「廃仏毀釈」についてのメモ その4

  • 2009.03.08 Sunday
  • 01:04
〈明治4年「寺領上知(じょうち)の令」〉

 これは古来よりあった寺の領地を全て取り上げ、経済的な面から寺を追いつめた。
古い大寺ほど徳川家を始めとする大名家から寄進を受けていた。
古都奈良の寺や全国の由緒ある寺が一気に食べていく手段を失ったのである。
そのため、寺は内部から崩壊して、神職に走るものや仏像や寺宝を持ち出すものなどが後を絶たなかった。ここからも多くの美術品の流失が始まったのである。僧侶達の動揺は凄まじく、食べるために僧侶を捨てる過激な廃仏毀釈に走ったのである。

 日本型政教分離による国家神道明治4年の欧米を訪問した岩倉使節団は、訪問する各国でキリスト教迫害について抗議を受けた。
明治政府は浦上キリシタンの弾圧を中止し、明治6年キリスト教禁止令が解かれた。
また、各宗派の上に立つという神道はなくなり、明治15年に神官は葬儀に関与しないことになり、僧侶が葬式を行うことになった、已来、葬式仏教と時折揶揄されるようになったのはこの頃からである。

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