金色の鹿/ジャータカ物語

金色の鹿

 お釈迦さまがこの世に鹿として生を受けたときのおはなしです。
 山々に囲まれた静かな森の奥にたくさんの鹿が平和にくらしていました。その中に一頭だけ、とても美しく、金色にかがやくりっぱな鹿がいました。
 この鹿は「苦しむ者を一人残らずたすけたい」という尊い願いを持っていたので、森の生き物たちはこの鹿を王さまとしてうやまっていました。
 ある日のこと。森のはずれの川のなかほどで一人の男がおぼているのを鹿は見つけました。川は大雨で水かさが増し、流れが激しくなっています。しかし、鹿は男を助けるためとっさに川に飛び込みました。
「何と急な流れだ。これでは私もおぼれてしまう。でも、なんとかして助けなければ。」鹿は一生懸命に泳ぎ、やっとの思いで岸にたどりつきました。
鹿の美しい体は、傷だらけでしたが男を救ったという喜びで心は満たされていました。
 男は鹿のその勇気と美しさに深く感動し、何度も頭をさげました。
「あなたはいのちの恩人です。どうして恩返ししたらいいのでしょう。」
「私はおぼれている人を見すごせなかっただけです。べつにお礼などいりません。しかし、一つだけたのみがあります。」
「どうぞ、なんなりとおっしゃってください。」
「この森には、いままで人間が入ったことがなく平和にくらして来ました。ですから森をまもるため、町の人々にわたしを見たなどと話さないでほしいのです。私はこのような姿なので、いのちを狙われやすいのです。人々は自分の欲のために友さえも裏切るものです。しかし、それでは人は幸福にはならない。このことをよく覚えていてください。」
「はい、よくわかりました。決してだれにも話しません。」そう約束した男は町に帰って行きました。
 ところがあるとき、その国のお妃が金色の鹿の夢を見て、その鹿を欲しがりました。そこで国王は、「金色の鹿のことを知っている者にほうびを与える」というおふれを出しました。それをきいて男は鹿との約束をなんども思い出しましたが、貧しさにまけ、とうとうその約束をやぶることにしました。
 男から金色の鹿のことを知った国王は、軍隊をつれて、森に鹿狩りに出ました。森は暗く深く、じっと人間をみています。すると行く手にボーッと白い光が見えてきました。男は声をひそめ「王さま、あれが金色の鹿です!」と指さしました。男は約束を思い出し、手がふるえました。国王は思わずハッとして馬をとめました。あまりにも鹿が美しかったのです。鹿は凛々しい姿で国王をむかえていました。そして気がつくと、森の生き物は人間のみにくさにおどろき、逃げていくではありませんか。
ふしぎに思った国王は、男をみました。すると、なんということでしょう。鹿を指さしていた男の手がくさって地に落ち、苦しそうにうめいていたのです。国王はこのただならぬできごとに、武器を捨てておそるおそる鹿の方へ行きました。
すると、鹿は言いました。
「なぜそうなったか彼にたずねてごらんなさい。」
男はこれまでのことを国王に話しました。
「おまえは何と恩知らずな男なのだ。命の恩人を裏切るとは。何よりも罪深いことだ。反省するがよい。」
国王は鹿の前に進み出ていいました。
「何も知らずあなたを捕らえようとしました。どうぞお許しください。」と深く頭をさげました。
やがて鹿は静かに語りはじめました。
「王よ、あなたも親であるなら、わかるはずです。子どもはどの子もかわいいものです。中でも体の弱い子、おろかな子ほど愛おしく感じます。なぜなら、そういう子どもは誰よりも悲しみや苦しみが多いのです。それと同じように、私はこの男が自分のした罪の深さがわかっていながら、わたしを裏切った。それが気の毒でならないのです。」
 慈悲深い鹿の言葉をきき、国王は冠をとり、鹿にむかって両手を合わせました。
 さて、町へ戻った国王は『みだりに生きもののいのちを取ることを禁ず。すべての生きものに慈悲と歓喜を与えよ』というおふれを国中に出しました。国王はその後もたびたび森に行き、鹿の教えを受け慈悲深い政治を行ったので、国は永く平和に栄えたということです。
                             <ルル鹿本生物語>
 

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トップページの写真について/梵鐘の銘



釈尊が弟子である弥勒菩薩に語って聞かせるのです。

仏の遊履したまうところの国邑丘聚
化を蒙らざるはなし。

天下和順し日月清明にして
風雨時をもってし災癘起こらず。
国豊かに民安し。 
兵戈用いることなし。

徳を崇め仁を興し、務礼譲を修す。

仏の遊行されるところ
国・町・村、その教えに感動しないものはない。
そのため世の中は平和に治まり
太陽や月も明るく輝き
風も雨もほどよく吹く。
そのために災害や疫病などもおこることもない。
そして国は豊かで
人々は穏やかに暮らしている。
だから武器をとって争うこともなくなるのだ。
そして、人々は徳を尊び
思いやりの心を持ち
厚く礼儀を重んじて
互いに譲り合うのである。


