• 2008.02.11 Monday
  • 23:58
 さいわい横川には、かつて源信僧都という浄土教の
先覚者がおられました。

東塔や西塔が栄華をきわめ堕落したときでも、横川
だけが本来の面目をたもちつづけ、山の念仏は源信
僧都によって伝統がまもられ、ひろめられていたと
いわれています。

恵信尼さまの手紙と、『伝絵』の「楞厳横川の余流を
たたえて・・・・」とをあわせ考えてみると、横川の
首楞厳院で堂僧として、不断念仏の行をはげまれた
ことがうかがわれます。



  不断念仏というのは、仏の救いにあずかるために
道場にこもって、身はつねに阿弥陀仏のお像のまわり
をめぐり、口はつねに阿弥陀仏の名を称え、心はつねに
阿弥陀仏を念じつづけることによって、阿弥陀仏と行者
がひとつに融けあう、三昧の境地にいたることができると
いうものです。

そのためには、いっそう堅固に戒律をまもり、心を平静
にたもち、正しい智慧によって真理をさとらねば
なりませんから、その行者としての聖人は、戒律と
禅定と智慧という三学に達した聖僧として、いままで
にもまして刻苦精進されました。

こうして自分の心を清らかに静めてゆくことによって、
いつかはかならず心のなかに阿弥陀仏があらわれ、
救ってくださるにちがいないと信じられたからであります。

しかし聖人はただのいちども、救われた境地にひたることは
できませんでした。



 そこで修行のやりかたを変えて、一心不乱の称名を
説く『阿弥陀経』にもとづき、また源信僧都の『往生要集』
に示された「往生の業は念仏を本となす」の指導によって、
「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と仏の名を称え
られました。

こうして仏の名を称えて一心に救いを念じておれば、
仏はその願いにこたえて、きっと自分を救ってくださる
ものと思われたからであります。


 だが、どれほど一心不乱に念仏を称えても、救われた
よろこびの心をもつことはできなかったのです。

聖人の心には苦悩の闇が深まるばかりでありました。

くろぐろと巨大にそびえる山の端に、天を斬るような
上弦の月は光っていても、このなやみを解決して
くれる教えも人も、もはやこの比叡山には見あたらぬ
ように思われるのでした





また七高僧の一、源信僧都はこうもいわれています。

また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきとこころえて念仏すれば、来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁にしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがい 有るべからず。妄念をいとわずして、信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。

                             真宗聖典 p961

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