御流罪の地をたずねて =長崎教区児童教化連盟in居多ヶ浜==

長崎教区の児童教化連盟の研修旅行で新潟に行って来ました!
総勢40人の大人数です。

子どもたちを親鸞聖人の御刑地に連れて行こうという企画を立てて2年越しの旅行だそうです。

<初日>
まずは初日は朝8:00に長崎空港に集合。

飛行機に乗ってひとまず東京へ






そこからバスで目指すは新潟、妙高高原。




 子どもたちの元気さに圧倒されながら、この日は暗くなる前に東本願寺青少年センターに到着。





初めてみる自分の背丈より高く積もった雪に興奮気味のようで、ついたら荷物を置くより先に雪合戦開始。この日はお夕事を済ませ、食事をし次の日に具えます。
それにしても、明日からの天気が心配。

ー2日目ー

<朝>
あいにくの雨。
本降りに近い降り方です。
お朝事と朝ご飯をたべて、さっそくスキーウエアに着替えて妙高のスキー場に行きました。
ほとんどの人が初めてのスキーです。

雪質は「全然良くない」ということですが、これだけ雪が積もっているのを見るのが初めての子どもたちのはには関係なかったようです。



さすがに子どもたちはおぼえが早い、最初は転んでいましたが、午後にはスイスイとゲレンデを滑って降りていきました。



<夜>
明日の御旧跡巡りはウォークラリー形式で旧跡を回ります。ということでチーム分けを前日に分けました。




−3日目ー



今日はこの旅の一番の目的、親鸞聖人の御流罪の地居多ヶ浜付近の旧跡を巡ります。
この日は天気がよく、快晴。
歩くと徐々に汗ばむほどの熱さ。
昨日とうってかわっての気温差。




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彼岸会レポート =3日日=

今日は雨。
雨になると畑仕事が出来ないために参詣が多くなります。
雨といってもいうほどは寒くない。
ストーブがもういらない季節になって来ました。北国はまだ寒いとは思いますが、長崎はもう春の気配がしています。
今年の桜は去年に比べて咲くのが遅くなりそうです。

法話は昨日に引き続き岡本英夫師です。
岡本師の今回の法話は『仏説観無量寿経』の後半にある観音観・勢至観を中心に、智慧と慈悲についてのお話です。
内容は難しくはありますが、なぜ真実に出遇うことによって人間は救われていくのかということを、一つ一つのことばを丁寧に解説しながら、お話しされました。

<覚え書き>

観世音菩薩=日天子(にってんし)無明の闇を払いのける。衆生の苦悩の声を聞く、世の人をみそなわす菩薩。
大勢至菩薩=月天子(がってんし)生死の長夜を照らし智慧を開かしめる菩薩。

稽首を蒙る(こうべをこうむる)というという言葉を親鸞聖人は”コウベヲツク”と読んだ。この表現は韋提希がはじめて頭が下がったという表現として宗祖が読み取ったということ。

仏の智慧はここまでということがない。私たちはここまでが自分と決めつけてしまう。「こんなもんだ」と自分を納得させて納得させる。しかし、仏の智慧はここまでということがないからいつでも自分が思う以上の自分を照らしている。
それが私たちにとっては不都合。
その自分を在りのままの相であるみとめようとしない。

如来はじっとしていない。常に動いている。
如来という言葉は名詞ではない。

智慧が慈悲となって用らき、慈悲は智慧となって用らかないと救いは成就しない。

彼岸会レポート =2日日=

     <<彼岸の荘厳>>

三具足を置いた上卓と前卓に打敷きをします。
前卓は下に水引をひき、その上に打敷きをしきます。
灯明は平常時には輪灯に灯明をともしますが、彼岸の場合はロウソクと灯明に灯をともします。


今日の参詣は、昨日より若干多かったようです。

法話は日中は住職。逮夜から結願までは岡本英夫師です。


彼岸会レポート =初日=

萬行寺の彼岸会は、一年を通して、報恩講をのぞき、最も参詣者が多い法要です。
 春という時期は子どもの卒業や入学、引っ越や転勤、それからこの時期になると体調を崩す人もいるようで、秋の彼岸よりは若干参詣が少ないようです。


 かつては本堂に入りきれないほどの参詣人でごった返した時代もあったそうですが、そういった時代よりも色々な面で便利になった分、参詣者は減っているようです。
便利になるということも一長一短です。

 ご年配の方が昔を振り返っていう時によく云われるのが、「昔は遊ぶといっても、この辺は田舎だったから何にもなかった。唯一お寺に行くのだけが楽しみだった。」というはなしはよく聞きます。

 昔より遥かに便利になった分、仏法から遠ざかっている印象を受けるこの現代社会とは、一体どういう時代なのでしょうか。

 ここのところ話題になっているチベットでの暴動でも、その国にもとからあった良きチベット文化や伝統がなくなることに危機感を感じての行動ではないかと報道されています。
そのことから色々考えると、萬行寺を取り巻く状況も、あながちそういった良き文化、良き伝統関係がないとはいえないようです。

