ご遠忌おまちうけ準備委員会。



お浚いが終わると、休む暇もなくその日の夕方は「ご遠忌おまちうけ委員会」の会議です。
今回は、おおまかな骨子を出す大事な会議です。


 大谷派には『真宗同朋会運動/しんしゅうどうぼうかいうんどう』というものがあります。
これは、1962年(昭和37年)に「真宗門徒一人もなし」という真宗大谷派の自己批判。宗祖聖人の威徳の上であぐらをかき、安逸(あんいつ)をむさぼってきた教団であったという反省と懺悔に基づく自己批判から出発し、世界中の人間の真の幸福を開かんと願い、人類に捧げる教団へと変化していくことを誓いはじめられた信仰の復興運動です。
発足してまもなく50年を迎えます。
発足当時の時代状況(学生運動や戦後の経済復興の時代の雰囲気)をおびた熱の中で始まった運動でした。今日の時代にあっては、その熱も冷め当時のような勢いは失ってきているように思われます。

 1956年(昭和31年)に宗務総長名で出された『宗門各位に告ぐ(宗門白書)』には「この憂うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によって、その形態を保っているにすぎない現状である。
寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められているのではないか。
厳しく思想が対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているのではないか。
寺院経済は逼迫し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果たしてこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。」
とあるように、厳しい自己批判の中からうまれました。これは今の時代と全く変わっらない状況です。いや、もっと深刻さは増しているようにも思います。

 仏教界は全体を通して、目まぐるしく変化する時代の波に対応出来なくなり、さまざまな問題を抱えていました。
大谷派では、内部には宗門の逼迫した経済事情。そして純粋に信仰の問題。それから日本の近代化の問題。
近代化の影響は、それまで頼りにして来た農村が崩壊したこと、それから人間の個別化。そうして家の崩壊が始まっていきます。仏教はもはや近代化によって基盤を失っていたのです。
そのような時代ですので、悩み苦しむ人々に対して新興宗教が大きくその力を発揮していきました。このころ多くの門信徒が新興宗教に流れていくことを留めることも出来ずにいました。
また、そうはならなくとも、表向きには『真宗門徒』といいながら、その実は真宗の教えではないものを信仰しているといった状態です。(今でもそうですが・・・・。)
 それから、日本においてマジョリティーだった新宗教団が、多くの信門徒を『聖戦』とし、戦地に赴かせたという過去の宗門の戦争責任と反省。それに関連する様々な問題。また、人権や靖国問題・被差別部落等の差別問題などなど、あらゆる問題を抱えていました。

そういった時代の要請を受け、1962年(昭和37年)に真宗大谷派の機関誌である『真宗』の巻頭言で「真宗同朋会とは、純粋なる信仰運動である。それは従来単に門徒と称していただけのものが、心から親鸞聖人の教えによって信仰にめざめ、代々檀家と言っていただけのものが、全生活をあげて本願念仏の正信に立っていただくための運動である。その時寺がほんとうの寺となり、寺の繁盛、一宗の繁盛となる。然し単に一寺、一宗の繁栄のためのものでは決してない。それは「人類に捧げる教団」である。世界中の人間の真の幸福を開かんとする運動である。」と、世界中の人類に対し宗門の再興を誓い宣言することを持って始められた運動が真宗同朋会運動です。


現代は進んで、深刻な状況が迫っています。このような時代の中で宗祖の750回ご遠忌を迎えるわたしたちが何をすべきか。それは、それとは違った新しい運動を始めるのではなく、先人がそれまでに出来なかったこと、やろうとしてやれなかったこと、やろうとして出来なかったことなどを新たに顕彰し、これからの50年がこれまでの50年を決める。そのためにはぼくらは今なにをすべきか。という問題ではないでしょうか。
そこで同朋会運動について委員のメンバーを中心に勉強会等を開き、それを中心課題として「おまちうけ準備」を進めていこうということが基本理念としてきまりました。


お浚い(おさらい)

ただこの信を崇めよ
       -教行信証総序-
報恩講が終わった次の日にお浚い(おさらい)の勤行をします。
結願のお勤め半分の3首(如来大悲の恩徳はまで)を読んで、次の日に残りの半分の3首をお浚いとして読みます。
これをもって報恩講が終了になります。和讃は『不了仏智のしるしには』です。

