12月6日、滋賀県愛知郡湖東町にある金壽堂の工房まで「梵鐘火入れ式」に行きました。
同行したのは坊守と総代さん二名の4人でした。
工房がある湖東町は京都から左に琵琶湖を望んで名神高速道を1時間ほど走って、八日市ICで下りたところにある閑静な農村です。
久しぶりに見た滋賀県の農村には、まだ古来のたたずまいが残っていて、広々として美しい耕地には冬の気配がしていました。小堀仏具店の大八木さんの車でこゝまで連れてきていただきました。
金壽堂さんの応接室に通され、営業の小菅さんのご挨拶を頂きました。「ただいま”ゴーゴー”という音がしておりますが、あれは金属を溶かしている溶鉱炉の音でございます。梵鐘は銅75%に錫15%を混ぜます。今日では溶鉱炉は重油を使っております」こういう説明があった。
しばらくして小菅さんの案内で工場前の庭に陳列された作品のいくつかを紹介していただいた。大きさが大小の梵鐘が数基、親鸞聖人旅姿のブロンズ像、本堂前の雨受け用蓮葉水鉢、また大きな鰐口など様々な作品が並んでいます。本堂用真鍮の華瓶や鶴亀の燭台もこゝで造られるそうです。
この金壽堂さんは、本山御影堂門の前にある蓮華の噴水も造られたそうです。
さあいよいよ工場に入ります。僕は間衣・畳袈裟を着て、少し緊張を感じていた。
工場の中は高窓から入ってくる午後の夕日が照明となっていて、陽の差さない隅っこは意外に暗い。”ゴーゴー”という溶鉱炉の音で、お互いの声は聞き取りにくい。
入り口を入ったところに舟形光背の阿弥陀如来が御厨子に入って、灯明・お華・御供えも整然と荘厳されています。小菅さんのご案内で、まず勤行。『願生偈』・短念仏・回向願以此功徳。なぜか感動的な気分のお勤めでした。
この会社の社長さん黄地耕造さんが作業姿でご挨拶してくださる。黄地さんという人の名前は随分以前から聞いていた。西福寺の華瓶が黄地さんの作品でしたので、よく覚えています。中国古代の文様のようなとても美しいムーブメントの作品です。
ああいう美しい物を造られる人なのに、風貌はどっしりとした”貫禄親爺”という表現がいいでしょうか。代々の鋳物師黄地家の当主です。
工程はコシキと呼ばれる溶鉱炉から出てきた1、200度以上に溶けた、うす桃色に輝く金属を鋳型に流し込む、いわゆる「鋳込み」という緊張の作業です。5人の作業員が鉄の棒を持って金属の色や硬さなどを見ています。黄地さんがしきりに下がってゆく温度を気にしながらストップウォッチをにらんで、流し込むタイミングを見計らっています。
鋳込みの作業は今日では重油の溶鉱炉に電気送風機で風を送り、重量に応じてクレーンを使っって作業をしますが、かつては、タタラと呼ぶ足踏み式の大きなふいごを交代で踏み、溶解炉であるコシキに風を送り、コシキの中の燃焼温度をあげて銅の合金を溶かしていました。
このコシキ炉とタタラの様子は中国の古い書物にも書かれている伝統的な方法です。
大きなものを作る時、運搬が困難であった頃には、鋳物師はこの方法で現地に赴き、タタラやコシキを作って鋳物製品を作っていました。これを「出吹き」と言います。
いよいよ鋳型の中に流し込む作業です。号令がかかり、黄地さんの数珠を持った両手が合わさり、「なんまんだぶ」と、太い念仏の声がすると、高温に溶けた赤い液体が小さな鋳型の口から流し込まれてゆきます。
赤い液状の金属はまるで生き物のようです。その時、藁灰が一緒に混ぜ込まれる。藁灰が不純物を除去してくれるんだそうです。
古来からの知恵ですね。鋳込みが終わると2日間、鋳型が冷えるのを待ち、鋳型をばらして完成となります。
今ではクレーンを使ったり、近代的な溶解炉を備えた工場での製造となっていますが、工程そのものや、音色にかかわる微妙な技の数々は、伝統に支えられたものです。
作業の見学がおわると、応接室にご馳走が用意してあります。腹一杯日本酒もご馳走になって、小堀仏具店の大八木さんの車で京都に戻ってきました。
住職