この言葉は真宗正依の経典「仏説無量寿経」の下巻にでてくることばです。
この文は、衆生が仏智を疑い、それが習性や体質にまでなってしまった様子を描写した「三悪五悪段」といわれる文の後に書かれています。

無量寿経の下巻は、ほとんどが翻訳者である曹魏天竺三蔵康僧鎧(そうぎてんじくさんぞうこうそうがい)という人が中国の人々にも解りやすいように、中国の民族宗教である道教や儒教の考えを取り入れて書いかかれたものです。親鸞聖人の主著である教行信証には、最初に説かれている本願文以外は引用されていませんが、何回読んでも面白いなと思うところです。われわれ日本人でも解りやすいのではないかとおもいます。

私の解釈で簡単に説明するとするなら、次のようなことになるのではないかと思います。

例えば、伝言ゲームのように、誰かが見誤ってしまえば、人はその間違った考えを親に教わり、その親もまた間違った考えを教わる。
 そのため、ついに誰も本当のことを知るものがいなくなる。
そして常にその誤った考えに捕われて生きるしかなくなる。
その状態がいつまでもつづくため、その苦しみから逃れるために互いが争う。
また、そのことが悲しいと解っていても、そうなる根本の原因が分からないから、いつまでも互いが泣きながら傷つけあい、争いあうことを止めることができない。
人々はそういった迷いが絶えないものである。

 そんななかにあっても人々は真実の教えを信じるどころか、そのようなことはないと言い、自分をたよりにして迷信に狂っている。

というようなことが語られているのではなかとおもいます。

 そこで如来は、そんな衆生をあわれみて、その衆生が納得できるまで懇切丁寧に真実の教えを説き広め、相手に応じた導き方で決してあきらめることなくすべての人に教えを授ける。

だからどんなものでもその教えを信じないものはいないのである。つまり誰もが心の底ではその教えを求めているものである。

そう説いた後に、梵鐘にかかれた銘が語られます。

仏の遊履したまうところの国邑丘聚
化を蒙らざるはなし。

天下和順し日月清明にして
風雨時をもってし災癘起こらず。
国豊かに民安し。 
兵戈用いることなし。

徳を崇め仁を興し、務礼譲を修す。


ではなぜ、世の中が平和に治まれば、太陽や月も明るく輝き風も雨もほどよく吹き、災害や疫病などもおこることがないのか。
これはまさに人間が暴利を貪った結果、自然破壊を生んでしまったエゴのことに対してのメッセージのようにもおもえます。

今後世界では、水の取り合いで戦争が起こるともいわれています。
また核(劣化ウラン弾や原発の事故など)によって住む場所を失ったり、温暖化によって故郷が海の底に沈むということも起こると予想されています。

これは、みだりな殺生を繰り返したことによる人災であるといっていいでしょう。

それによって自然の恩恵を受けられなくなった人類が分け合い、譲り合うことなく貪った結果です。

なぜそうなったのか。
そこには、仏の教え(真実に依って生きるおしえ)がなかったのです。


梵鐘の銘はまさに、世界が平和で人々の心が平穏で決して争わないでほしいということを仏が我々衆生に願う。
まさに如来の言葉でありました。

徳風編集室より

記事もそろい、最終校正に入りました。
あと何回かチェックすれば発行になります。
11月の永代経法要の案内状と一緒に発送いたします。
その他で寺報『徳風』が読みたいという方は徳風舎までご一報ください。

別院報恩講の作業

長崎教区では、教化活動を佐世保市内にある『東本願寺佐世保別院』で3日・5日〜9日に行われる『宗祖親鸞聖人報恩講』を機軸にするとしています。

その佐世保別院のかわきりは「こども報恩講」です。

今日はその準備です。

こんかいは萬行寺の境内で作業をしました。

これはモンキーブリッジといわれる縄ばしごの仕込みです。
別院境内の木に橋渡しをして使います。
あらかじめ仕込んでおきます。あとは現場で微調整をしながら実際につり込むだけでOK。
長さは自在になるようにします。






ここでは別院の境内にある大きなくすのきにツリーハウスを造るので、そのための仕込みです。
一年に一回しかしないので、ついつい忘れてしうので、基本的なところはシステマチックにできるように改良。出来上がれば他のイベントなどにも流用可能になります。
しかし、まだまだ改良が必要かな?





