大瀬戸 光明寺庫裏の落慶法要と阿闍世の公演!

今日は長崎教区第2組の大瀬戸、光明寺の庫裏の落慶法要です。
今日は帰敬式も行われます。
総勢で300名ほどの受式だそうです。

夕方6時半から、光明寺推進員の学習会で演劇『阿闍世』を上演します。読書

「庫裏/くり」とは、本堂の横に建っている建物のことで、寺務所やお坊さんが寝泊まりしたり門徒さんがお斎(食事)をいただいたり、勉強会を開いたりする場所のことで、そのために広い建物が必要になります。
よく「お寺は大きいくていい家に住んでるね」といわれることがあります。

しかし、お寺は住職の私有財産でもなければ、いわゆる自宅でもありません。
これは宿坊(しゅくぼう)といわれるもので、仮住まいといったところでしょうか。
したがって、一般的な言い方をするなら、そこに居るお坊さんは「自宅」というものを持っていません。(しかし、実際は自宅のようなものですが・・・)ですから、お寺はどこも私有財産ではなくパブリックな場所なのです。

しかし、真宗の寺院の多くは僻地や過疎地に多く、真宗寺院が密集している地域も多いために、副業をやって生活する人も多いのも事実です。
そういう寺院においては自宅のように使っているところが多いのも事実です。

ということで、今日は光明寺におじゃましました。約200人ほどとらしいのですが、それだけのお客さんを前にすると楽しいですね。
しかも本堂で芝居をやるのは生まれて初めてです。
照明はロウソクの明かりのみ。かつてシェークスピアの時代は夜の公演はロウソク明かりでやっていたそうです。
組の場合の演目はおおよそ夜のシーンの多いものが上演されたようです。
ですから、ローソクの明かりで昼間のシーンもやらなければいけませんでした。ですからシェークスピアのセリフは説明的な言葉が多いのです。たとえば、昼間に夜のシーンを上演する時には「この夜の何と美しいことか、月明かりはちょうどよくまわりの様子がよく見える」といった具合に
観る人の想像力が要求されます。
それがかつては芝居を見る醍醐味でした。現在では照明も発展して昼と変わらないように明るい照明も開発され、よりリアルな世界を創りだせるようになりましたが、ロウソクの明かりの元ではそうはいきません。
そこでは俳優の技量や演技力、それに観る人の想像力が試されます。それだけに不思議な空間が出来上がります。
不必要なところがみえないし、少々暗い分、一生懸命に観ようとするのでかえって臨場感はあるかもしれません。それも一つの醍醐味ですね。
劇場では消防法や広さの問題上本火での照明は無理です。劇場は劇場の良さがありますが本堂ならではの臨場感があります。
バックには阿弥陀如来がいて、親鸞聖人や蓮如上人もいる前で、阿闍世を演じるのですからなかなか劇場では出そうと思っても出せる雰囲気ではありません。

多少狭い感じはありましたが、以外にやり出すとそれほど気になりませんでした。

阿闍世の公演はおおむね好評。これを機会に次につながるといいのですが・・・・・。




毎月28日は親鸞聖人の御命日定例です。

祝!!  総アクセス数10000突破!!拍手

どんな方が見られているか分からないのがインターネットの怖いところ。
しかし、述べアクセス数が10000アクセスとは・・・・。
何か商品を売っているわけでもないのにこんなに見てくださるとは・・・。
おかげで随分文章を書く機会が増えました。

それはさておき、今日は親鸞聖人の御命日定例です。

28日は住職の正信偈の話です。

前卓(まえじょく)が新しくなった!

前卓(まえじょく)といわれる䑓を新調しました。
注文して随分かかりましたが、やっとできました。
これまで使っていたモノは約100年ぐらいたっていて、ようく見ないとわかりませんでしたが、随分とガタが来ていました。
博多の小堀仏具店さんに持って来ていただきました。



そこで今回は、これまで使っていた御影堂形(ごえいどうがた)とよばれる形のものから、阿弥陀堂型(あみだどうがた)と呼ばれるものに変更しました。





わお! レリーフも美しい! おっ!青い龍がいるびっくり







これが御影堂形と呼ばれるもので、東本願寺の御影堂で使われているものと同型のもの。
正式には本堂には阿弥陀堂型のものをおくもののようです。
それは御影堂はいわゆる本堂ではなく、道場として発展したものだからだそうです。