次の日の和讃からは「仏智疑惑和讃」と呼ばれるもので、「自分はちゃんと修行したんだ」という充実感が、いつでも驕慢の心(自らを誇るこころ)に変わるぞ。という戒めのような和讃です。
”如来よりたまわりたる信心”を、まるで自分の手柄にするような心。そんな爽快感から、自力の心に我々はすぐなるものです。まさに「不了仏智のしるし」です。


結願日中/最終日

これで今年の報恩講はおわりです。

式次第
<日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『三朝浄土の大師等』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』  



最終日、結願(けちがん)は法衣をつけます。フィナーレのトリを飾る和讃は「如来大悲の恩徳は」です。





台所も大忙しです。最後の日は参詣者全員にお斎がふるまわれます。












片付けの前にお斎をいただきます。これで報恩講最後のお斎です。




食事<メニュー>

おにぎり
煮しめ
さつまいもの天ぷら
こんにゃくのフライ
煮豆
たまご焼き
ごぼうのごま和え


お斎の後は、報恩講のすべての荘厳をといて平常の荘厳に戻します。夕方までかかって華をいけかえます。華方は大変です。








お華束も全部ばらばらにして、皆さんに持って帰っていただきます。














一周間かかった準備も片付けは本当にあっけなく、早いものです。





厨房班はようやく食事。
今日まで約2週間。厨房班は、昼夕のお斎の準備で法話を聞く時間がほとんどありませんでした。
ほぼ毎日違うメニューでお斎をつくっていただきました。とてもおいしかったです。ありがとうございました。
毎回思うのですが、やはり一番の貢献者は厨房班のみなさんではないかと思います。拍手
ごちそうさまでした。そしておつかれさまでした。







町では旧正月に当たる祭り、『ランタン祭り』の最中です。
これから盛り上がるそうです。今日は遅いせいでしょうか、なんだか閑散とした雰囲気です。
夜の浜の町アーケード。
これから、行こか戻ろか『思案橋』へ。差し当たって『打ち上げ』といったところでしょうか。
一週間よく精進しました。
「精進」という言葉を”質素な料理”のことと誤解しておられる方がいましたが、そういう意味ではありません。
もちろん料理のことも指しますがそれだけではなく、じき(食)という修行のことです。
貪るということを出来るだけしない。もちろんいのちについて考えるご縁をいただくといったも言いでしょう。
『命日』という言葉の意味もそういう意味から考えれば、いのちについて考えるといっても言いでしょう。

よく精進したと自画自賛はしてみますが、実際はしたのかな?(反省ショック
明日は『お浚い/おさらい』で、報恩講が終わって息つく暇なく来年の報恩講へ向けて新たに始まることを意味しています。



大逮夜/6日目

晨朝(じんじょう)7:00~
   
   文類正信偈 草四句目下
   和讃    『菩提をうまじきひとはみな』
   御文    『御正忌』

式次第
<日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『浄土の大菩提心は』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』    
 

<お昼のメニュー>

27日ゆずみ豆腐

ゆずみ豆腐丼
ひじき
お吸い物


ゆずみ豆腐丼は、萬行寺の名物で、ご飯の下に湯豆腐が入っています。その上にゴマだれ・海苔・葱をのせたシンプルなものです。
これは前房守が大分の実家で教わったものを出したところ、非常に人気があって今では長い法要の時には必ず出るメニューです。



大逮夜(おおたいや)19:30~

  正信偈    真四句目下
  念仏讃    濁五 
  和讃     「五六億七千万」
  廻向     我説彼尊
  『改悔文』
  法話     若院



27日よる

夜はカレー。
萬行寺のカレーは辛めのようです。
法中が何人来るのかわからない時にはカレーが一番です。



控えの部屋は、法中でいっぱです。総勢15人。(内陣出仕3・下陣出仕6・楽人6)と萬行寺の報恩講では一番賑やかな日です。



















今回はなかなか良かったように思います。



             A nice session!






