2009.01.29 Thursday
ご遠忌おまちうけ準備委員会。
お浚いが終わると、休む暇もなくその日の夕方は「ご遠忌おまちうけ委員会」の会議です。
今回は、おおまかな骨子を出す大事な会議です。
大谷派には『真宗同朋会運動/しんしゅうどうぼうかいうんどう』というものがあります。
これは、1962年(昭和37年)に「真宗門徒一人もなし」という真宗大谷派の自己批判。宗祖聖人の威徳の上であぐらをかき、安逸(あんいつ)をむさぼってきた教団であったという反省と懺悔に基づく自己批判から出発し、世界中の人間の真の幸福を開かんと願い、人類に捧げる教団へと変化していくことを誓いはじめられた信仰の復興運動です。
発足してまもなく50年を迎えます。
発足当時の時代状況(学生運動や戦後の経済復興の時代の雰囲気)をおびた熱の中で始まった運動でした。今日の時代にあっては、その熱も冷め当時のような勢いは失ってきているように思われます。
1956年(昭和31年)に宗務総長名で出された『宗門各位に告ぐ(宗門白書)』には「この憂うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によって、その形態を保っているにすぎない現状である。
寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められているのではないか。
厳しく思想が対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているのではないか。
寺院経済は逼迫し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果たしてこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。」とあるように、厳しい自己批判の中からうまれました。これは今の時代と全く変わっらない状況です。いや、もっと深刻さは増しているようにも思います。
仏教界は全体を通して、目まぐるしく変化する時代の波に対応出来なくなり、さまざまな問題を抱えていました。
大谷派では、内部には宗門の逼迫した経済事情。そして純粋に信仰の問題。それから日本の近代化の問題。
近代化の影響は、それまで頼りにして来た農村が崩壊したこと、それから人間の個別化。そうして家の崩壊が始まっていきます。仏教はもはや近代化によって基盤を失っていたのです。
そのような時代ですので、悩み苦しむ人々に対して新興宗教が大きくその力を発揮していきました。このころ多くの門信徒が新興宗教に流れていくことを留めることも出来ずにいました。
また、そうはならなくとも、表向きには『真宗門徒』といいながら、その実は真宗の教えではないものを信仰しているといった状態です。(今でもそうですが・・・・。)
それから、日本においてマジョリティーだった新宗教団が、多くの信門徒を『聖戦』とし、戦地に赴かせたという過去の宗門の戦争責任と反省。それに関連する様々な問題。また、人権や靖国問題・被差別部落等の差別問題などなど、あらゆる問題を抱えていました。
そういった時代の要請を受け、1962年(昭和37年)に真宗大谷派の機関誌である『真宗』の巻頭言で「真宗同朋会とは、純粋なる信仰運動である。それは従来単に門徒と称していただけのものが、心から親鸞聖人の教えによって信仰にめざめ、代々檀家と言っていただけのものが、全生活をあげて本願念仏の正信に立っていただくための運動である。その時寺がほんとうの寺となり、寺の繁盛、一宗の繁盛となる。然し単に一寺、一宗の繁栄のためのものでは決してない。それは「人類に捧げる教団」である。世界中の人間の真の幸福を開かんとする運動である。」と、世界中の人類に対し宗門の再興を誓い宣言することを持って始められた運動が真宗同朋会運動です。
現代は進んで、深刻な状況が迫っています。このような時代の中で宗祖の750回ご遠忌を迎えるわたしたちが何をすべきか。それは、それとは違った新しい運動を始めるのではなく、先人がそれまでに出来なかったこと、やろうとしてやれなかったこと、やろうとして出来なかったことなどを新たに顕彰し、これからの50年がこれまでの50年を決める。そのためにはぼくらは今なにをすべきか。という問題ではないでしょうか。
そこで同朋会運動について委員のメンバーを中心に勉強会等を開き、それを中心課題として「おまちうけ準備」を進めていこうということが基本理念としてきまりました。