2009.03.29 Sunday
大瀬戸 光明寺庫裏の落慶法要と阿闍世の公演!
今日は長崎教区第2組の大瀬戸、光明寺の庫裏の落慶法要です。
今日は帰敬式も行われます。
総勢で300名ほどの受式だそうです。
夕方6時半から、光明寺推進員の学習会で演劇『阿闍世』を上演します。
「庫裏/くり」とは、本堂の横に建っている建物のことで、寺務所やお坊さんが寝泊まりしたり門徒さんがお斎(食事)をいただいたり、勉強会を開いたりする場所のことで、そのために広い建物が必要になります。
よく「お寺は大きいくていい家に住んでるね」といわれることがあります。
しかし、お寺は住職の私有財産でもなければ、いわゆる自宅でもありません。
これは宿坊(しゅくぼう)といわれるもので、仮住まいといったところでしょうか。
したがって、一般的な言い方をするなら、そこに居るお坊さんは「自宅」というものを持っていません。(しかし、実際は自宅のようなものですが・・・)ですから、お寺はどこも私有財産ではなくパブリックな場所なのです。
しかし、真宗の寺院の多くは僻地や過疎地に多く、真宗寺院が密集している地域も多いために、副業をやって生活する人も多いのも事実です。
そういう寺院においては自宅のように使っているところが多いのも事実です。
ということで、今日は光明寺におじゃましました。約200人ほどとらしいのですが、それだけのお客さんを前にすると楽しいですね。
しかも本堂で芝居をやるのは生まれて初めてです。
照明はロウソクの明かりのみ。かつてシェークスピアの時代は夜の公演はロウソク明かりでやっていたそうです。
組の場合の演目はおおよそ夜のシーンの多いものが上演されたようです。
ですから、ローソクの明かりで昼間のシーンもやらなければいけませんでした。ですからシェークスピアのセリフは説明的な言葉が多いのです。たとえば、昼間に夜のシーンを上演する時には「この夜の何と美しいことか、月明かりはちょうどよくまわりの様子がよく見える」といった具合に
観る人の想像力が要求されます。
それがかつては芝居を見る醍醐味でした。現在では照明も発展して昼と変わらないように明るい照明も開発され、よりリアルな世界を創りだせるようになりましたが、ロウソクの明かりの元ではそうはいきません。
そこでは俳優の技量や演技力、それに観る人の想像力が試されます。それだけに不思議な空間が出来上がります。
不必要なところがみえないし、少々暗い分、一生懸命に観ようとするのでかえって臨場感はあるかもしれません。それも一つの醍醐味ですね。
劇場では消防法や広さの問題上本火での照明は無理です。劇場は劇場の良さがありますが本堂ならではの臨場感があります。
バックには阿弥陀如来がいて、親鸞聖人や蓮如上人もいる前で、阿闍世を演じるのですからなかなか劇場では出そうと思っても出せる雰囲気ではありません。
多少狭い感じはありましたが、以外にやり出すとそれほど気になりませんでした。
阿闍世の公演はおおむね好評。これを機会に次につながるといいのですが・・・・・。
今日は帰敬式も行われます。
総勢で300名ほどの受式だそうです。
夕方6時半から、光明寺推進員の学習会で演劇『阿闍世』を上演します。
「庫裏/くり」とは、本堂の横に建っている建物のことで、寺務所やお坊さんが寝泊まりしたり門徒さんがお斎(食事)をいただいたり、勉強会を開いたりする場所のことで、そのために広い建物が必要になります。
よく「お寺は大きいくていい家に住んでるね」といわれることがあります。
しかし、お寺は住職の私有財産でもなければ、いわゆる自宅でもありません。
これは宿坊(しゅくぼう)といわれるもので、仮住まいといったところでしょうか。
したがって、一般的な言い方をするなら、そこに居るお坊さんは「自宅」というものを持っていません。(しかし、実際は自宅のようなものですが・・・)ですから、お寺はどこも私有財産ではなくパブリックな場所なのです。
しかし、真宗の寺院の多くは僻地や過疎地に多く、真宗寺院が密集している地域も多いために、副業をやって生活する人も多いのも事実です。
そういう寺院においては自宅のように使っているところが多いのも事実です。
ということで、今日は光明寺におじゃましました。約200人ほどとらしいのですが、それだけのお客さんを前にすると楽しいですね。
しかも本堂で芝居をやるのは生まれて初めてです。
照明はロウソクの明かりのみ。かつてシェークスピアの時代は夜の公演はロウソク明かりでやっていたそうです。
組の場合の演目はおおよそ夜のシーンの多いものが上演されたようです。
ですから、ローソクの明かりで昼間のシーンもやらなければいけませんでした。ですからシェークスピアのセリフは説明的な言葉が多いのです。たとえば、昼間に夜のシーンを上演する時には「この夜の何と美しいことか、月明かりはちょうどよくまわりの様子がよく見える」といった具合に
観る人の想像力が要求されます。
それがかつては芝居を見る醍醐味でした。現在では照明も発展して昼と変わらないように明るい照明も開発され、よりリアルな世界を創りだせるようになりましたが、ロウソクの明かりの元ではそうはいきません。
そこでは俳優の技量や演技力、それに観る人の想像力が試されます。それだけに不思議な空間が出来上がります。
不必要なところがみえないし、少々暗い分、一生懸命に観ようとするのでかえって臨場感はあるかもしれません。それも一つの醍醐味ですね。
劇場では消防法や広さの問題上本火での照明は無理です。劇場は劇場の良さがありますが本堂ならではの臨場感があります。
バックには阿弥陀如来がいて、親鸞聖人や蓮如上人もいる前で、阿闍世を演じるのですからなかなか劇場では出そうと思っても出せる雰囲気ではありません。
多少狭い感じはありましたが、以外にやり出すとそれほど気になりませんでした。
阿闍世の公演はおおむね好評。これを機会に次につながるといいのですが・・・・・。