恩講


今日は年に一度の「山の下組」の報恩講でした。山の下というのは、萬行寺にごく近い家の方々の組です。馴染みの顔ぶれに、子供たちも沢山参加して賑わっていました。みんなで正信偈 と「三朝浄土の大師等」の和讃を唱和し、御院家より法話がありました。------


 さて、みなさんは「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれたら何と答えればいいでしょう。もし、そのように「宗教は何ですか?」と聞かれたときは「真宗大谷派です」と答えましょう。では、その宗教はどのような宗教ですか?と訪ねられたら「お念仏ひとつで助かる、という教えです」と、答えましょう。もうこれで、十分です。
もし、またそれよりもっと詳しく尋ねられることもありましょうが、これ以上にこたえることはないでしょう。
私たちが称える念仏とは、一体どういうものかといいますと、そのことばの通り、「南無阿弥陀仏」です。
それは、「なむあみだぶつ」という形になって現れた、仏さまのすがた(相)なんです。
ではその仏さまとは一体何であるか。それは、いちばん良いたとえでいいますと、「空」であり「海」であるといえます。

「空」は、どこまでも続いていますね。そして、「空」は誰にでも存在する。どこ行っても存在する。
「空」がない人はいますか?一人もいませんね。誰一人として空を持たないひとはいない。
空は真っ暗にもなりますが、かならず光が差します。そらはどこまでも続く闇であるけれども、太陽や星の光がかならず私たちに届きます。

「空」はいつ生まれたか知っている人はいますか?そうです。わからないのです。この先何千年かたって、優れた科学者が生まれたとしても、空がいつからはじまったのか、わからない。さまも、そう言っておられるのです。
わからないほど遠い昔から存在する命を「無量寿」と言います。「寿」というのは「寿命」すなわち、命という意味ですね。仏さまは、無限の時間を生きる空のように、無量の命を生きていらっしゃいます。


ほとけさまは、そのようにいつ、どこの、誰にでも存在し、いつ、どこの、誰をも、見てくださっています。
そして、無量の命のなかで、光をとどけてくださる。
それが、「空」にたとえられる由縁です。

もうひとつは、「海」です。親鸞聖人はとても沢山、「海」を喩えに使っておられます。
「海」は、どんなに汚れていてもどんなに小さくても細くてもまた、どんな生き物が住んでいても
すべての「河」を受け入れます。そして、いつのまにか、大きな海となって浄らかにしてくれる。

私たち人間は色んな心をもっています。
よこしまな心、ずるい心、悲しい心、怒る心、ねたむ心、苦しい心、、、、、、様々な人間がいる数だけ、沢山のこころがあります。
沢山のこころがぶつかりあうから、いつまでも争いは絶えないし人を憎んだり、自分をきらったりしてしまう。

仏さまは、そのようにどんな心を持った者もぜんぶ、差別無く受け入れてくださいます。それが、「海」とたとえられる由縁です。
このように、仏さまは「なむあみだぶつ」という言葉のかたちをとっていつ、どこの、だれにでも存在していて、いつ、どこの、だれをも受けいれてくだる。

これが、私たち真宗門徒の「念仏をして仏さまの浄土に生まれる」という教えです。
 もっと知りたいな、と思われるひとがいましたら、またお寺に来て法話を聞いてみて下さい。

1月22日から28日まで、萬行寺の「報恩講」がつとまります。
その時には、もっと詳しく仏さまのお話をしてくださる「岡本英夫先生」が来て下さいますから、ぜひ聴聞してみてください。

今日は、小さな子供たちや初めてお寺でお話をきく、という人もあり、真宗のおしえについて、とてもわかりやすくお話してもらいました。

法話の後にはお齊がありました。お母さんたちが昼からあつまって作ってくださったとびきりのごちそうでした。

年の暮れを町の人々とともに本尊の前で過ごす、ということはとても大切な行事です。いつまでもこのような習慣が続いて欲しいと思いました。

釈尼 如法

萬行寺での結婚式

今日は若院さんの結婚式です。
前日からの雨で当日の天気が心配でしたが、見事に晴れて気温もそれほど上がらず、いい天気でした。そのために本堂の戸を開け放して式は行われました。

司婚は専修学院委員長、狐野秀存師によって執り行われました。

成道/じょうどう

今日はお釈迦さまがさとりを開かれた日です。

特別法要などはしませんが、仏教徒にとっては大事な日です。
それと同時に、太平洋戦争の開戦の日でもあります。

 この二つの出来事からおもうことは、なぜ釈尊が覚りを開こうと思われたのか、それにはどんな意味があるのか、われわれ仏教徒はよくよく知り深めることが大切なのではないかと思います。



それが過去の悲しい事実を受け止め、それを乗り越えていくことになるのではないかと感じています。                 (釈大攝)



離れの建設/萬行寺図書室

hgf





離れの建設/萬行寺図書室