真宗大谷派の寺院は世界各国にあります。
今回来寺したアメリカの青年も北米開教区からやってきました。
サンフランシスコやバークレー、LA。遠くはシカゴからも来ていました。
みんな中学生から高校生ぐらいの人たちで、日系3世から4世の若者です。
顔は日本人のようですが、ほとんど日本語は話せず。
でも正信偈や念仏は日本人よりちゃんとしていました。それに正座もちゃんとできる。見習うべきところがありました。
初日の晩は、雅楽を聴いてもらいました。
竜笛は外国で言う「フルート」にあたります。さしあたって「ジャパニーズ・フルート」といったところでしょうか。篳篥(ひちりき)はジャパニーズ・オーボエでしょうか、それにしては小さいかな?音は低い音なんかは似てるかも・・・・。
やはり雅楽の楽器の中でも特にこの竹でできた笙(しょう)は変わっているので、目を引きます。吹いても吸っても音が出る仕組みに始終感心していました。
聴いたことのない不思議な味わいのある音が出ます。英語では「a reed pipe wind instrument 」だそうです。
異国の文化人は若いこともあってでしょうか、何にでも関心を示します。
かれらは特に日本に関心があるようです。写真の彼は中でも最年長。日本のアニメなどに関心があるそうです。少しだけ日本語ができます。
それぞれに自己紹介をしました。通訳が入るので時間がかかりましたが・・・・。
次の日は長崎観光。
出島や中華街、それに寺町。長崎はヨーロッパと中国と日本の小京都が渾然一体とした変わった町です。
チャンポンや皿うどんを食べたいというので、中華街へ。近くにあるおおきな花火屋さんで花火を大量に買っていました。
夕方は回転すし。これもまた大喜びでした。
ただ、海外にはみんなで裸になってお風呂に入る習慣がないので、銭湯が苦手のようでした。
これも、カルチャーショックだったようです。
夜は花火。
アメリカでは独立記念日以外では花火は禁止されているんだとか。
長崎では夏になるとこれがどこでも「パンパンパンパン、バリバリバリバリ」聞こえてきます。
そうです長崎は日本一の花火消費量を誇っているそうです。(たいした自慢にはなりません)
これもまた大喜び。とても素直な青年たちでした。
たとえば線香花火を見て、諸行無常の哲学を考える。この感覚がアメリカの人にはわからないだろうな・・・・。
現代の日本人にもそんな人が多いんでしょうね。
アメリカの人はアメリカンドリームという言葉に象徴されるように、「頑張って努力すれば幸せになれる」と考えている人が多いそうです。実際アメリカで開教をしていて感じることだそうです。
それでも、昨今の経済事情。アメリカが不振を続け、経済が斜陽になってきたころから少しずつお寺にやってくる人が増えて来ているそうです。
まさに何時のどの世でも、「諸行無常」が当てはまらない世界はないのですから、いつまでも繁栄が続くと思うのは迷信でしょう。どんなに努力しても、その介なく終わっていく時があるのです。
その「自力が破れた」という時に、自然(じねん)に仏法が染み入ってくるのでしょう。
しかし、アメリカ社会では負けることはそれは許されないことなのだそうです。
そういった悪い面も、良い面でも人間は万国共通なのだと思いました。
海外では日本的な感覚では布教はできないとききました。なるほどそうだと思います。
仏教は時機の教えですから、その人や時代の機に応じて、本質は変わりませんが、表の姿は変わるものです。
海外での布教も、かつてキリスト教がこの国にやって来た時には、ずいぶんと宣教師が苦労し、仏教の考えを宿借りしながら布教したのだと聞いたことがありましたが、それは「なるほど」とおもいます。日本もそういった意味では、私を含め、まだまだ仏教を正確に理解する過程にあります。特に海外では、真宗は全くのアウェー。
キリスト教の国においては国民性から母語そのものが仏教とは世界観が違う中での布教ですから、なおさら大変で苦労が絶えないものだと想像します。しかし、人間の本質を問うならば、生死や無常、真実は不変なもので何時の何処の誰でもがそう畝づけるものです。これはは万国共通の人間の本質です。それを問うなら、人間の垣根などは簡単に越えられるものでしょう。
これから長い間かけて仏法は浸透していくものでしょう。しかし、これが世界の紛争や差別の温床にならないことを念じるばかりです。
朝早く出発。
その後は、京都の同朋会館に泊まりだそうです。
御影堂の大きさになんて言うかな?
大変でしたが、楽しい二日間でした。