今日の出来事と本尊紹介!!!

今日はこれといって特別なことはありません。
きょうは役員会と、徳風の編集会議がありました。
6月、役員会

きのうはいい天気でしたが。きょうは降ったり止んだり。
そら。

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萬行寺の阿弥陀如来。
如来は目を閉じてはいない。半眼だ。煩悩がないから笑いもしない。悲しくても泣くことはない。確かに一度も笑ったり怒ったりしたところを見たことがないね。
いつも、平常心で無我の顔やさしい顔をしている。

それから、福耳には穴がある。
うっすらとヒゲが生えているが、男でもなければ女でもない。
如来顔アップ



阿弥陀の手には水掻きがある。これはあらゆるものを救うという如来の本願を顕わすための方便。
如来の手アップ


萬行寺の阿弥陀の手1


以外にゴコウは頭にくっついていると思われがちだが、くっついていない。
如来の後光


実はゴコウは蓮の花から出ている。
これは蓮が光っているということだ。如来はその蓮の花の上に”光”として現れている。蓮の上に乗っているように見えるが、これは蓮の上に現れた如来、すなわち如来は光。
阿弥陀という言葉は”光”と”命”という意味がある。
だからこの”蓮台”が大事なんだ。
蓮は泥の中に花を咲かせる。これもつまり、どんなに汚れた世界であっても、その汚れに塗れない美しい花、光り輝く花(真実)を咲かせるという意味がある。
如来斜め後ろ姿

如来さんは裸足なんだ・・・・。
そして、足はふくよかで柔らかい。まるで赤ちゃんの足のように軽く、フワフワと気持ちがいいくらいに柔らかい。そして、どんなものを踏んでも決して殺したりしない。
むしろ踏まれたものは、その仏の法に触れ、ふたたび命が光り輝き、そして悦びに満ちあふれる。
もちろん足にも水掻きがついている。
これは、少しでも多くの人がその真実の法に触れることで、さらにその命が輝き、悦びをえさせる。これは「あらゆるひと漏らさず救いたい」。という如来の本当の願いの表現。

普段は滅多に観れない仏さまの足。
如来の足




<仏具編>


鶴亀の燭台の蓮はつぼみが前。
鶴亀 鶴の蔓


鶴亀の燭台は右左がある。三具足の場合、燭台は右側の鶴亀だけを使うのが通常のお飾り。
左用は在家の家庭ではほとんど使うことはない。
右用は尻尾が前(下陣)を向く。
鶴亀しっぽ


鶴は”大空”をあらわす。



亀は”大地”をあらわしている。これはどちらも仏の智慧をあらわしている。
この亀は何故か耳がある。玄武に似てる。
鶴亀の亀


3本足のものは、一本足が前。
香炉


上卓(うわじょく)。欄干の間に入る大きさ。
上卓(うわじょく)

秋安居in長崎教務所

読書6月3日・4日・5日の三日は長崎教区の秋安居(しゅあんご)です。
安居とは、いわゆる修行です。

見る釈尊の時代には、雨期になると外に出て修行が出来ないために、雨期のあいだは晴耕雨読、道場にこもって修行をしていたことに由来しているという話です。


内容は講義が中心でお勤めの稽古や座談などがあります。

長崎の安居は全国の教区でも珍しいらしく、全寺の住職・若院・役僧・坊守・老僧の有教師者(僧侶の資格を持っている人)がこの日のために、スケジュール調整をして3日間泊まり込みで修行します。
さすがに三日間もお寺を空けるわけにはいかないので、実際はほとんどの場合、坊守が留守番になります。
萬行寺もこの三日間は、葬式以外の全ての法務をお休みにし、4人揃って参加しました。

 去年までは佐世保にある別院で行われていましたが、今年から長崎と佐世保と交互でおこなうことになり、今年は教務所での開催になりました。

講師は去年に引き続き、大谷大学教授の延塚知道師です。
三年かかって『浄土論』と『浄土論註』を中心に講義があります。
今年の講題は『浄土論註と教行信証』でした。



長崎の安居はかつては、曽我量深、金子大栄などのそうそうたる先生方が講義をされたらしく、
昔から、一年のうちでも報恩講とともに大きな行事として位置づけられています。



朝のお勤め



二日目と三日目は楽入り法要。
お経があがりました。



今年は総勢4〜50名ほどでしょうか。例年よりも今年は、若手の僧分が多く参加していたようです。


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