御遠忌3日目

十九日   御遠忌法要
稚児行道  午前九時
<法 要 式 次 第>
先、勤  行(本堂に集合し勤行)
  嘆 仏 偈
  短 念 仏  
  回 向 願似此功徳
次、行   道
次、諸 列 入 堂
次、総  礼
次、真宗宗歌
次、勤    行
  正 信 偈 草四句目下
  同朋奉讃式 「弥陀大悲の誓願の」   
  回  向 「願以此功徳」
次、総   礼
次、真宗宗歌
次、法   話  大江憲成師
次、住職挨拶
次、恩 徳 讚
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御遠忌2日目

18日    御遠忌法要

雅楽によるお勤め 午後二時
<法 要 式 次 第>
先、乱 声
   下臈出仕
次、着 座 楽
次、総 礼
次、伽 陀 稽首天人 附 物
次、登高座楽
  登高座
次、表 白
次、伽 陀 先請弥陀 附 物  
次、御   経 仏説無量寿経(抄) 音木有之
次、伽 陀 萬行倶廻 附 物
次、賦華籠楽
次、漢音阿弥陀経
  行道散華
次、撤華籠楽兼下高座楽
  下高座
次、伽 陀 若聞此法 附 物
次、総 礼
次、願 生 偈
念 仏 淘五 三重念仏 附 物
和 讃 三朝淨土の大師等 次第三首
回 向 願以此功徳 附 物
次、総 礼
次、退 出 楽
  下臈退出
次、真宗宗歌
次、法   話  大江憲成師
次、住職挨拶
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御遠忌法要厳修!!

御遠忌萬行寺法要

「仏仏相念の御遠忌」

本日ここに、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌萬行寺法要を相営みます。宗祖親鸞聖人は、激動の鎌倉時代に生を受け、度重なる戦乱や天災や差別に喘ぎながらも人間らしく生きる道を求めて蠢(うごめ)いている人々。そのような群萠(ぐんもう)に「南無阿弥陀仏」と念仏申して生きぬく道があることを九十年の生涯をもって証されました。その教えは時代と三国を超えて幾多の先人たちによって六字の言葉に結晶され伝わってきたものでした。その先人たちの命懸けともいえる伝道の歴史。この事に聖人は「身を粉にしても報ずべし、骨を砕きても謝すべし」と生涯を尽くして御恩に応えていこうとされました。
萬行寺が創建されて早三六七年。我々の先達たちは、毎年の報恩講や五十年に一度の御遠忌を以って慶びを確かめてきました。私達が今日教えを聞く事が出来るのは、永きに渡ってお寺を護寺し、聖人の教えに向かい合って生きてこられた無数の先達の願いがここにあったからではないでしょうか。この先達の願いを私たちはどのように受け止め、次世代の念仏者へ手渡ししていくべきなのでしょうか。「前(さき)に生まれん者は後を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え、連続無窮(むぐう)にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。」このことを憶念しつつ、一人でも多くの人に「南無阿弥陀仏」の教えが伝わることを共通の願いとして、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌萬行寺法要を厳修致します。


17日  御遠忌法要ならびに第十九世住職・坊守継職披露    午後二時

<法 要 式 次 第> 
先、総 礼
次、真宗宗歌
次、実行委員長挨拶
次、正信偈  草四句目下
念仏讃  淘 三
和  讃 「弥陀成仏のこのかたは」次第六首
回  向  「願以此功徳」
次、総   礼
次、辞令伝達
次、挨   拶
次、真宗宗歌
次、法   話  
次、恩 徳 讚
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御遠忌記念の上山。一足さきに

いよいよこの日が来た。
記念すべき日。

萬行寺御遠忌お待ち受けの記念事業で今日から真宗本廟へ向かいます。
本山上山1明日から研修道場で3日間行われる「住職修習」に参加するため、責任役員さんと二人で一足先に飛行機で京都へ。
その後、ご門徒方と合流して聖跡巡拝を巡っての一週間。
 追って26日からご門徒方も奉仕団で参加します。

