2007.10.28 Sunday
2007.10.27 Saturday
帰敬式受式者のつどい in 萬行寺
今日は本堂に50人ほどの帰敬式受式者が集まりました。
全受式者が112名ですから、その半分近くが集いに参加したことになります。
普段お寺に足を運ぶことのなかった方も中にはいて、慣れないのでしょうか、緊張した面持ちの人もいました。
いつもの法要の時のような雰囲気とは違い、緊張感があっていい集いでした。
受式者一人一人に法名の読み方、その出典(無量寿経)の頁と言葉を書いたものを渡しました。
なかには、肩衣(かたぎぬ)の掛け方や、何の時に掛けるのかなどの質問もありました。
また、ある人は何度も法名の意味を「わからん、わからん」といって訊ねてくる人もいました。
しかし、ローマは一日にしてならず、一回聞いてすぐに解るということは、そうそうありません。
聞けば聞くほど深みがあるのが仏法というものなのでしょう、少しずつ少しずつその法名の意味をそれぞれの人生の中で噛み締めながら、味わいながら学んでいくキッカケ、ご縁にして欲しいと思います。
法名にまでなってまで、私たち一人一人に「真実に生きよ」と呼びかけられている仏の願いは、わたしたち一人一人にとって人生をかけて果していかなければならない人生の根本的課題でもあるのでしょう。
この会の最後に集まった方々から一言の感想文を書いていただきました。
どの感想も法名をいただいたことを嬉しく思っている様子がよく伝わってくるものでした。
それを読むとかえって見の引き締まる思いがしました。
後ほど、寺報『徳風』で報告として、何らかの形で内容を掲載しようかとおもっています。
どうぞ、お楽しみに。
2007.10.23 Tuesday
法要案内更新
2007.10.18 Thursday
佐世保別院/子ども報恩講の準備
2007.10.17 Wednesday
10月16日
萬行寺には、「相続講」という聞法会が各地区にあります。
これは蓮如上人の御文の中にもでてくる、いわゆる『寄り合い談合』(今でいう談合とは意味合いが違います)のことです。
各地・各寺によって呼び方が違ったり、形態が違ったりしますが、おおよそ真宗の伝統の中では長い歴史を持ち、相続の中心的役割を果たして来たもののようです。
萬行寺の相続講は、まず在家報恩講を勤めることと、毎月聞法会を開くことが基本的な条件です
。それから各地域によっては年に一回の蓮如上人のご命日に御文を一日で全てを読破するところもあります。
各地域で様々な特色があってバラエティーに富んでいて面白いです。
今日は元村2地区の相続講がお寺のお内仏でありました。
2007.10.13 Saturday
いくつかの覚書
その死という感覚を持っているのは人間だけ、それは誰かに教えられることによって「死」という観念が生まれる。
○文明は死を見えなくしている。遠ざけている。実際にいろんなものが開発されて便利になったが、人間は有史以来ずっと考えなければいけない人間存在の根本的問題を見ないようにしてきた。これが今日の文明の姿。
○人はいつか死んでしまうのになぜ生きるのか、ほんとうに生きるとはどういうことか。死んでしまえば無意味になっても生きる意味を求めてしまうのはなぜか。
○「自分」という存在はそもそも無い=「空」
自分というものを玉ねぎに譬える。
どんどん玉ねぎの皮をむいていくと最後には玉ねぎは無くなる。→自分という存在があると思っているけれど実はその存在は無い。
○教信行証→いつか覚ることができる。
教行信証→いま覚る。
○摂取不捨=根本的問いから離さない、逃がさない。
○自分というものは真実のかけらである。
○念仏は行為ではなく、存在。
○地獄を怖れる心に地獄がある。=幽霊がいると思うからススキの穂が揺れただけで怖いと思う。
○現代人は、人は生まれるたら幸福になる権利があるということを信じている。これは迷信。
→理想の自分は幸せなのだと理想のほうから自分を見る。そうすると理想どおりに行かない今の自分の現実が受け止められない。これが迷い。
○迷信。→迷いを信じる。迷いが深まるようなことを本当だと信じている。
2007.10.09 Tuesday
帰敬式 自分の法名は憶えましょう
萬行寺では9月24日に帰敬式が行われ、120人近くが受式されました。
1989年(平成元年)には500人、98年(平成10年)には150名が萬行寺で受式されました。この間に真宗本廟で受式された方もおられますから、この17、8年の間におよそ1000人近くの門徒さんが法名をいただいたことになります。
しかし、実状はおぼえていない、仏壇や引き出しにしまっている。またはどこにしまい込んだか解らないなど、様々です。
名前は呼んで初めて名前になりますし、呼ばれて初めて名前になります。
しかも、法名が書いた紙が大事なのではなく、その中身が大事です。
字は読んで初めて字の役割を果たすのです。
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子どもが生まれると必ず名前をつけます。
そしてその名まえを周りの人が呼んで初めて子どもは自分という存在を自覚し、親は、その子どもに「おかあさん、おとうさん」と呼ばれて親としての自覚を確認しているのです。
法名もそのことと同じです。
親と子が呼応しあって自覚的な親子になるように、仏弟子になるということも南無阿弥陀如仏と如来の名を呼ぶことで真の仏弟子になっていこうとするのです。
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そこで広く法名を活用し、広く知っていただくために、いくつかの提案です。
◯ お布施、志、お祝いなどののし袋の名前を書くところに「法名 釈◯◯」と書き、その横、または裏に俗名を書いてみてはいかがでしょうか。
葬儀の場合、仏弟子の葬儀に参列するということですし、お寺に参詣する時は仏弟子として仏法聴聞するのでしょうから、その時こそ、法名本来の意義がいきるのかもしれません。
◯ブログや手紙などのペンネームなどで法名を使う。
という提案です。よろしくおねがいします。 Daisetu/大攝
2007.10.04 Thursday
組門徒総代一泊研修 in北九州〜下関
今月の皮切りは声明講習と組門徒総代一泊研修。下関までいってきました。
まずの目的地は九州国立博物館の本願寺展。
その後は下関へ移動。宿泊。
次の日は妙行人、おかる同行の郷、六連島と唐戸市場へ。
船に揺られること約20分。
関門海峡近くに浮かぶ島六連島へ到着。
六連島は人口 159人 面積 0.69km 世帯 42世帯 周囲 3.90kmの小さな島。
おかるさんの菩提寺、浄土真宗本願寺派 西教寺で勤行。
この日は住職さんが出張中だったのでみんなでおかる同行について取材したビデオを鑑賞しました。
そのあと西教寺の前で記念撮影
いい天気です。
さあ、もう戻る時間です。
この辺りは海の交通の要所。大きいタンカーが行ったり来たり。
関門大橋を観ながら瓦ソバをいただきました。
唐戸市場で買い物
下関はふぐが有名ですね。
一路長崎へ
2007.10.02 Tuesday