完成図は後日公開しようかな。

一組御遠忌準備委員会in長崎教務所

3年後の2011年に真宗本廟(東本願寺)でおこなわれる宗祖親鸞聖人750回御遠忌。
長崎教区の第一組は22ヵ寺ありますが、それを各寺院とも3期に分け、一組全体で約1000人の真宗本廟団体参拝を企画しています。

今日はそのための準備委員会でした。



なにせ大人数のため早めに企画・準備が必要で、それも50年に一回の御遠忌ともなると、一生に一回の法要です。
ちなにみに全国の大谷は全国で寺院数が8784カ寺・門徒数は約553万人ほどあるそうです。
それだけの門徒が一気に京都の本願寺目指して集まって来ますので、考えただけでもすごいことだとおもいます。
もちろん全員行くわけではありませんが・・・。
この年には、真宗の各派でも同様に御遠忌や大遠忌が続々と行われますので、交通機関や宿泊施設も混雑が予定されます。
大谷派では何期かにわけて行うことになっているようですが、それでも相当な数だとおもいます。

HP更新遅れについて



『今月のなあに』が滞っております。
一月サボったら、二月分書かなければならないということをすっかり忘れていました。
もうしばらくお待ちください。

11月には佐世保別院で報恩講が勤まります。
どうぞお参りください。

暑さ寒さも、なんとやら。



今日は一日よく雨が降りました。
やはり日曜日は年忌法事や中陰が目白押し。
報恩講の季節に突入してきました。だんだん忙しくなってきそうです。

それから、だんだん寒くなってきました。
今晩は長袖がいります。

みなさま、風邪など引きませんようにご自愛ください。

お内仏拝見/徳風編集室だより

今回は日並の山下さん宅へお伺いしてお内仏を拝見しました。

このお内仏は萬行寺門徒のなかでも古いもので、明治期のものです。
長崎自体、真宗の歴史が浅く、江戸時代になって真宗の寺院が出来ました。
そういったことから、長崎では、お内仏を安置する歴史が長い地域に比べると、多少お内仏に対しての考え方が違うことや、名号や本尊の表具などの手入もされた形跡のないものが多いのが現状のようです。
また、以前の長崎大水害で流出して壊れてしまったり、区画整理などで古くて良いものがあったのに、いつの間にか取り替えられていたりして、古くて良いものが見当たらないのも地域柄かもしれません。
しかし、それもよく調べてみたわけではないのでわかりませんが、名号や本尊に関しても、おおよそ明治期ぐらいのものが古いものではないかとおもいます。

 今回編集室の特集で伺った山下家のお内仏は100年程立っているもののようで、脇掛けには句仏上人の名号が掛けられていました。


山下さん一家。今日は孫たちも来て、みんなでお勤めをした後、記念撮影をしました。

はい!チーズッ!



編集員と山下さん。
「私の代に変わって4回目のクリーニングをお願いしました。このお内仏は、わたしが物心ついた頃にはもう既にここにあったのでいつ購入したのかわかりません。」とのこと。

100年経っても、ピカピカのお内仏でした。



東小学校の2年生が来ました



晴れ今日は朝から子どもたちが来ました。
いわゆる社会科見学というのでしょうか、地域学習というのでしょうか、町のいろんなところを歩いて散策する。
学習です。

梵鐘の音の大きさに驚いていました。びっくりとても素直な反応です。




Q:ここのお寺は何年前に出来たんですか?
A:370年ぐらい前です。

一同「うわ!すごい!!」という子もいたし、どれぐらいの時間か解らない子もいたようです。
8歳足らずのこどもにとってみると、370年という年月をどのように感じているのでしょうか。

 以前に来た高学年のクラスの子は「この鐘は値段はいくらするんですか?」というなんとも夢のない質問が出たこともありましたが、今回はそういったことよりも、広い境内に驚いていたようです。
これが大人になって来てみると、想像していた大きさより小さいと思うことでしょう。
こどものころは何でも大きく見えたりするものです。
こどもの頃は何事も驚きをもって何事もみるもので、ぎゃくにこっちの方が驚くことがあります。
大人になると、自分の経験や知識に縛られて素直に現実を受け入れられないこともよくあるなと思いました。

例えば、サンテクジュペリの「星の王子さま」にもあるように、はじめはどこかの星の王子さまというようなことを誰もがそう思っている。
しかし、経験や知識をえると、ある日から「君は何処から来たの」と聞くと、◯◯県の◯◯町と応える現実主義の夢のない大人になってしまう。はじめは誰もが星の王子様であったはずなのに。

現代のあらゆる現実主義は人間を非人間に変えることである。
非科学的、非合理的人間はただちに抹殺される。
月給をきちんと貰うためには、人間は変え続けられなければならない。
たしかに現代ほど人間が変化することに大胆だった時代はこれまでになかった。



現実に生きる大人よりもこどもの方が生き生きとしている。そうおもいました。

バイバイ!




徳風編集室より



みなさん。おひさしぶりですね。
いよいよ記事もおおよそ集まり、寺報『徳風』の編集作業が始まりました。

今回は第8号。(まだまだ8号ですか・・・・・)今回は表紙レイアウト少々が変わる予定です。
11月の発行予定ですので、みなさん楽しみにお待ちください。


表紙レイアウトの作業中。



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