報恩講準備/4日目



華も立ち始め、明日は餅つきがありいよいよお華束(おけそく)とよばれる餅飾りつくりがはじまります。
それが出そろえば、おおよその荘厳は手を付けた事になります。

萬行寺の報恩講はいつの頃からかわらないそうですが、1月の22日から28日までの一週間毎年の例事として勤まっています。
聞くところによると一週間勤めるのは全国でもほとんどなく、基本的に各地の別院で5日間勤まるのが最長の日程として決まっているらしく、なぜか長崎の寺院が伝統的に一週間勤めているところが多いのは不思議だとおもっています。

かつての長崎教区内の大谷派寺院では、おおよその寺が一週間の報恩講を厳修して賑わっていたとも聞いています。
現在では、西光寺(福田)専念寺(有家)福浄寺(川棚)浄満寺(式見)萬行寺の5カ寺だけですが、それでもなんとかやっていこうとがんばっています。

長崎の報恩講の歴史は、これから先は私的な解釈であまり確証はありませんが、古くをいうならばキリシタン弾圧と関係があるのではないかと考えています。
長崎は江戸時代以前、江戸幕府による禁教令が出されるまでは大村純忠がキリシタン大名とよばれるように、そののちもキリシタンが多く住んだ町としても有名でした。
かつての長崎市内は長崎甚左衛門が洗礼を受けた事により彼の所有する長崎港をはじめとする主要地はキリスト教国の領地としてヨーロッパに献上されました。
ちゃんとした資料が残っていないので憶測の域は出ない話ですが、当時から流通の要所であった長崎街道沿いにあるここ時津町は、萬行寺が当時の言葉でいえば耶蘇教禁教令(キリシタン禁教)のために建てられられ、キリシタンの見張りを行っていた寺であるということが資料にあることから、多くのキリシタンがとも考えられそうです。
そこで、キリシタンの取り締まりをしっかりやっているというアピールのために一週間という本山なみの大法要を熱心に行う伝統が引き継がれているのではないかと想像します。





<献立>
コロッケ
みそ汁
ごはん
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