真宗の寺院は、二つのスペースで構成されています。まず本尊の安置しているスペース。これを内陣(ないじん)といい、門徒が参詣したりするスペースを下陣(げじん)とよんでいます。これは蓮如上人のころから真宗のお寺が道場としての用途が強くなり、今のような形式になったといわれています。
寺院が狭かったり、道場形式などの様式などで、若干の違いがあることもありますが、おおよその寺院には内陣と呼ばれるスペースがあります。
中心に阿弥陀如来。これを中尊前(ちゅうそんぜん)といい、向かって右側を祖師前(そしぜん)と呼び、親鸞聖人の御影が安置されています。向かって左側には、蓮如上人の御影が掛けられているとおもいます。その両脇のスペースには七高僧・聖徳太子・前住職の法名軸・そのお寺の開基の法名軸がかかっているかと思います。
毎年報恩講になると、本堂の広さによってまちまちではありますが、広いところでは、さらにその脇に『御伝抄絵伝』が四幅掛けるようになっています。
しかし、萬行寺ではそのスペースがないために、聖徳太子・七高僧のスペースに御伝抄絵伝を掛けないといけないということで、報恩講の期間中だけ二幅にはおやすみいただくことになりました。

ということで、前置きが長くなりましたが、座敷に太子・七高僧の軸を掛けて門徒の方たちに観てもらうようにしました。

「この二幅は江戸時代、本願時から下付されたもので、この寺の中では一番古いものだといわれています。
右が七高僧、左が聖徳太子です。
ご覧のように顔がほとんど見えなかったり、当時から色が随分落ちたりと傷みが激しいことから、25年ぐらい前に京都の表具屋さんに頼んで法具しなおしました。」「そのとき若院が小学生の高学年だったので、これを抱えて京都の表具屋に行きなさいといって一人で京都まで行かせました。」「死んでもはなすなといったので、帰って来た時に聞いたら、寝るときも一緒に寝たのだそうです。」
そうして、表具師に聞いてみると、そう古いものではありませんが、とてもいいものだということでした。」
お寺にはそういったものがあります。




今晩は『お通夜』と呼ばれ、かつては泊まり込んで結願(けちがん=最終日)を迎えることから、27日の法要後にお斎を出します。
今回は参詣が多いようでした。他のお寺からも参詣がありました。

あと少し/5日目

式次第
<日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『いつつの不思議をとくなかに』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』    







今日の日中から益田惠真師のお話です。
益田師は去年から来ていただいています。長崎教区第2組、報恩寺住職です。


 


<今日のメニュー>
ちゃんぽん
おから
おにぎり
大根の酢の物



式次第
<逮夜>19:30~
  正信偈    行四句目下
  念仏讃    濁五
  和讃     高僧和讃十六『専修のひとをほむるには』
  廻向     我説彼尊功徳事
         『改悔文』    











中日(ちゅうにち)、やっと折り返しです。/4日目

式次第
<晨朝> 7:00~
  文類正信偈  草四句目下
  念仏讃    濁三
  和讃     『本師龍樹菩薩は』
  廻向     世尊我一心
  御文     「三箇条」

式次第
<中日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『生死の苦海ほとりなし』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』    

いよいよ中日。
日中で岡本先生の法話が終わり。。
逮夜は「御伝鈔」拝読と御伝抄絵説きです。拝読者は役僧さんの林田師。絵説きは三澤師です。
岡本先生の法話はこれまで話してきたことのまとめ。
教典で言うところの「流通文」(るずうぶん)にあたります。



 
・・・・<おしながき>・・・・

25日昼

うどん
きんぴら
白菜の卵とじ










本堂の照りを消し、ロウソクの明かりのなか、親鸞聖人の生涯が書かれた御伝鈔が運ばれ、荘厳な雰囲気で拝読されました。
御伝鈔は報恩講の中日に読まれます。
御伝抄は長いので、毎年前半と後半と分けて拝読されます。今年は前半です。
親鸞聖人が出生され、比叡山を下りて法然上人の元に専修念仏の教えを学びにいくまでのご苦労が書かれています。
来年は後半が拝読されます。

御伝抄絵解(三沢)
絵解きは好評につき、今年の前半も三澤師です。

時間が短いためにざっとではありましたが、最後に親鸞聖人の吉水時代のエピソード。法然上人と弟子たちの信心が同じものであるとの議論がおこります。いわゆる”信心同一”という問題のシーンを取り上げ、解りやすく解説されました。
この絵像は、ただ親鸞聖人というひとりの人物の物語を描いたものではありません。親鸞聖人の生涯にわたって念仏の教えを明らかにされたお仕事と、念仏とはどういうものか私たちに教えてくれるものとして描かれています。つまり如来の恩徳の深さを表現したものになっています。









