花まつり 萬行寺日曜学校

第3回萬行寺日曜学校の花まつりを行いました。

 今回も様々な方々に関わっていただき、去年よりもパワーアップして行うように手はずも段取りも子どもたちに渡すプレゼントも揃えていましたが、自粛ムードが高まりつつあることもあり、今年はかろうじてできる程度に規模を縮小して日曜学校の子どもたちと自由の森保育園の子どもたちのみで行いました。

 いつもならば大人と子どもをあわせると総勢100名を超える人たちが集まって賑々しく行われる「日曜学校花まつり」ですが、今回ばかりはどうも仕方がありません。それでも子どもたちは元気に境内を走り回って楽しそうでした。来年は予定通り行われることを念じます。
 

 毎年同じ話をしていますが、子どもたちの反応は様々。

毎年お話を聞いている子もいます。

これがどれほどの影響力があるのかはありません。もちろん影響力を考えてお話ししている訳ではありませんが、やっぱり気になります。

 

 せめて4月は花まつりでお釈迦様の誕生日がある日だというくらいは覚えてくれたらいいと思います。

 

しかし、考えてみると釈尊誕生の伝記はよく出来ているなと感心しています。

わたしならば、年前の何月何日の何時に〇〇病院で何gで生まれた。状態は健康で云々・・・と生まれた時の状況を生まれた時の様子として語ることはありますが、その生まれてきた人に縁ある人々がどのように一人の人間が誕生してくることを受け止め、世界が一人のニンゲンの誕生をどう喜んだかということが大変なスケールで語られています。この世界観は現代人にはなく、むしろ荒唐無稽でよくわからなもので片付けられてしまうかもしれません。

 

仏説無量寿経の表現では

右脇より生じて現じて七歩を行ず。光明顕曜にして普く十方無量の仏土を照らしたまう。六種に震動す。声を挙げて自ら称う。「吾当に世において無上尊となるべし」と

となっています。これだけをみても何と想像力をかき立てられる豊かな表現。

「右の脇から生まれて七歩き、天上天下唯我独尊」と言われたというのが、一番有名な伝記です。これを聞いただけで多くの人は「ん?、それってどういう意味なんだろう」と必ず考えます。

これだけでも、あり得ない表現の向こうにいろんな仕掛けがある。それだけにとても印象的です。何と豊かな表現だと感心させられます。

 

 

 

 

コメント

いろんな工夫をされていて感心しながらブログを眺めております。

  • ゆーよ
  • 2020/05/10 21:01