時津港を出て船は一路空港へ。約20分で到着します。台風が接近しているらしく風が強くてけっこう揺れます。
御遠忌法要厳修は来年の十月になりますが、その一年前に親鸞聖人に御遠忌厳修のご報告をする。住職交代の手続きをしようということ、住職任命式を見学に上山です。

御遠忌記念上山

御影堂3真宗本廟で行われる「住職任命式」に参列したいという有志のご門徒方が後を追いかけての上山です。
これも御遠忌お待ち受け事業の一つ、「記念上山」で、その主たる上山目的は親鸞聖人に御遠忌厳修のご報告にいくことです。しかし、久しぶりの上山と同朋会館での宿泊研修で緊張気味です。初めて東本願寺に来られたご門徒は少なかったですが、同朋会館に宿泊するのは初めての方が多く、とてもいいご縁となりました。
二泊三日の研修では、お内仏のお給仕や真宗門徒とはということを中心に講義がすすめられました。




26日の七時半に萬行寺を出発、博多駅より新幹線で新大阪へ移動。それからバスに乗り換えて同朋会館へ直行しました。それから入館式・結成式・両堂参拝・清掃奉仕やお内仏のお給仕の講義や座談会などがありました。夕方は夕事勤行と講義・座談会と夜遅くまで続き、真宗の教えについて仲間と真剣に向きあう時間の少ないご門徒さん方にはとても有意義だったそうです。
任命式28日は毎月、親鸞聖人の御命日法要が朝から勤まります。現在阿弥陀堂が改修工事のため使用できないために御影同にての厳修でした。まずお勤めをして、住職任命式が行われました。全国26ヵ寺の住職と総代の総勢56名の参加で、宗務総長から新たに住職になられた一人一人に任命と現住職退任の辞令が手渡されました。厳かで広大な御影堂に於いての式典でした。
 任命式2天気もよく、御影堂の前にも日差しが出てきました。今日も一日頑張りましょう。萬行寺のベテランの門徒さんたち。

きこくていで食事住職任命式が済むともうお昼。真宗本廟から少し離れたところに「渉成園」と呼ばれる庭のきれいな飛び地境内があり、そこで昼食です。ほんとにきれいな庭を見ながらの食事は最高です。
渉成園は、またの名を、周囲に枳殻(カラタチ)が植えてあったことから、「枳殻邸」(きこくてい)とも通称されています。寛永年間に三代将軍・家光から寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされましたそうです。園内の諸殿は二度も焼失したのだそうです。現在の建物は明治初期から末年ごろに順次再建されたもので、国の名勝にも指定され、駅に近く便利なことから観光や休憩処として利用されているようです。


御影堂2見事にご修復された御影堂の勇壮できれいなこと。御影堂はいわゆる道場ですので、本堂である阿弥陀堂よりも簡素な荘厳になっています。それでも広さと


本願寺派の総長にまでお遇いするとが来ました。ありがとうございます。


説明を真剣に聞いています。


最後はやっぱりこれを観て帰りたい。国宝の飛雲閣です。


第13回 御遠忌実行委員会

帰敬式の受式者の報告。
受式者に受式日の案内をどのような形で行うかということが話し合われ、それぞれの地区の講頭がその地区に住んでおられる講以外の方も配っていたくことが承認されましました。これはちょっとしたことですが、相続講の拡大も考えてのことです。相続講に入っておられない方はなかなか講頭さんとあうことがありませんので、相続講が広がりを持てないという慢性的な悩みを少しでも解決出来ないだろうかと言うもくろみもあります。ちょっとした顔通しをするだけでも違うのではないかと考えて、受式者にはなるべく手渡しで配ることにいたしました。

あとは当日の執行体制の把握などを行いました。

帰敬式についての説明会 その7

長崎市の大橋メモリードホールをお借りして、長崎市内の方を中心に説明会を行いました。
やはり宗教団体ということが足かせになってこちらが思うようには行きませんでしたが、それでもこころよく施設を提供してくださった方に感謝いたし、お礼申しあげます。

これまで14カ所で説明会を行いましたが、これで一応、全て終了です。
やり尽くしたとはまったく言えませんが、これまで行ったことのない新たな試みとしては非常に収穫のある説明会だったと思います。
このように”説明”をしてその意義を理解していただくということは大事なのだなと深く感じました。