阿弥陀如来の本尊があるのはあくまで阿弥陀堂だからです。
したがって本堂は阿弥陀堂です。



傷みが激しい。実は、横の模様がはずれています。強引に付けた後があります。まずまっすぐ立っていない。



お待ち受け企画会



 彼岸法要もようやく終わり、久留米にも行かなければいけませんが、今晩はとあるホテルに缶詰になって「お待ち受け企画会」の会議です。
一応今回で企画会は解散して、いよいよ「お待ち受け実行委員会」として正式に始動する予定でしたが、諸般の都合により予定がストップしてしまいました。

今回は10時まで会議をしたのでみんなクタクタになりました。
しかし、時間は待ったなしです。
決めることだけをしっかり決めて、次の会議に備えます。グッド

芝居の稽古 →九州大谷短期大学へ

ここのところ毎日、久留米まで片道約2時間弱のドライブです。
車の中では、阿闍世のDVDで動きやセリフをチェック。しかし、思ったようにはいかないのが芝居というもの。
大変です。

九短へ 〜阿闍世の公演

九州大谷短大は、その名前が示すように、真宗大谷派の門徒や僧侶を育てる願いのもと創設されました。
その学科の中に演劇を選考する科があるのは、ここだけです。

仏教学科と演劇専攻の先生方が中心となって、親鸞聖人のおしえを伝える一つの手段として演劇を選びました。
九州大谷短期大学(以下:九短)では演劇専攻の学生やOB・OGなどがいることから、仏教学科と演劇フィールドのコラボで、親鸞聖人の教えを他では味わえない内奥を深く追求したものにしたいという願いがあります。
それは、他の劇団などに負けない、九短の武器でもあるはずです。
そこには親鸞聖人の教えを表現するという初めての試みがあり、方便というものをどのように表現していくのかなど、これからの課題は山積ですが、それも公演数が増えていけば、その問題も少しずつ前進するのではないでしょうか。

彼岸会/最終日  

最終日は住職の法話です。

彼岸会/4日目  

今日のお話は若院です。
今回は、十八願成就文についてのお話です。

1月の報恩講で話が途中で終わった形になったので、その続きのつもりです。
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彼岸会/3日目

法話:林田信也

日中は、観無量寿経に書かれた物語『王舎城の悲劇』を中心に、逮夜は、善導大師の『二河白道のたとえ』のお話でした。

親鸞聖人は観無量寿経に父親を殺した子を持つ母親が釈尊の教えによって救わていく様子を描いています。



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彼岸会/2日目

法話は、萬行寺役僧の三澤 教悟師



 親鸞聖人著作の『正増末和讃/しょうぞうまつわさん』の最後にある『愚禿悲嘆述懐和讃/ぐとくひたんじゅっかいわさん』を中心に話されました。(真宗聖典p508)

和讃は親鸞聖人が最晩年に、後に立教改宗の書といわれる事となる『教行信証』を書いたあとに、書かれたもので、和讃という言葉がしめすように和歌の形式で書かれたものです。
お経は中国語を原文のまま読むので、我々日本人にとっては解りにくいものです。しかも現代人は漢文を読めなくなっていますから、読んでもまた解らない。しかも専門用語が随所ににあって解らない事もしばしばです。それ故に様々な誤解や間違った解釈論などが多く現れるのも仕方ない事でしょう。
初めて聞く人には誦文(じゅもん)のように聞こえることでしょう。それもそうです。
ですから、教行信証はおおよそ漢文で書かれていますが、和讃はそれよりも親しみやすく、おぼえやすいように和歌の形式がとられています。
当時では漢文で書かれたものは公式文書ということで、親鸞聖人は自分の修学の集大成として、教行信証として世に出すための書でした。
それにたいして、和讃は漢文より仮名文字づかいが用いられているぶん読みやすくなっています(それでも難しいのですが・・・・)

この和讃は、親鸞聖人がご自分の事を悲嘆したもので、晩年様々な事件に心を痛めながらかかれたものです。
この和讃は和讃集の最後部分に書かれているもので、ご自分の事をあまり語られなかった親鸞聖人がその時の仏教の状況や自分の修学のことなどに触れて書かれているものです。
教行信証の最後の部分でも、親鸞聖人はご自分の修学の軌跡を書かれていますが、和讃の場合にも同様の事がおおよそ書かれています。
しかし、内容は仏教の形をした外道の様子や仏を謗っているものの様子を語っているのようですが、それは紛れもなく自分の相(すがた)であると自己反省の文として書かれています。