一日中雪です。寒い一日。/3日目

式次第
<晨朝> 7:00~
  文類正信偈  草四句目下
  念仏讃    濁三
  和讃     『尊者阿難座よりたち』
  廻向     世尊我一心
  御文     「大阪建立」


見えにくいね。これじゃ。


たいしたことないけど、寒いことだけはわかるよね?
この辺りでは、雪が降ることが最近ではあまりなくなりました。温暖化の影響でしょうか、珍しいでんす。長崎ででは、雪が降っただけですぐ高速道路は通行止めになります。雪国の人からすれば何だろうと思うでしょうが、このあたりには雪に対しての認識がないといっていいくらいです。


一日中雪がちらついて寒い一日でした。
最近ではこの時期に積もるほど降ることはありませんが、今日は少し白くなっていました。もちろん降ったうちに入りませんが・・・・・。楽しい


式次第
<日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『無碍光仏のひかりには』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』    
 







天親と曇鸞という宗祖があおがれた二人の高僧を中心に、宗祖がになわれた生涯の仕事。信心を顕かにするということはどういうことかということを話されました。


レンコンと茄子のはさみ揚げ
山芋のみそ汁
ふろふき大根
ごはん

お斎をいただいたら、お葬式と中陰です。
本堂では、志の張り出しと、掃除です。

逮夜(たいや)19:30~

  正信偈    真四句目下
  念仏讃    濁五 
  和讃     「十方微塵世界の」
  廻向     我説彼尊
  『改悔文』


  法話     岡本英夫 師(島根県浜田市 徳泉寺住職)

親鸞聖人が生涯をかけて担われた仕事は、信心を顕かにされた。『親鸞』という名のりから見てもあきらかです。




明日は中日。逮夜(7:30~)には御伝抄の拝読があります。どうぞお参りください。

寒いです。/2日目

二日目。
朝から枕つとめが一件。
寒いこの時期になると、病気などで体力を落とされた方々が娑婆の縁を終わっていかれる時期です。
全く待ったなしですね。
明日は日中の法座がおわって葬儀です。

式次第
<晨朝> 7:00~
  文類正信偈  草四句目下
  念仏讃    濁三
  和讃     『安楽仏土の荘厳は』
  廻向     世尊我一心
  御文     「毎年不缺」


夕方から雪がちらついてきました。天気予想では明日はさらに寒くなるとでています。
日中は

式次第
<日中>10:00~
  文類正信偈  文類正信偈 行四句目下
  念仏讃    濁五三
  和讃     『自余の九方の仏国は』
  廻向     願以此功徳
         『改悔文』    
 <法話>


 



お斎のメニュー

うなぎもどき丼(山芋と卵をとじたもの)
吸い物








逮夜(たいや)19:30~

  正信偈    真四句目下
  念仏讃    濁五 
  和讃     「神力自在なることは」
  廻向     我説彼尊
  『改悔文』

  法話     岡本英夫 師(島根県浜田市 徳泉寺住職)

岡本英夫先生

いよいよ始まりました。/初日




式次第
<晨朝> 7:00~
  文類正信偈  草四句目下
  念仏讃    濁三
  和讃     道光明朗超絶せり
  廻向     世尊我一心
  御文     「中古已来」


<初日中> 10:00~




『法服(ほうぶく)』とよばれる特別な時(とても大事な法要)に着る装束とつけます。一人では着れないので、役僧さんに着付けてもらいます。


 登高座
  『伽陀』   稽首天人
  『報恩講私記』
  『伽陀』   直入弥陀
  下高座
  文類正信偈  草四句目下(早)
  念仏讃    濁五 
  和讃     「光明月日に勝過して」
  廻向     願以此功徳
  『改悔文』