今回は18人の参加がありました。
萬行寺のご門徒は滑石と横尾地区の一部に古くからのご門徒がありますが、多くの長崎市内に住まいの方は、新規の門徒になられた方。または時津町から転居して市内移られた方が多くいらっしゃいます。ですからその多くが昔で言う「分家」の方がたです。それぞれの地域において様々反応が違いますが長崎市内も独特の反応でした。

今回のとても大事だと思ったことは、帰敬式は何かと言えば、「自分の家は真宗門徒と言っていた者が、自分は真宗門徒です」とはっきり言える者に成ろうと言うことだったと感じました。そこに宗教的自覚を持った「個」が一人(いちにん)として、単独者として誕生することが願われているのです。現代の社会は、集団のという枠から飛び出した個が一人歩きしています。この現実社会をこの身に受けて前に進んで行くためには、とても大切な要素だと感じます。

説明が終了後、時間のゆるすかぎりお茶をのみながらミニ座談会を行いました。
「私は主人を失くしてお寺にご縁をいただきました。これまでどこがいいかなと、色んなお寺を拝見させてもらいましたが、いつまで自分がもふらふらしていてはどこにいても何をしていても一緒だと思い、どこかにしっかりと身を据えて教えを聞いていきたいと言う気持ちが強くなりました。それで県外に就職した息子と相談して萬行寺さんにお世話になろうと決めました。そのときに帰敬式というのが今度あると聞いて式を受けることにしました。」という方がいらっしゃいました。
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帰敬式についての説明会 その6

昨日に引き続き、萬行寺の庫裏にて行いました。30名ほどの参加でした。
参加者の多くがこの度帰敬式を受けようと思われている方でした。残念なのはこれまで受式されている方の参加が少なかったということです。それでも「何も分からないまま式を受けるのは不安」ということで参加されている方が多くいらっしゃいました。

[帰敬式についてのQ&A] (「帰敬式についてのQ&A」パンフレットより抜粋)

Q 仏教徒(ぶっきょうと)となることは帰依(きえ)三宝(さんぽう)を中心とした生活者となることと云われていますが、その「帰依(きえ)三宝(さんぽう)」とはなんですか?
A 三宝とは、「仏(教えを説くもの)」・「法(教えそのもの)」・「僧(教えを聞く人々の集まり)」のことであり、それは釈尊(しゃくそん)によって確かめられた南無阿弥陀仏の法が、現実の世界に具体的にはたらく姿をあらわしたものです。「仏」とは、苦しみに悩む人間を救おうとする南無阿弥陀仏の法に目覚めた「人(釈尊・諸仏)」であり、南無阿弥陀仏は、ことばにまでなった「法」であります。また、「僧」とは、「僧伽(さんが)」といわれ、南無阿弥陀仏によって結ばれた人びとの「あつまり」のことです。私たちにとって、この三つを依りどころとして生きること(帰依)こそが大切であるという意味で「三宝」といいます。
Q 「帰依」ってなんですか?
A この三宝に帰依することが仏教徒としての第一歩です。三宝への帰依はそのまま南無阿弥陀仏への帰依をあらわします。帰敬式においても、南無阿弥陀仏の教えを聞いて生きるものとなりますという自らの名告(なの)りとして「三帰依文」を唱和します。「帰依」には、私の生きていく依りどころと、生きる方向がさだまるという意味があります。仏・法・僧を三宝とする仏教徒は、自らの欲望を満足させるためにいろいろな神をたのんだり、日の善し悪しを占ったりしないということです。また、三法を敬うということは、その必要がなくなるということです。帰依三宝の表明はそのまま私の信仰の表明といえます。


