別院報恩講/準備

今回は急遽萬行寺の華方が別院報恩講の華をたてることになりました。
この準備に2日ほどかかりました。
今日は朝早く時津を出て早速たてます。









みなさんご苦労様です。

離れの工事






とうとう門(上写真)が壊されました。
壊された門は明治の頃に庫裏と同時に建てられたものではないかとのことです。
ずいぶん長い間、萬行寺の庫裏の門として活躍しました。




明治時代の桟(えつり)壁。




10年ほど前の玄関前風景。この頃はまだ現在の離れを建設中の場所に小屋が建っていました。

子ども報恩講の準備


佐世保別院で11月3日に行われる子ども報恩講の準備が着々と進められています。
毎年のことですが、いつもギリギリになって慌ててしまい、去年などは大変でしたので、今年は余裕を持って勧められるようにと思い、早いようですが、夜な夜な教務所に集まって準備をしています。

真宗のことば48

今、いのちがあなたを生きている。

人身受け難し、今すでに受く
                             「三帰依文」

 私として現に生ているということは、大きな驚きと感動をもって受け止めざるをえない。
父母を縁として生まれ、自らの人生を生きる中でふと「この自分とは何か」という疑問をもつことがあるであろう。そのとき誰しも人は、真実の自己を求めてこの世を生きる自分自身を根底から問わずにはおれない。正しくいのちが本当に解くべき問いとなって改めて自分に迫ってくる。

真宗のことば47

今、いのちがあなたを生きている。

この身、今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん

一息うちにはいのちが終わってしまうような不確かな生を生きている我々は、このかけがえのない人生の意義を確かにすることがいのちから求められている。

真宗のことば48

今、いのちがあなたを生きている。

「生死流転」の日常性に何の疑問もなく埋没している限り、生きていること自体が少しも問いとなって来ない。しかし様々な出来事に出会い、自己の人生を問わざるをえなくなった時、人は己ずからの人生を生死流転と気づかずにはおれない。
”人身受けがたし”の一語は、与えられた人生の全体を「この身を度せん」ための唯一の機会としてとして受け止めたことをあらわす言葉であろう。

嘗ていわれた言葉

5年前、専修学院の最後のレポート面接で当時主事をなさっていた狐野秀存先生にいわれた言葉がその頃の日記に書き付けてありました。

現在は先生は学院長を務められています。

<以下は自分の日記より引用>

「自己が自己であることの可能を信じること」林竹二

「自分が自分であることを妨げているものはなんなのか。それはとても根強く動かしがたいものだが、その自由を妨げているものを克服して行く(道理をあきらかにしていく)アクティブな態度、姿勢を考えたらどか」と。
「今すぐには答えが出るわけでもなく、答えがあるわけでもない。大切なのは教えにおしえられて考え続けること」とも云われた。

しかもこの文は「可能性」ではなく、「可能」なのだという。その可能が信じられないのはなぜなのだろう・・・・。



その先生に12月の結婚式で司婚を勤めていただく。
このことを今の時点で「こうだ」といえる自分になったのだろうかと回想してみる。

仏前結婚式/萬行寺

今日は一日いい晴れ。結婚式をするにはいい気持ちです。

昨日に引き続き、今日は萬行寺にて式が執り行われます。
久しぶりのお寺での結婚式です。

お寺で結婚式をするなんて聞いたことがない人が多いかと思いますが、本来仏教徒は仏教寺院で結婚式をするのが当たり前でした。
そのようなことを疑問に思わない人も多いようです。
お参りに行って、たまに「お坊さんは結婚式はどこでなさるんですか?」と聞かれることがあります。
「もちろんお寺です。」と答えますが、それに対して「お坊さんだからお寺でするんですね」とかえってきます。お坊さんだからお寺でするのではありません。本来は仏教徒ならば寺院でご本尊の前で式を挙げるのが習わしであったはずです。
今日の仏教の事情は『葬式仏教』と揶揄されることがあるように、年間を通してほとんどの仏事は葬儀や年忌法事に費やされます。
仏教が葬儀ばかりを執り行うようになったのは明治になり、廃仏毀釈の騒動がきっかけで、主に祝い事は神道、忌事を仏教が執り行うように分けられたと聞いています。
無論、昔も今も仏教は結婚よりも葬儀の方を重んじるという事は変わっていません。
しかし、今日では結婚式というと教会のチャペルや神社で行うものというのが一般的のようで、それを考えると自分が仏教徒であるという自覚が不明瞭になってきているようにも思います。
まして、今日では仏式で結婚をされる家庭が減っている事により、仏教=「死のイメージ」ということが固定化されてきているようにも感じます。(死のことを考えるのはとても大事なことなのですが・・・)

昨今では人前結婚式というのも多いと聞きます。
人の心はコロコロ変わるもの.
いつまでもそのままではありません。
やはり、いつでもどこでも我々を見てくださる神仏の前で誓うのが本来の誓いではないでしょうか。









仏前結婚式/伊万里・大福寺

伊万里(久留米教区伊万里組)指月山大福寺の次男。いとこの結婚式に行ってきました。
仏前結婚式自体が珍しく、見たいという人が多いようで友人や知人の参列者が集まりました。

司婚は福岡県前原市、光明寺のご住職、漢忠夫師でした。漢師は度々萬行寺にもご講師としても来ていただいています。



<仏前結婚式式次第>

新郎新婦入堂
司婚者入堂
開式の辞
司婚者焼香
総礼
勤行  嘆仏偈/短念仏/回向
表白
司婚の言葉
誓いの言葉
念珠授与
新郎新婦献花献香

<式杯>
夫婦交杯
祝詞(法話)
総礼
司婚者退堂
新郎新婦退堂
閉式の辞


おめでとうございます。



披露宴は嬉野温泉大正屋にて。



離れの建設/萬行寺図書室