  法話     住職


<法話>

仏がわれわれを救うのではなく、われわれを救うはたらきを仏という。
安田理深師はこういわれました。
 「人間は悪いことがきませんように、もっと幸せになりますように」と神仏に祈ります。どれだけ祈っても「そう思いと通りにいかないのが人生である。」とはわかっているのです。そうはいっても人生は悲しく、明日に不安が深いから祈られずにはおれません。
われわれは弱いのです。だから運命を恐れ、さまざまな宗教に誘惑され、だまされやすい。
親鸞聖人は「真実」に遇う以外に救いはない。「真実こそがわれわれを救うはたらきである」。これが根本的真理であるとさとられました。そして自ら道を求めつづけ、ことばをさがして著作し、流浪の旅において語られました。一生かかって、全世界の人間のすくいのために捧げつくし、90歳でご入滅されました。聖人の魂がこもったことばにふれてたすかっていくのです。「報恩講」とはまさにそのことです。
さあ発心して報恩講の法座にお参りください。親鸞聖人があなたをお待ちです。(報恩講の案内状より)



真実という利益
 虚偽(いつわりのおこない)によって起こる悲惨な現実を救うには、虚偽をなくすことにあると思う人があるだろうけれども、私たちは単に虚偽をなくすということはできません。
なぜなら、虚偽とは縁に触れ人間の煩悩よりおのずと出てくるものだからであります。それなら煩悩を無くせば虚偽もなくなると思うかもしれない。ところが煩悩がないということにおいては人間が成り立たない。私たちは、煩悩があるからこそ人間という現実を生きられるのでしょう。だから「煩悩を無くす」という理想的あり方は現実的ではないのであります。すなわち、理想だけあって現実がないのです。では「現実が成り立つ理想」とは、どういう理想なのでしょうか。それは仏が群萠(ぐんもう)に真実を恵むことであります。群萠に真実という利益をもたらそうとする理想、それが誓願であります。すなわち、その仏によって抱かれた偉大な理想を「無常道心」というのです

寺報『徳風』第8号より


というこれまで書いた二つの文を紹介しながら、なぜ真実にあうことが救いなのかということを話されました。



=お斎=
今日から一週間精進料理です。精進料理のことを”質素な食事のこと”と誤解をしている方がいましたが、基本は肉や魚のような 

  しそ巻き豆腐フライ(チーズ・うめ)
  サラダ
  煮物(人参・大根・)
  ごはん





いただいた志の集計します。
掃除をして逮夜に備えます。



逮夜(たいや)19:30~

  正信偈    真四句目下
  念仏讃    濁五 
  和讃     「神力自在なることは」
  廻向     我説彼尊
  『改悔文』

  法話     岡本英夫 師(島根県浜田市 徳泉寺住職)





信心の問題。
歎異抄第2章の問題、信心成就とはどういった問題なのか。ということを話されました。まだ初日序の口です。

報恩講が明日からはじまります。/報恩講準備最終日


今日はアメリカでは新らしい大統領の就任式がありました。「Change!」をスローガンにアメリカがどう変わるのかが見所です。アメリカの黒人が解放されて初めての黒人のリーダー誕生ですから、アメリカ国民にとって期待は大きいのだろうと思います。変わるということはいいことばかりだとはいえません。悪く変わることもChengeです。人生にも人の心にも変化や場合によっては革命も大事です。
これからがこれまでを決めるのでしょう。


さて、明日からいよいよ報恩講がはじまります。今日はすべての荘厳を飾ります。



朝、日並から野菜が沢山届きました。
お斎に使う材料は日並みから届けられます。
この日並地区は、旧家はほとんど門徒です。お寺からは当時一番遠い地区でした。今は車や広くてまっすぐな道路が整備され近くなりました。
長崎市内や琴海方面や長与町まで活動範囲は広がりましたが、昔は歩いて行っていたので報恩講の時期には泊まり込んで参詣していました。
昔から日並という地区は熱心な門徒が多く、総代なども多く出た地域です。
萬行寺から遠いということもあり、かつては力のある講頭がいたそうで、法要の度に通って住職の話を持ち帰り、講中の人たちにその話をそのまま聞かせていたということがあったそうです。
そういった伝統も時代の流れによって変化し、少しずつ参詣が減少傾向にあるのも事実です。


きょうは瓔珞(ようらく)を吊ります。打敷きと水引をかけます。輪灯を吊って華とお華足を荘厳します。それから登高座を置きます。





最終チェックです。手直しをします。以外に内陣が狭くて他の荘厳と折り合いがつきません。微調節をしながら一つ一つ置いていきます。













お華束。横から見たら奇麗です。

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