帰敬式についての説明会 その5

今回は時津町の方を対象に萬行寺の庫裏で25日と26日二日間に渡って行いました。それぞれ30名をこえる参加者で賑わいました。ありがとうございました。


今回の帰敬式は、来年に勤まる『萬行寺御遠忌法要』のお待ち受け事業として行います。
 それは親鸞聖人の教えに深く関心を持っていただきたい。つまり本当の真宗門徒になっていただきたい。という願いが根底にあります。それは親鸞聖人の最も悦ぶことをしなければいけません。それは親鸞聖人の教えに深く帰依するということです。親鸞聖人の教えに深く帰依するということは単に親鸞聖人を尊敬するということではありません。親鸞聖人の言葉の中に込められた釈尊の本当に言いたかった私たちへのメッセージを深くいただくということなのです。それが親鸞聖人が悦ばれることなのです。今回のお待ち受けは


[帰敬式についてのQ&A] (「帰敬式についてのQ&A」パンフレットより抜粋)

Q そもそも帰敬式(ききょうしき)ってなんですか?
A 帰敬式は仏教徒の入門式とお考えください。「おかみそり」は真宗独特の儀式として発展し、一八七六年に「帰敬式(ききょうしき)」と名が改められました。その原型となる儀式は、釈尊在世の時代にまで遡ります。在家信者が釈尊の弟子となるとき、出家者の場合には実際に剃髪(ていはつ)をしますが、在家信者の場合には、形式的に剃刀をあてたといわれています。そのことに由来し、真宗の帰敬式では「おこぞり」・「おかみそり」とよばれてきました。本来は京都の真宗本廟(東本願寺)にて受式し、ご門首より法名をいただくのが正式な帰敬式となっていますが、近年の「帰敬式実践運動」の広がりにより、お手次の寺院の住職によって執行できるようにもなりました。

Q 「髪をおろす」ということに何か意味があるのですか?
A  仏教では髪を剃るという行為に「勝他・利養・名聞のもとどり、髪を剃りすてる」と教えます。「勝他(しょうた)」は、他人よりもすぐれていると思う心のおごり。「利養(りよう)」は利欲をむさぼって私腹をこやすこと。「名聞(みょうもん)」は世間での評判のために体裁を取り繕うこと。つまり見栄のことです。「もとどり」とは「束ねた髪」のことで、つまり「丁髷(ちょんまげ)」を剃り落とすということです。権力の象徴である「まげ」を落とすことによって、権力や地位、財産や名誉にこだわり、自分をよく見せようとするこころをすてるということを意味しています。そこにみな平等に三宝を敬う姿勢が表れてくるのです。

Q  帰敬式はなぜ受けなければならないのですか?
A 1 現代は新興宗教にはまる人が多いといわれています。その中には悪質なものも少なくはありません。一度入り込むと抜け出せず人生設計のすべてを狂わせるものもあると聞いています。もし、そのような宗教の勧誘(かんゆう)にあったならば、「私は親鸞聖人の教えをいただいている真宗門徒です。」とはっきりいえることが大事です。そのためには真宗門徒としての自覚をもち、お寺の行事等にすすんで参加するなどのこころがけを持っていただき、親鸞聖人の教えに深く関心をもつことが大切です。そのご縁となるのが帰敬式です。そういう意味において、帰敬式を受式しておくことは大切なことです。

  2 私たちの所属している宗教団体名を「真宗大谷派」といいます。私たちが信仰している浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の教えを聞く人たちを「門徒」と呼んでいます。その真宗大谷派の憲法にあたる『宗憲』では、「すべて門徒は、帰敬式を受け、宗門及び寺院、教会の護持興隆に努めなければならない。」とあります。したがって当派の宗憲においては、帰敬式を受式おられない方は真宗門徒とはよべないといえます。

  3 葬儀の際、亡くなられた仏教徒の法名を位牌に記載しなければなりませんが、生前に帰敬式を受式されるご縁のなかった方の場合は、法名がなければ儀式が執行できません。ですから、本来の形ではありませんが便宜上、命終後に帰)敬式を執行し、法名を授けて、仏教徒となっていただいた後、葬儀を行います。そういうことからもご縁がある方は生前に帰敬式を受式し、仏教徒とならなければいけないといえます。
一言でいうならば、仏教徒でなければ葬儀を執行することができないということです。いのちはいつ尽きるかわかりませんのでご縁のある今、受式をするチャンスではないかと思います。
  