 無論、伝統や文化には善し悪しがあります。
しかし、人には欲というものがありますから、大概の場合、気持ちが楽な方ヘ楽な方へと気が向きがちです。
 自己を問うといった最も人生にとってせねばならないことがおざなりになり、不実な自己を正当化する文化や伝統がもてはやされていきがちです。
そういった意味では、お寺で聞法修行し、その伝統を相続していくということはとても大事なことだとおもいます。
まさに『彼岸』ということばが修行を完成させるという意味、paramitaというサンスクリットの言葉ですから、お寺に参詣するということはとても功徳のあることだと思います。

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初日から二日目の日中までの法話は住職。
二日間のお話は、念仏者の生き方とは一体どういうものか、念仏して生きるとはどういうことかということを善導大師の『観経疎』の中にある『二河白道の譬え』(真宗聖典p219)に依ってのはなしです。

今日は、その中に出てくる群賊悪獣とは、我々にとってどういうものかということ、愛欲・瞋恚の二つの河とは一体どういう河なのか。ということが話されました。

  聞き耳を立てる 参詣には大谷声明集↓     真宗聖典をご持参ください。↓
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彼岸会 in東本願寺長崎教会

だんだん春らしくなって来ました。
今日の長崎はずいぶん暖かかった。
しかし、まだまだ油断できません。

ということで9日・10日と筑後町にある長崎教会の彼岸会に行って来ました。
長崎教会といっても、キリスト教の教会ではありません。
正式には東本願寺長崎教会といいます。その敷地内に長崎教務所があり、長崎教区ではこの教務所と佐世保別院とで中心的な役割を担っています。

長崎教会の建物は以前、NHK長崎放送局の上にある26聖人処刑の地のモニュメントがある場所にありました。
それが原爆投下後GHQの方針により、現在の場所に移りました。
その後、その場所に原爆でなくなった身元の解らない人々のお骨が沢山運ばれてきました。
それ以来、毎月9日と8月9日は原爆法要、原爆定例として勤まってきました。
参詣者の高齢化や原爆の記憶の風化、非核非戦の碑や定例の知名度の低さ、高齢者にはキツい何段もの階段を上る立地の悪さなどもあってでしょうか、わたしも彼岸会には初めて参詣しましたが、人はまばらです。それでも毎月お参りに行くと、足しげく通い聞法している門徒の姿に頭が下がります。


9日は毎月、原爆定例として、『非核非戦法要』が行われていています。
今回の彼岸会の講師は雪の浦・真光寺住職 武宮勲師でした。
仏説無量寿経の中にある『嘆仏偈』の文(真宗聖典p13)

 假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

たとい、身をもろもろの苦毒の中に止るとも、
我が行、精進にして 忍びて終に悔いじ。


を引用してお話しされました。

    >>萬行寺 春期彼岸会のあんない
  >>萬行寺HPに戻る

祝 !!

ただいま日付が変わって8日の0時48分。
拍手めでたく、ホームページが5700アクセスを突破しました!!
おめでとうございます!
って自分で言ったりなんかして・・・・。

メッセージも受け付けてますよ。

春期 彼岸会の案内


>>HPに戻る

仏華講習会 in西光寺

年に一回の長崎教区仏華講習会です。
去年の依所は萬行寺でしたが、今年は第1組、福田の西光寺で行われました。

今回は各家庭のお内仏の華をいけました。
お寺の仏華は花瓶(かひん)が大きく、特殊なものですが、各家庭で自分でも出来る仏華のたて方はそれぞれの仏壇の大きさに合わせて工夫をすることが必要だと思います。



大谷派の仏華は池坊の立華を基本としています。
立華の場合はそれぞれの枝ぶりの出どころを見せるもののようですが、仏華の場合は見えないように立てるようです。
水際の立ち上がりの具合もすっきりしていて、奥行きがり、バランスまとまった仏華でした。

萬行寺日曜学校

今日は日曜学校。




今回はレオ・バスカーリア作。
   みらい なな訳

絵本『葉っぱのフレディ(いのちの旅)』を読みました。



物語は、一枚の木の枝の若葉として生まれた「フレディ」の世界をとおして、誰もが避けては通れない死の問題をやさしい言葉でかかれています。
死という人生の根本問題を通して観えてくる生の意味。
そして「いのち」の連続性を考えさせてくれる絵本です。





 

彼岸会レポート =2日日=

聞き耳を立てる<<彼岸の荘厳>>

彼岸中の各家庭での荘厳は、水引と打ち敷きを敷きます。
平常時は蝋燭ではなく輪灯(りんとう)にあかりを灯しますが、彼岸の場合は、輪灯と燭台火を灯します。

お供えは、餅からくがんを供華(くげ)に入れて供えます。



二日目。
昨日に比べて参詣は多いようです。
法話は昨日に引き続き、『二河白道の譬』です。
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