Q では、そもそも「法名」ってなんですか?
A 私たちが普段使っている名前は俗名とよばれ、両親の願いがかけられて名づけられたものです。一方、帰敬式を受けると「釈」の名字が冠せられた二字の法名を賜ります。これは仏さまからこ世を生きる使命を与えられた証であるといってもいいでしょう。仏さまの願いを「本願」といいますが、その本願に出(で)遇(あ)い、三宝に帰依して生きるものとなるという名告(なの)りです。

Q 本来、「法名(ほうみょう)」は亡くなった時にいただく名前ではないのですか?
A 法名(ほうみょう)は、お釈迦さまの教えを聞いて生きる者としての名告(なの)りですから、亡くなってからの名前ではありません。私たちは大切な方が亡くなられると、葬儀や法事を勤めます。そしてそれらは当然「法名(ほうみょう)」で行われます。また、各ご家庭ではお内仏に亡くなった人の法名をおかけしますので、誤解されがちです。私たちは、葬儀や法事を「死者供養」「先祖供養」という意味で勤めがちなようです。しかし、亡き人への供養だけが、本当に亡き人を大事にし、亡き人の生涯を尊んでいくことになるのでしょうか。残されたもの本当のつとめはどのようなものなのでしょうか。そのことを私たちは考えていきたいものです。

Q 普通は「戒名(かいみょう)」という言い方をしますが、真宗ではなぜ「法名(ほうみょう)」と呼ぶのですか?
A 呼び方が違うだけだとお考えの方もあるようですが、基本的に「法名」と「戒名」は意味合いが異なります。一般的には「戒名」を死後に与えられる名前と考えられているようですが、それも誤解です。聖者に成るための仏教では、厳しいルールをまもりつつ、規則正しい生活をする者を「仏弟子(仏教徒)」と呼んでいます。自らを厳しく戒(いまし)めることを「戒(かい)」といい、共に仏道を歩む仲間から厳しく戒められることを「律」といいます。その誓いをたてた証として戒名を授かるのです。一方、真宗は「愚者になる教え」ともいわれ、煩悩にまみれてしか生きることのできない自分であり、聖者に成りたいと願ってもその願いすら煩悩にまみれたこころから出ていると自覚する事が大事だと説きます。私たちはそのような「いずれの行もおよびがたき身」であるからこそ、私たちに残された唯念仏(ただねんぶつ)を称えるしか残されていないのです。だからこそ阿弥陀如来は、「我が名を呼ぶ者を無条件に救い遂げる」と私たちに誓っておられるのです。その如来のこころを聞き、その願いに生きる者を「仏教徒(仏弟子)」と呼び、そのようなものに平等に法名(ほうみょう)は与えられるのです。

帰敬式についての説明会 その4

琴海地区
琴海ニュータウン内にある「西武長崎墓地霊園」の管理棟をお借りして説明会を行いました。
なかなか宗教団体には公共施設を貸していただかないということが分かったことも今回の収穫です。
ですからここ管理棟をこころよく貸してくださったこともとても有り難いかぎりです。

今回は5名の参加がありました。少々寂しくもありましたが、帰敬式に対して認識がされていないということがよくわかります。まぁそれも現実でしょう。
なかなか帰敬式といっても浸透していないのが現実です。多くの人が『戒名』という言い方をします。葬儀の時に位牌に書かれた法名を見て初めてその人がどのような法名をいただいているのか知るのが実情ですので、これまでいかに何もしてこなかったか反省させられることばかりです。
萬行寺ではこれまでの約20年間で300名を超える方が帰敬式を受式し、法名をいただいたのですが、その後、その多くは引き出しにしまったままや、受けただけで終わってしまっていました。中には大事にして事あるごとに出してはながめていた方もいたようです。何度も開見て法名用紙がぼろぼろになっているものも中にはありました。中にはそのことがきっかけになって足しげくお寺の階段を上り下りする同行になっていかれた方もいました。
今回、色んなところで帰敬式についてお話しされてもらっていますが、繰り返し繰り返し説明をするたびに「ああ、やっぱり帰敬式って大事なんだな」と思わされました。
真宗大谷派は前回のご遠忌以降真宗同朋会運動という信仰運動を展開していますが、その運動の指し示す願いは、”古くい宗門体制の克服”と、現代社会における宗教的”個”の自覚にあったといえます。
かつての”家”は宗教心を育む場でした。しかし、それが成り立たない現代は、かえって一人一人が宗教的自覚を持つことを求められる時代になったのだと思います。
宗門がいう”個”の自覚とは、「私の家は真宗の門徒」と言っていた者が、「私は真宗門徒です」と言える者となということです。
そういう角度から見ていくと、帰敬式を受けるということはとても大事なことだと言えます。

帰敬式についての説明会 その3

これまで長与町のご門徒の皆さんに集まっていただくのは初めての試みです。萬行寺は時津町にあるため、なるべくご門徒の皆さんの自宅から近いところをとおもって、あえてお寺で行うのではなく、公民館などの一般施設などを使って説明会をしようと考えました。
 しかし、会場探しが以外に難航してしまいました。駐車場が完備されている。なるべく知名度の高い場所。または交通のアクセスの良いところ。条件に贅沢を言うときりがないのですが、なかなかいい場所が見つかりませんでした。しかも最近は宗教団体には公共施設は貸し出ししないということで、講頭さんには大変お世話になることになりました。
そんなこんなで長与町内園防災会館をお借りすることができ、「帰敬式についての説明会」を行いました。

120通の案内状を発送しましたが、当日は何名集まるか不安でした。しかし、なんと11名もの参加者!とても嬉しかったです。
説明会に来られた方の多くは今回受式される方が多く、自分が受式するということで関心が高いという印象を受けました。
中には、説明会に来たら、地区の活動でよく会っているあの人も同じお寺の門徒だったということをお互い知って喜んでいる方もおられました。
 普段のご近所付き合い、または職場などの付き合いの中で宗教の話題はなるべくしないことが関係を上手く保つという暗黙の了解が広がっている時代ですが、かえってそのタブーが関係が深くなるということもあるようです。


 説明会が終わった後、せっかくなので皆さんでお茶をのみながら語らいの場を設けさせてもらいました。
その中で。「私は今年定年になりまして、やっとお寺に参るほどの時間の余裕ができました。そこで自分のこれまでを振り返ってみると、人を押しのけてでも自分の家族を食わせることに必死になってきました。その時、ふと感じたんです。自分はそれはそれで一生懸命に働いてきたけれど、人を押しのけてまで生きていかなければいけない人生って何なのだろうと思ったんです。こどもの頃から事あるごとにお袋に寺に参れと言われてきましたが、とてもそんな余裕もあるはずも無く、むしろ「なんで参らんばいかんとか」と思っていたぐらいなんです。それが弟が突然亡くなったということもあり、色々考えさせられました。この年になって子どもたちにもお寺に参るように勧めめなければいけない年になっていながら、自分が何もしていないでは人に勧めることも出来ない。親である自分が進んで参詣しなければ子どもたちはするようにはならないとあらためて思いました。で、これではいけないと考えて帰敬式を受けることにしたんです。」というお話を聞きました。とても純粋で志を感じるいいお話でした。



御遠忌実行委員会

来年の御遠忌に向けて着々と会議が進んでいます。
今回で12回目の会議です。
今は主に帰敬式についてです。
帰敬式は来年行われる御遠忌の「お待ち受け」として行います。出来るだけ多くの方に受式をしていただき、その勢いで御遠忌にも参詣していただければと考えています。そもそも御遠忌のお待ち受けで帰敬式を行おうと考えたのは、3年前に行った「長崎教区御遠忌お待ち受け大会」で『親子で帰敬式』と題して行ったものを発想の原点においています。
御遠忌を厳修するにあたって、ご門徒の皆様に深く真宗の教えに関心を持っていただけるだろうかということを熟考した結果、帰敬式が一番いいのではないかということでした。
一人一人が親鸞聖人と向き合う。それは自分が”真宗門徒であるという自覚”を持つということでもあります。
そういうことから、「帰敬式を受けて御遠忌に参詣しよう」とご案内のチラシに銘打って発送しました。

 実行委員会では、説明会の報告や現在の受式者の人数確認。御遠忌に向けての準備はどのようなことが考えられるかなどが協議の内容でした。